映画「国民の創生」
「国民の創生」
原題名: The Birth of a Nation
監督・脚本: D.W.グリフィス
撮影: G・W・ビッツァー
出演: リリアン・ギッシュ,ヘンリー・B・ウォルソール,メイ・マーシュ
時間: 103分 (1時間43分)
製作年: 1915年/アメリカ [モノクロ]
(満足度:☆+)(5個で満点)
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アメリカ合衆国黎明の時代、南北戦争と黒人問題に翻弄される人々をダイナミックな
モブシーンと当時のあらゆる映像テクニックを駆使して描く大作。
Cチャップリンの自伝にほんの少しだけ、どちらかというと肯定的に記述される
作品として、以前より知っていた。というより、映画史的観点の話になるとこの作品は
ほぼ確実に遡上に登ることになっている(はず)。描写のスケールの大きさにおいて
肯定的な記述が散見され、同時に内容について罵倒に近い否定的なコメントも
見かける自分自身はどのようにジャッジするだろうかと楽しみに鑑賞。
結論から言うと『オール・タイム・ワースト』にランクイン。KKK(クー・クラックス・
クラン)を余りにも無邪気に大肯定しているというだけでなく、物語の抑揚の無さと
人物の掘り下げの欠如、黒人を徹頭徹尾"人として扱っていない"脚本と演出。
これほど配慮の欠けた酷い作品もまず無いだろういう代物だった。
人物の造形についての思想信条上の確固たる理念も特に感じられず、ただ
闇雲に白人は男女共に容姿端麗で経済的にも恵まれ、理知的に描かれ、黒人は
同様のスキームで根拠無く男女共に気の触れた野獣同然に描かれている。余りの
恣意的な作りに、手法と動機において本作と表裏を成す傑作「第9地区」(2010)を
思い出した。
そんなわけで、登場する物語の中核となる家族も当たり前のように黒人を忌み
嫌い、その理由付けとしてこれでもかと繰り返して登場する犯罪同然の行為を
重ねる黒人達が執拗に描かれる結果として問答無用に是認されて演技の緊張
感の無さと演出の稚拙さで欠伸が何度も出てしまった。
巷で見る本作を肯定する評価としてまるで判を押したように記述されるモブ
シーンの迫力とカメラワークの先進性については、『何を描き、主張したいのか』
という点において悪質で愚劣とすら言ってもいいので、その映像は"思いつき"の
域を出ない。本作で駆使している技術の全部が全部、ほぼ同時期の作品において
編み出されたに相違なく本作が存在しなければ生まれなかったなどという技術は
ただの一つもないと断言できる"凡庸さ"に満ちている。テーマが酷いとたとえ
映像として独立してレベルが高いとしても全く少しも高揚しないのは、一つの
怪我の巧妙とすら言える。
余りの内容の無さと、ウルトラスーパープロパー振りと、退屈さに
「これほど酷い内容だと携帯が鳴ろうがお喋りされようが気にならないものだな」
とふと妙な感慨が起こった。館内では皆呆気に取られてか誰もお喋りもせず
携帯の音も鳴らず静かに鑑賞していたのだが。
物語上の必然が何一つなく南北戦争の終結から「怪物そのもの」として描かれる
黒人に支配される街の描写と白人がまるで「光の天使」そのままに奪い返す
クライマックスシーンにおいては
「一秒でも早く終わってくれ」
という気持ちで劇場の観客に一体感のような気持ちが包まれていたように思う。
作り手も編集していてその出来の不味さにどうでもよくなったかのように唐突に
出現する THE END の文字に私も含めて思わず失笑が起こった。
本作が存在していい理由があるとすれば、その超排他性と黒人に対する徹底的な
露骨過ぎる差別的視点は遥か昔の問題ではなく数え切れない戦乱と膨大な死者を
