映画「ビルマの竪琴」
「ビルマの竪琴(総集編)」
原題名: ビルマの竪琴
監督: 市川崑
脚本: 和田夏十
撮影: 横山実
美術: 松山崇
音楽: 伊福部昭
出演: 安井昌二,三國連太郎,浜村純,西村晃,北林谷栄
時間: 116分 (1時間56分)
製作年: 1956年/日本 日活
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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野晒しになった日本兵の死体の山を横目に走り抜ける僧侶となった水島。
水島が日本に帰らないことを決意した意味。
本作の"全て"はこれに尽きるように思う。「戦争」という一言で片付けては
いけない何か。生き残った。死んだ。運が良かった。悪かった。時代、政治、
国際情勢、etcという複雑極まる因果の結果としての戦争の惨禍ではなく、
その手前で置き去りにされた人の気持ち。
映画としては三國連太郎の役者としての上手さが抜きん出ている。感情の
"溜め"が他の演者よりも深く大きい。部隊の隊長としてだけでなく作品の
重心そのものとなって生き残った仲間達の軽挙妄動を戒め日本を目指す。
他の作品にも見られる三國の役者としての容量の大きさは自身が徴兵と
戦死の恐怖を味わった当事者世代であることとも密接に関係があるだろう。
帰国を誰よりも願いながらも部下達を掌握することに腐心する三國の演じる
井上隊長がいて、帰らないことを決意した安井昌二演じる水島上等兵の
存在が一対の物として
「戦争」という一言で片付けてはいけない何か
が見えてくる。
ウィキペディアによれば本作は公開当時は二部構成で製作段階の事情で
国内撮影を余儀なくされた一部とビルマ(現ミャンマー)で撮影をした分の二部が
続けて公開されたが、二部公開の時には市川崑の手による総集編(完全版)
も同時に公開されるというやや混乱した状態だったようだ。この混乱が原因
で市川崑は日活を去ったとも。いずれにせよ、本作は二部構成にする必要は
なかったように思え総集編の本作が本来の形と思える。
戦争と叫ぼうと、平和と叫ぼうと、人権と叫ぼうと、『人の気持ち』を蔑ろに
している点において、いつの時代もそれほど変わらない。逆に言えば、どんな
時代でも『人の気持ち』大切にしようと思えば出来る。出来る奴には出来る。
出来ない奴が権力を握った時、最大多数の最大不幸はやってくる。
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