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2013年6月29日 (土)

東京漂流某日(七)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter7:  フリーター戦記(7)  テイク・オフ!

  

 「犬鷲と申しますが、黒猫君でしょうか」 
どこかで聞いた声だが、思い出せない。誰だろう、"犬鷲"って。。
まだ眠りの中にあった黒猫は、記憶を巡らした。

「、、ハイ、そうです」
まだ目覚めきっていないまま黒猫は答えた。昨夜はアルバイトが
深夜のシフトで、黒猫は始発の電車で帰ってきたところだった。

「お休み中のところすみません。先日の面接の結果ですが、、」
黒猫は相手の用件を理解し、意識を受話器の声に集中した。

「黒猫さんを、採用したいと思います」

「ありがとうございます」
黒猫は落ち着いて答えた。

「それで、来月始めからの入社を希望されていましたけど、
もっと早く来て頂けないでしょうか?
思いもかけない犬鷲の提案だった。

「実は、黒猫さんにやって頂きたい仕事が早急に決まりそうな
ものですから。もし可能であれば、来週からでもいかがでしょう?
犬鷲の話し方と声のトーンは面接の時もそうだったが、実に
澱みが無い。悪く言うと抑揚が無く無機質的だ。

「はあ」
有り難い提案ではあったが、まさか、まだパソコンを持って
いないし、触ったこともないので入社出来ない
とも言えなかった。

「ありがとうございます。実は、アルバイトのシフトがまだ残っていまして。
大変申し訳ありませんが、来月からの入社でよろしいでしょうか?」
黒猫はある一面において、本当の事を伝えた。

「そうですか。判りました。では、来月一日からよろしくお願いします」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」
黒猫はすでに体を起こして布団の上に正座していた。
電話先の相手に向かって、受話器を握り締めたままお辞儀をした。

「、、パソコンを買わないと!」

黒猫はそう独り言を呟いて、部屋中の小銭のありそうな箇所を探索し始めた。
貯金箱を割って、見つけた小銭を掻き集めて足してみると、2万5千円程度に
なった。その内の5千円はなけなしの生活費なので手を付けられない。

2万円か、、2万円で買えるパソコンなんて、あるのか?」
黒猫は所持金全部を財布に突っ込んで仕度をして家を出た。
今夜もバイトだ。 

 その夜もレストランのアルバイトが待っていた。黒猫は食器洗い係としては
最早、磐石の地位を築いていた。最近では休憩の合間にもコンピューター関連の
本を読むのに余念が無かったので、黒猫としても余計な気を使わず、効率のみを
追求すればよい裏方の方が有り難かった。

「、、じゃあさ、黒猫さん。"ビット"ってどう意味?」
若手のやんちゃなアルバイター達数人が休憩中の黒猫が読んでいる本を
取り上げては適当なページを読み上げて、一方的に問答を挑み、黒猫が
窮する姿を皆で楽しむのが休憩所での最近の恒例行事のようになっていた。

「、、知らん」
黒猫はぶっきらぼうに答える。

"ブレーク"は?」

「、、わからん」

「それじゃあ、"BSD"って何?」 

「、、うるさい。コロス!

小暮や貴子等が作業の合間に時折やってきてはそのやりとりを見て
楽しそうに笑っていた。

「どうした、盛り上がっているじゃないか」
支配人が休憩所に顔を出した。

「支配人、黒猫さんが最近"オッサン"のくせに、コンピューターの世界に
行きたいとか寝言を言っているから、皆で黒猫さんの目を覚まさせて
あげているんですよ」
いつもの黒猫のイジリ役の一人が遠慮もせずに応えた。

「黒猫、お前は"人間食器洗い機"として我が社が雇っているじゃないか。
食事付きで。それじゃ不服なのか
支配人は茶目たっぷりにニヤニヤしながら黒猫に言った。

「あの、支配人、俺、、"内定"貰いました。急で申し訳ありませんが、
今月末で店、辞めます

休憩所が一瞬静まりかえった。

「わー凄い。黒猫さん、おめでとう!
貴子が一早く反応した。

「そうか、判った。黒猫君、就職おめでとう!」
支配人はその地位に見合う流石の判断力で事態を即座に把握して、
ふざけていた表情から一変し、黒猫に真っ直ぐに向き直り、言った。