"産んで"なお全く減衰されることもなくより巧妙に、より高度に洗練されミクロ化された
表現として、21世紀の"今"の日本を含めた世界のあらゆる映像作品に仕込まれている
とう不偏さがよりよく判るという点のみであろう。
描かれている内容を客観的に評価できないという点において人は決して獣以上
ではありえない。
ということがよく理解できる困った作品だ。「ジャンゴ 繋がれざる者」 (2012)とは
100年の時を隔て!地下で地盤が繋がっている同系列の作品である。時代設定も
ほぼ同じであり取り扱っているテーマも共通点が多いが、その主張は異なる。100年
経って、ほんの少しは良くなったのだと思いたい。単に社会構造が画一化・均質化
しただけなのかもしれないが。
差別と迫害。憎しみと搾取。偏見と嘘。今もって形を変え、場所を変え、あるいは
全く微動だにすることもなく国境も軽々と越え、人々の心に巣くっている模様。
"The Birth of a Nation"
何かが、ゆっくりと「目覚めた」。
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グリフィスは『風と共に去りぬ』より前に南北戦争中の結社の記憶を呼び起こ
している。われわれはそこに、あの形容しがたい<<デモクラシー>>に陶酔した
黒人を見る。不正と戦う、強い、栄光に輝くキュー・クラックス・クラン(ママ)を見る。
グリフィスがクランの眼開き頭巾をかぶった人々の大騎馬行進を見せる場面-
あのような場面を書いた小説家は一人もいない。この映画のリズムと主題は、
群集の頭に悲しい戦争の記憶を呼びさました。『国民の創生』は、アトランタが
再び破壊されたかのように、暴動を巻き起こした。ジャコブ・ウォーク・グリフィス
将軍の息子によって、南部人は北部人に復讐したのである。
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( ロ・ズカ 「映画の世界史」より )
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コメント
>KKK(クー・クラックス・クラン)を余りにも無邪気に大肯定しているというだけでなく、物語の抑揚の無さと人物の掘り下げの欠如、黒人を徹頭徹尾"人として扱っていない"脚本と演出
まさにその時代を切り取ってますなー
その黒人以下の設定だったアジア人はいかな扱いを受けていたか
想像できない日本人は多いです
投稿: 万物創造房店主 | 2013年5月27日 (月) 15時14分
>想像できない日本人は多いです
「知らない」日本人が圧倒的ですよね。
自分も含めて。
アジア人なんてほとんどいなかったっしょー
とか
日本人は関係ないっしょー
という感じですね。
その点、
幕末の時代を切り開いた
福沢諭吉
高杉晋作
伊藤博文
木戸孝允等
賢明な諸氏は
たった一二回の洋行で
食いものにされている清を始めとする
アジア人への蔑視を見抜いて
日本が属国になるという尋常でない危機意識
を持ったのは流石だったですね。
皆、自分達より年下か同じくらいの時に
最も思考し、最も活躍した。。
携帯もパソコンも法の整備も出来ている我々が
もっともっと出来ることはありますねー
とりあえず
ブログを今後も更新していくと(^^;)
「ジャンゴ 繋がれざる者」 (2012)
の企画意図って何気に深かったりして。
投稿: kuroneko | 2013年5月28日 (火) 00時14分
>まさにその時代を切り取ってますなー
そうか、「当時の認識」を正しく描いて
いるから何ら間違っていないのか!
( ̄△ ̄;)
投稿: kuroneko | 2013年5月28日 (火) 00時23分
>そうか、「当時の認識」を正しく描いているから何ら間違っていないのか!
