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2013年6月23日 (日)

東京漂流某日(六)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter6:  フリーター戦記(6)  脱出

  

 JR新宿駅から、私鉄に乗り換えて、5,6駅ほど先にある小さな
駅で降りて、交差点を渡るとすぐに緩く続いている坂を登った途中に
ある小さなビルの三階にその会社はあった。ここ一ヶ月間というもの、
黒猫は転職雑誌や求人雑誌を買っては掲載されているソフトウェア
開発会社を自分なりに取捨選択して廻っていた。好感触の会社も
あったが入社にまで至る会社にはまだ出会っていない。

 株式会社 鼎

「小さな会社だな。建物自体もまるでマンションだ」
アポイントを取ったジャストの時間に会社の前に立ち、ドアに素っ気無く
貼ってある社名の札を眺めて黒猫は思った。ベルを鳴らすと、黒猫と
同世代かやや下とも思える眼鏡をかけた中肉中背の女性が対応した。

「面接を受ける方ですね。どうぞ」 
オフィスは小さかったがよく整理されていて好感が持てた。

「犬鷹です。どうぞよろしく」
「どうも、鳶沼です。よろしく」
中年の男性二人が黒猫の面接官だった。

「黒猫と申します。よろしくお願いします」
黒猫は丁寧にお辞儀をした。

「ここは、すぐに判りましたか?」
犬鷹はごく型通りの会話から始めた。

「ハイ。大丈夫でした」

どこの会社でもやるであろう紋切り型の会話が
儀式よろしく数分感続いた後で犬鷹が本題に入った。 

「。。。それで、"F/K"という言語はご存知ですか?」

そもそもパソコンというものを事実上触ったことのない、
コンピューター言語どころか、"その世界"そのものについて
知識も経験もほぼ皆無の黒猫は一瞬悩んだ。

「知っている」と言うべきか。言わざるべきか。  
To be, or not to be...

今の自分にとって、世界でたった一つだけ自由にアクセスできる
唯一無二の"端末"である『自分の脳』(My brain)という名の
コンピューターをフル回転させて答えを弾き出した。

 

「、、知りません」

 

「そうですよね。普通は知らなくて当たり前です」
犬鷹は何かを確認したように答えた。
黒猫にとっては充分に難関である最初の設問は無事にパスした
ようだった。

「"D言語"はご存知ですよね」
犬鷹は黒猫の目を見て質問した。

「ハイ」
(名前だけですけど)と黒猫は心の中で回答の補足をした。

「"F/K"は従来よりも短いコード表現で多様な用途に対応でき、
UIへの組み込みもし易い言語として、主にフレームワークや
事務処理用言語として一時隆盛を誇ったのですが、"COBRA"や、
"BLAISE"や、ご存知のように"D"の爆発的な普及の中でやや埋没
してしまいました。それでもネットワークシステムの中間的位置における
IO処理や物流システムを始めとする膨大なデータ処理の一部には、
今でも使用されています。今後も無くなることはないだろうと我が社は
見ています」

犬鷹は、面接の度に唱えている決まり文句なのであろう。
およそ澱みが無かった。

「、、、もし黒猫さんに入社して頂いた場合は主に"F/K"による開発・保守を
やって頂くことになります。勿論、見ての通り我が社は小さな会社ですから、
他の言語の仕事もドンドン取っていきたいと思っています」

 黒猫は、黙って聞いた後、最大限に肯定的な頷きをした。
"他の言語も~"というのは一種の撒き餌のつもりなのであろうが、
「職」そのものにありつきたい黒猫のような種類の人間には撒き餌
は必要が無い。つまり、犬鷹は黒猫を撒き餌の必要な側の人間
だとこの時点では判定していることになる。

 「一応、念のための確認なのですが、"DOORS"は大丈夫ですよね?
犬鷹は、幾つかの質問をした後、改めて黒猫に聞いてきた。
 
"DOORS"はここ最近、巷を席巻している基幹OSのことだ。
そのOSの出現は従来の素人には判りにくく、敷居が高いという
固定観念が長らくあったコンピューターの世界を、普通の人にも
身近なものにしようとしていた。実際、"DOORS"の登場と圧倒的な
シェアの拡大が無ければ、黒猫のような、文字通り全く何も知らない
新参者がこの世界に「カチコミ」をかけたりはしなかっただろう。
 
犬鷹の質問は、"DOORS"を問題なく、使用できますねという意味の問いだ。

「大丈夫です」

黒猫はそう答えるしか術はない。コンピューターの黎明期に
先人たちが無数に踏んできたであろう"ハッタリ"という賭けを
規模もリスクもまるで次元が小さいが、黒猫も今、踏んだ。
実際には、鴇男が操作しているのを部屋に遊びに行った時に
ただぼんやりと眺めていたことが何度かあるだけだ。

「"DOORS"の勢いは今、本当にもの凄いですよね。黒猫さんは
この状況については、どう見てます?
鳶沼が初めて質問をした。

「。。。そうですね」
黒猫は、今日の面接の"山"が来たと感じた。

「自分は"DOORS"の出現以前についてはまだ学生だったこともあって
正直よく知らないのですが、直線的だったものが、平面的になって来て
いたのがそれまでのコンピューターの世界の流れであるとするならば、
今回の"DOORS"の登場はそれが一気に3次元的に広がったものだと
言えると思います。
2次元と3次元では容量的な観点での話は元より、
扱える切り口の複雑さとバリエーションの豊富さでは、最早桁違いで従来の
多くのシステムでは勝負にはなりません。ですから、このOSの登場で、
世の中はこれから激変していくのではないかと予想しています」 

ここ一ヶ月間の、付け焼刃にもなるまいがと面接対策用として
無闇に読み漁っていたパソコン関連の雑誌の一つの記事内容を
ほぼそのまま答えた。きっと、ここも受かりはしないだろうと言い終えて
黒猫は漠然と思った。

「、、、」
犬鷲と鳶沼は顔を見合わせ、しばし沈黙した。

「黒猫さん、お若いのになかなか適確な分析をされていますね」 
鳶沼が感嘆したという表情を浮かべて笑った。

「では、面接を終ります。採用の可否は一週間程度でお知らせします」
犬鷲が締めくくり30分ほども続いた面接は終わった。

退出時はまた眼鏡の女性が対応してくれた。

「今日はお疲れ様でした。入社したら、お会いしましょう」
女性は屈託の無い笑顔で黒猫を見送ってくれた。

「ありがとうございました」
黒猫はお辞儀をして、会社を出た。

 都心のビル郡の向こう側に沈んでいく赤い太陽が眩しかった。まだ何かを
達成したわけではないが、求人募集要項を読み、アポを取り、慣れない
スーツを着て、訪問して、何事かを喋って廻る日々は、
「やらされている感」
が否めない日々のアルバイトの仕事に比べれば、よほど充実感があった。

「今日は奮発して、ハンバーガーを食って帰ろう」

やや高価である為にフリーターになってからは久しく遠ざかっていた
お気に入りのハンバーガー屋を目指して、黒猫は歩き出した。

 
 
 
 
 
  
  
  
  
  
 
 
 
 
 
 
 

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