« 映画「国民の創生」 | トップページ | 漫画「ゼノンの立つ日」 »

2013年5月26日 (日)

展_13_05_26

展_13_05_26

  

 都内某所で絵を観る。昨日は長年使用していたフライパンと
とうとうお別れし無料廃品回収車に引き取って頂いた。フリーター
時代に半年ほどやっていたスーパーのバイト先で頂いた物で
かれこれ10数年以上連れ添った。コーティングはかなり剥げ、
木製の柄の部分は緩んで独自の回転をランダムにするので
自分以外では制御は相当に難しいだろうと思われる逸品。何度も
床に落として形状もかなり歪んでいた。君がいたから僕がいた。
ありがとうぉぉ!

 鑑賞したのは、ダブリンで生まれ、ほとんど独学で絵画を学び
ロンドンでアトリエを構えた20世紀の画家の諸作品。対象を出来る限り
引き離したいという意図から、多くの作品が"ガラス張り"+"金縁の額"
で指定された。絵そのものを眺め見ることよりも、作者の内面で
起こったこと、鑑賞者の内面で起こる「何か」を見るという意図も
あったのではないかと思う。鑑賞者はガラスによる反射で映る
自分の像を避けながら作品を鑑賞し、その作品のモデルは大抵
顔や容姿をひどく歪められ、その理由を考えている内にガラスに
映る冴えない自分の姿と作品がリンクするようで戦慄を味わう
ことになる。

 印象派であろうと、表現主義であろうと、対象をいかに捉えるか
仮に対象を写実的に捉えていなくても、どのようにキャンバスに
表現し得たか鑑賞者は判断するのだが、その「行為」そのもの
行為を絵画という中に収めてしまっている社会の判断そのものに
問題提起をすることをキャンバスの中に丸ごと入れるという戯れ。

 年代を追うごとに人の動きと色彩は記号化され単純化されていく。
そこに突きつけられる対象である「自分達」の存在はあくまで謎
そのものとして「突き放されて」いくことだっただろう。

 
  
 

 I realized when I was seventeen.

 I remember it very very clearly.

 I remember looking at a dog-shit on the pavement and

 suddenly realized,there it is - this is what life is like.

 

 暴力性が溢れているのは現実世界の方で芸術家の作品ではない。

 
 

 野蛮極まるのはこの世界で、世界はより野蛮極まっていく。
"それら"を写しとった「対象」を人々は適当気ままに賞賛し、罵倒し、
芸術か、猥褻か、勝手気ままに判断し排斥する。


 







 

   


 
 






 


 

 


 

 


 
  

 
 
 







 



  

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

|

« 映画「国民の創生」 | トップページ | 漫画「ゼノンの立つ日」 »

日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 映画「国民の創生」 | トップページ | 漫画「ゼノンの立つ日」 »