映画「ゴースト・イン・京都」
「ゴースト・イン・京都」
原題名: THE HOUSE WHERE EVIL DWELLS
監督: ケヴィン・コナー
脚本: ロバート・A・シュホスキー
撮影: ジャック・ヘイトキン
音楽: ケン・ソーン
出演: エドワード・アルバート,スーザン・ジョージ, ダグ・マクルーア,服部まこ
時間: 88分 (1時間28分)
製作年: 1980年/アメリカ
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)
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封建時代の日本、男は密通をしていた妻と、その相手を惨殺した後に自死して
果てる。時は遷り、現代の日本。古の忌わしい事件のあったその家に外国人の
家族が引越しをしてくるが。。
『どこが京都やねん!!』 ヽ(^。^)ノ ヽ(^。^)ノ ヽ(^。^)ノ
と皆(*)でツッコミを入れまくって大いに楽しもうと目論んで見始めたら、
導入部の昔昔の日本の家屋や畦道の画面構成と細部の描写や現代の
パートの部分も意外なほどしっかり出来ていて逆に賞賛をしながらの鑑賞となった。
現代のパートでは外国人達が電車やタクシーを乗り継いで引っ越してくる
シーンでは、本当に京都近辺か関西圏で撮影されたと思われるシーンが結構
沢山あって一時停止をしたり巻き戻しをしてあーだこーだとお喋りしながら鑑賞。
日本人スタッフを沢山使ったとのことだけど、ただそれだけではなく、根本的な
誤解は仕方ないとして製作者側にも
「日本の風土を出来る限りきちんと描写したい」
という配慮は明らかに感じられて、内容自体は全く荒唐無稽な失笑・爆笑の
連続のB級的な作品だが、後味は悪くない作品だった。
冒頭の見せ場の殺戮シーンでは、妻の不義を知った男はその現場に障子を
突き破ってくるシーン(スローモーション)は「ターミネーター2」のターミネーター
T-800による壁突き破りシーンにもかなり酷似している超荒技。
全員: 『ありえん。。』 ( ̄ロ ̄lll) ( ̄ロ ̄lll) ( ̄ロ ̄lll)
どんなに怒り心頭しても日本人であればせいぜい障子が壊れるほどに勢いよく
開け放つか、障子ごと相手を斬るかぐらいのものであるが、眼の前の障害物
全てを破壊して突進するという『怒りの表現』は欧米人がやると特に違和感が
ないだろうが、"日本人である"という設定の人間に同じ行為をされると、これ
ほどまでにナイトメアな感じが出るものかと呆れると同時に勉強にもなった。
感情表現の諸動作はほんの些細なところに至るまで文化的背景・教養に大きく
支配されているしていることを再確認。
後半は大昔に起こった事件と同じ顛末が引っ越してきた外国人家族達によって
引き起こされていくが、怨霊となった侍と妻と不義の相手それぞれが相変わらず
仲違いしているかと思えば、ボソボソと何やら会話しながら人間達の体をときおり
乗っ取るという展開に驚愕。
全員: 『ありえん。。。』 (゚д゚;;) (゚д゚;;) (゚д゚;;)
成仏できないわけだから、怨霊たちは互いに憎みあり同じシュチュエーションの
人間達のそれぞれの体を借りて殺戮合戦の続きをあくまでも自分達の憎しみの
「決着」のために利用しないといけないはずなのだが、描かれているのは怨霊では
なくて、あくまでも、どこまでも"ゴースト"に過ぎずポルターガイスト現象を起こす原因
以上に意味づけがまるっきり無い。彼等ゴーストは何事が喋りあい(意味はないので
ゼスチャーのみで当然具体的な台詞も無し)、気まぐれなタイミングで人間達の体を
乗っ取る。
この描写は大変興味深く、我々日本人にとっては怨霊や幽霊という概念は
自分の恐怖心の投影か、亡くなった人のこの世への激しい未練の思いが結実した
『何か』である。だから主体はあくまでもその幽霊さん自体にある。よって、物語に
おいては、その幽霊からの呪詛が描かれ、幽霊さんという"人格"が大いに肯定される。
場合によっては幽霊と人間の対話というシーンも当然のように描かれる。しかし、
ここで描かれるのは、どこまでもゴーストであるから彼等には人間であった時の
記憶というものはあれど"情念"は完全にリセットされている。はっきり言えば、
すでに感情レベルにおいては人間ではない。これは、欧米的には人間の理解
できない怪奇現象として死んだ人間が悪さをしているという理由付けにしか過ぎない
からである。
死んでいるのであるから人間ではないという当たり前といえば当たり前の
今さら驚きもしない前提の描写であるが、設定上彼等は日本人として生きて
