映画「戒厳令」
「戒厳令」
原題名: 戒厳令
監督: 吉田喜重
脚本: 別役実
撮影: 長谷川元吉
美術: 内藤昭
出演: 三國連太郎,三宅康夫,倉野章子,管野忠彦
時間: 110分 (1時間50分)
製作年: 1973年/日本 現代映画社ATG
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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白い漆喰の壁にもたれ、精神集中する若者。"十"数えた後、道往く老人に
狙いをつけて殺害した。老人は日本で有数の財閥の重鎮であった。若者は
その場で自害して果て、血のついた服は本人の希望で"北一輝"という名の
男の下に届けられた。時は昭和初年。「帝都」は不気味な緊張感に充満していた。。
別役実による脚本が実に秀逸な作品。またワンカット、ワンカットが写真の
文法そのままに緻密に丁寧に撮られていて終始ウットリとしてしまった。影の
使い方、建物や道路を含めた空間の使い方が上手い。
「もはや戦後ではない」
『帝都』という言葉も冗談かコマーシャルでしか無い果てしない時が過ぎた本作
製作時の70年代において、なんとか『あの時代』の空気感を出そうと苦闘し、
結果フォルムにしかと焼きついている。
純日本家屋の狭い廊下を交差する夫婦、
窓ガラスに映るその姿、
なにげない庭の風景、
空、
そして、、
戒厳令下に降る雪、、、
北一輝に強く惹かれながら、五・一五事件にも二・二六事件にもモタモタとして
参加できずに悶絶する名もなき憲兵が、やがては結局のところ「"積極的に"何もしない」
男として描かれる北一輝その人と見事にオーバーラップして作品の奥深さが
増していて、現代の引きこもりやニートといった精神の鬱屈に共通する普遍的な
要素を兼ねた物語となっている。
実際の所、1930年代という世界的な時代の"大臨界点"の箱の中において
大局観を持たずにいたのは何も決起した青年将校達だけではなく、軍部の中枢も
政治家達も経済界の人間もその多くは大同小異であった。コップの中に居る
人々が時代を作り出してしまう当事者による悲劇、後の時代の人間にとっては
喜劇、それを人は『歴史』という。。
作中において残念だったのは始めから終りまで極めて高い撮影レベルを維持
しているが二・二六事件の襲撃シーンにおいては予算の都合なのか、意図的に
暈してしるのか、時間設定や人物配置の考証はおざなりとなりフィクション性が
際立って高くなってしまっていたことだ。製作当時としては最高のスタッフによる
「時代の検証」といってもいいハイテンションが維持されているから襲撃シーンも
練りに練って、闇夜の中をひっそりと進軍していく将校達を戸の隙間から覗き見
しているかのような「ヤバさ」を出してくれればほぼ満点の作品であった。
三國連太郎の北一輝は最初はかなり違和感があったものの流石に上手い。
北一輝は支那の服を好んで着たようだが、後世に残る実際の北一輝とほとんど
同じ服装で外出するシーンは見事にソックリ。怪しげな威厳もきちんと演技として
醸しだしている。決起将校達を最終的には大いに失望させた偏狭であったで
あろうところも。
決起した青年将校達の精神的バイブルになったといわれる「日本改造法案大綱」
を著した北一輝であるが、青年将校達がどこまでも憎悪してやまなかった財閥から
北が資金を得ていたことが今日では明らかになっており、事件の経過そのもの
(決起軍の敗北)にもその資金提供は水面下で存分に大きな役割を果たしていた
ことであろう。
「幕末に生きる 中岡慎太郎」(1987)でもそうであるが、考えぬいたカメラ視点を
まず作ってから、始めて俳優を配置していくという配慮が本作も恐らくは徹底されて
いて、無闇にカメラを動かすことがいかに稚拙で作品を貶める行為であることかが
本作の見事な格調高い画面設計を見ているとよくわかる。吉田喜重の作品には
製作工程のどこかにおいて「考え抜いて、しかるのちに撮る」という強い意志を完成
した画面から感じることが出来る。和製ヌーベルバーグの旗手として、小津や溝口
ではない世界の構築を強く自覚していたであろう喜重からしてみれば当然のことか。
吉田喜重とスタッフの皆さんグッジョブです。こういう映画が観たかった!
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正直な所、私は今、忠誠心に飢えている。かつて海軍少年兵であった時代の
残滓であろうか。「天皇の軍隊」を志した頃の清澄で至福に満ちた時間は、戦後
二八年の間、一度も蘇ってはこなかった。青春への郷愁か、或いは私という男は
もともと弱者なのか。その断は他人に委ねるとして、飢えどうしようもなく飢えである。
当面、この飢えを充たしてくれそうなものが二つある。一つはテロリズムであり、
他は「天皇」への再度の帰依である。とは云っても、命が惜しい私にとっては、
前者は全くのフィクションでしかない。
・・・
それと私が判断に悩んだものの一つには、北一輝を演じた三國連太郎氏の
表情に、「天皇」の為に天皇に反逆しようとした者の清澄にして至福の陶酔が
現れなかったことである。それが現れなければ、北の最後の「冗談は云わない」
という台詞が厳密な意味で劇的飛翔にならず、(つまり私は私自身の表情の醜さ
を確認したかったからなのだが)氏の演技は余りにも人間臭さに充ち、己の思想が
他人の手で行為に移されるその重さを良心的に悩む姿としか見られなかったのである。
(ただ、ひとり、「私がここに居ることは陛下は御存知なのです」と念仏のように
繰返す盲目の傷痍軍人《今福正雄》だけはこの作品の中で唯一の、正しく戦前の
陛下の赤子の顔そのものであり、私は酔い、打ちのめされた。)
飢えと迷妄の中で夢見る 『戒厳令』評 笠原和夫
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(「昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫」 笠原和夫・荒井晴彦・絓 秀実著 より)
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