そうそう
当時の人たちは
「黒人ってこんなヤツラだよねー」
「やっぱ白人優れてんなー」
とか共感しながら観てたに違いないです
そういう意味での資料的価値は高そうですね
投稿: 万物創造房店主 | 2013年5月28日 (火) 17時54分
>「やっぱ白人優れてんなー」
もー餡子の詰まったたい焼きのようですな(ーー;)
21世紀の今見ても
なーーーーーんも気付かずに
「やっぱ白人優れてんなー」( ̄ー+ ̄)
って人と
「もうやめてぇな、、恥ずかしい。。」(;;一_一;;)
って人と
二極化しそうですね。
多数派は
「やっぱ白人優れてんなー」( ̄ー+ ̄)
になるんだろうなー(ーー;;)
まあ自分らも決して大したこと言えないすけどね。
(^^;)←言ってる言ってる
>そういう意味での資料的価値は高そうですね
100年間(ほとんど)何も変わっていないという意味では
是非残していきたい資料すね。
白人さん達が自分達で大金かけて作った証言ですし
( ̄∇ ̄)
投稿: kuroneko | 2013年5月29日 (水) 01時13分
まぁ自分たちにプライドを持つということは悪い事ではないと思うんですけど
根拠なきプライドは得てして悪い方向へ出現しますよねー
願わくば
相手を貶めて自分たちを優れていると思うのではなくて
自分たちを高めて優れていると思って欲しい物です
それでも
それを押し付けたりして
よけいなお節介な場合もありますけどね
投稿: 万物創造房店主 | 2013年5月29日 (水) 14時56分
>根拠なきプライドは得てして悪い方向へ
出現しますよねー
『プライド』という言葉はとても難しい言葉だと思いますね。
『偏見』とほぼ同義語か、棲む世界がかなり被っているように
思います。
『偏見』を一切持たずに『プライド』を保っている人がいると
すれば、とても素晴らしい教育を幼少から受けた人なのでは
と思います。誰しも子供の頃は『偏見』を多く持っていない(はず)
だけど『プライド』もまたきちんとは持ち合わせていない。
大人になると『プライド』は醸造されるけど『偏見』もまたしかり
かと。でも、日常的に我々日本人の『プライドと偏見』の混在率の
平均値というかバランスはそれほど悪くないかと。
世界を悪い意味で賑わしている諸民族の方々は『プライド』も
『偏見』も鼻持ちならないほど持ち合わせている感じですね。
>自分たちを高めて優れていると思って欲しい物です
これは多くの人間にとって結構難しいと思うです。心の奥底の
奥底で「俺ってスゲー」(=プライド)は良いことですが
「優れている」と思っている以上は慢心ですから
よほど気をつけないと奢りに速攻で転化すると思うですね。
我々の『存在』そのものの奇蹟、社会構造の危うさ、
歴史の嘘と偶然の連続と本当の賢人の無私の精神での
活躍、、そういった事象を知れば知るほど
卑屈ではない合理的な観点での
己の小ささと隣人や社会との関り合いの難しさと重要さ
が見えてくるのではないかなーと。
突き詰めていくと、収束点としてのモデルケースの一つとしては
宮澤賢治の「雨ニモマケズ」があると思います。
教育と他者との関りがとても大事ですね。
昨今の日本では孤立になりがちな若者の方が寧ろ出来ていて
横並びで怠惰を貪ってきた似否世代さんはまるでダメですね。
投稿: kuroneko | 2013年5月29日 (水) 23時59分
子どもはプライド高いですよ!
むしろ大人の方が、自分のプライド守るために、周りとのバランス見ながらプライド持つ気がします。
子どもと老人はその辺剥き出しになりがちで難しい。プライドは人間の本質のひとつだと思います。
全然関係ないんですけど
ジェイン・オースティンの『プライドと偏見』が好きな小説ベスト3に入るので、文章読んでてドキドキしました…(´▽`)
投稿: 235 | 2013年6月 1日 (土) 09時11分
>子どもはプライド高いですよ!
そうかもしれない。
これこそ『偏見』(^^;)
>子どもと老人はその辺剥き出しになりがちで難しい。
自分は子供はプライドの方よりも単なる「所有欲」
の方が行動の動機としては強いのではと思って
いました。自分自身が余りプライドをどうこうされる
ような目に遭ってこなかったからそう思うのかも
しれないです。子供時代はどちらかというと単純な
縄張り争い・陣取り合戦のようなことを繰り返して
いたような感じです。その動機のベースには
『プライド』があるのかもしれないですね。
>ジェイン・オースティン
ユニークなキャリアを歩んだ女史ですね。
でも有名作家と呼ばれる人間が単なる商売
に過ぎないとしたら正しい生き方なのかも
しれないですね。
>『プライドと偏見』
読んでみます\(^^)/
投稿: kuroneko | 2013年6月 1日 (土) 11時34分