激しい恨みを持ったまま死んだので、あくまでも怨霊として大暴れしないといけ
ないのだが、すっかりゴーストにされてしまって仲良く?ペチャクチャとお喋りして
道化そのもののままに人間達にイタズラするだけの存在に"貶められた
"彼等の姿を見て失笑しているうちにも、やがて大きな哀しみと同情を感じて
しいては、こうして生きている我々日本人の戦後の社会そのもののようでも
あるとも思いつつ観た。これは製作者の意図であるわけはないが、彼等
ガイジンのそれなりに真摯にエンターティメントを作成しようとした行為が
所詮は異文化・異文明同士であるお互いの埋め難い深い溝を如実に物語る
結果となっている。
物語そのものの展開とか作品の立ち位置とは全く関係なく、ダイニング
ルームは台所でも納戸でもなく、パーティーはどこまでも宴会ではないという
ことを否応無しに認識させられる好例の作品ではなかろうか。
原題はシンプルに「惑わせる者の棲む家」という類の意味だが、邦題は
原題に無頓着な荒っぽい所が80年代B級作品臭さがある意味でなかなか
良いタイトルではなかろうか。
皆(*) ・・・Mr.Leeさん(またの名をお侍さん),万物創造房店主さん,私
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コメント
ついに出ましたね
ゴーストイン京都
京都だけに
第一回京都映画サミットで観るにふさわしい映画でした
たぶん外国人にとってのゴーストは
キャスパーなんですよね
あくまでも別の何かなのだと思います
西洋では
人間の魂は死後にこの世に留まるってことはないんでしょうね
投稿: 万物創造房店主 | 2012年10月29日 (月) 00時42分
>ついに出ましたね
とうとう出てしまいました
( ̄▽ ̄)
>第一回京都映画サミットで観るにふさわしい映画でした
ですねー
Mr.Leeさん
ご持参ありがとうございます!
もはや懐かしい思い出、、、
>あくまでも別の何かなのだと思います
そうですね。
日本人は精神や魂の方を本質と捉える
思考メカニズムがあるけど、
西洋ではあくまで肉体を伴わないと
「自分達と"同じ"精神機構を持つ対象」
とは決して捉えない感じですね。
奥の深~~~~~~~~~~~い
問題ですね。政治・経済・歴史と密接に
繋がっている。
死後にこの世に留まるってことはない
そうですね。
「この世」という世界は全てが
『我々の』所有する「物」なんでしょうね。
だから、ゴーストと言えども、所有権を微塵でも
侵せば(幽霊屋敷とか幽霊が"主"になると)
理由は一切考慮されずに
"悪霊"となるのでしょうね。自分達の生活を
脅かす"モノ"は全部"悪"であると。
我々日本人が
木や石や祠の"主"が霊や無名の神である
ことをごく自然に肯定し、敬うこととは
相当に違いますね。
狩猟民族と、農耕民族の違いにも通じる。
奥の深~~~~~~~~~~~い
問題ですね。
何千ページ記述しようとも、議論しようとも
決着の着かない永遠の問題。
いずれ、「例外なく」アッチの世界に生きとし
生ける全ての生物は逝くと。
何やらブログを書いているのも崇高な
気持ちになるです。
\(@_@)/
投稿: kuroneko | 2012年10月31日 (水) 00時26分
>狩猟民族と、農耕民族
というよりは
仏教圏とキリスト教圏の違いな気がしますなぁー
昔話とか見ると
キリスト教が幅をきかす前は人間っぽい亡霊もあったような気もします
あーでも
「ゴースト ニューヨークの幻」とかでは完全に生前のままのゴーストですね
あれはアジアの影響なのかなー
よくわかりません
これは研究すると、ひと論文ぐらい書けそうですね
投稿: 万物創造房店主 | 2012年10月31日 (水) 17時55分
>キリスト教が幅をきかす前は
人間っぽい亡霊もあったような気もします
結局、スピリチュアルな"物"は『在る』のでは
なく、その時々の思考様式の産物に過ぎない
簡単な論証のように思えますね。
『在る』のであれば、その実体は宗教や意識に
左右されないはず。。
>これは研究すると、ひと論文ぐらい書けそう
ですね
「ゴースト ニューヨークの幻」は
監督: ジェリー・ザッカー
脚本: ブルース・ジョエル・ルービン
両方共ハリウッドシステムの中に生きる
職人のような感じのフィルモグラフィーですね。
マーケティングリサーチに沿った製作過程の中で
上手い具合に時代に合ったのでしょうかね。
ラストは天国に半強制的に召されるから、
もし留まっていたら、「~イン・京都」のように
キャスパー化してしまう気がします。
根底の流れは同じ印象を受けますね。
投稿: kuroneko | 2012年10月31日 (水) 23時32分