「ありがとうございます」
黒猫も支配人の方を向いて、背筋を伸ばして答えた。

「何だよ、黒猫さん。内定出たのかよ。チェ、つまんねー」
イジリ役達は口惜しそうではあったが、表情では祝福していた。

「残念だったな」
黒猫は、"狩り"を楽しんできたヤンチャ共にようやく一矢報いた。

 二週間後、店の一角を使って黒猫の送別会が、ささやかに
開かれた。ここ数ヶ月間、黒猫はあらゆる時間帯で働いていて
店内に顔見知りは多かったが、親しく話していたのは小暮や貴子や
金田ぐらいで照れくさくもあった。

 送別会の後、二次会というわけでもないが、近くの新装開店の
ラーメン屋に行こうということになり、小さな店を事実上占拠して
皆でラーメンを啜り、そこでもビールで乾杯をした。黒猫はここまで
話さなかった人達ともようやく打ち解けることが出来た気がした。

 最後まで残った7,8人ほどで駅に向かって話しながら歩いた。
いつも笑顔を絶やさず、そして、時には厳しく厨房の若手達を遠慮なく
しごき、正社員の中では支配人を除けば、郡を抜いてアルバイトからの
尊敬と篤い信任を受けているコック長の脇が、黒猫に話しかけてきた。

「あの向こうにある高いビル、見える?黒猫君」
脇は、やや遠くに見えるビル郡の中で一番高い建物を指差した。

「俺は、あのビルの一番上の店で働いていたことがあるんだよ。
黒猫君も、給料を貰うようになって、余裕が出来たらさ、あの店に
女の子を連れて食べに行くといい。何を食べても美味しいから。

値段もそんなにバカ高くはないしね」
脇は懐かしそうにそのビルの方向を見て、静かに語った。

「ハイ、判りました。ありがとうございます」
黒猫は支配人や脇達、店を実質的に切り盛りする中堅以上の社員達の
若いアルバイト達に向ける、時には教師のような、時には保護者のような
これまでの配慮に感謝した。

 交差点まで来た。ここから先は黒猫だけ皆と反対方向だ。

「オイ、小暮。黒猫君、行っちゃうぞ」
今日に限って、極端に口数の少なかった小暮に支配人が声をかけた。

「黒猫さん、何で辞めるんだよ。、、辞めるなよ、黒猫!
小暮は、黒猫の肩を掴んでそう呟き、下を向いた。

「小暮君、今日まで色々ありがとう。お陰で楽しかった。貴子も
ありがとう。二人共、お幸せにね」
黒猫は二人に心から礼を言った。貴子は泣き笑いの表情を作った。
支配人と脇は、どこか満足そうな表情を浮かべ、その光景を眺めた。

「皆さん、お世話になりました。また、遊びに行きます。お元気で
黒猫は皆に向かって深々と頭を下げた。

「じゃあな、黒猫。元気でやれ。必ず、遊びに来いよ!」
支配人はそう叫び、脇と連れ立って歩いていった。きっと、もう数軒
飲み歩くのだろう。小暮達も遠ざかりながら黒猫に手を振った。

いつもは鬱々として眺めていた都心のネオンの輝きは、今日は輝き
そのままに妙に明るく見える。

さらば、友よ。

黒猫は、皆とは反対方向の駅に向かって、一人歩き出した。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

<=== Back                      To be continued ===>

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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コメント

当時じゃ2万じゃパソコン買えんね…

投稿: 万物創造房店主 | 2013年7月 6日 (土) 23時23分

それが、買えたんですねー( ̄∀ ̄)Y
しかも、ノートパソコンで
今使っているヤツよりも軽量でした(*^ー゚)b
勿論、
中古・箱無し・説明書無し・保証書無し・現物のみ
OSインストール済み以外、ソフト一切無し
でしたが(^^;)
当時の自分には充分役に立ちましたです。
( ̄∇ ̄)


投稿: kuroneko | 2013年7月 7日 (日) 01時23分

アキバですか?
さすが東京は安いなー

投稿: 万物創造房店主 | 2013年7月 9日 (火) 18時50分

アキバですo(^o^)o
 
S○NY のバ○オシリーズの機種
だったと思いますが、にしても今思うと
余りに安過ぎる買い物でしたね。
売る時に妙に高く売れたし。。
何か訳有りだったのかも。。(ーー;)
 

投稿: kuroneko | 2013年7月10日 (水) 00時26分

>何か訳有りだったのかも。。(ーー;)
アレっすか…
自殺物件みたいな…
 
血のシミとかついてなかったっすか?

投稿: 万物創造房店主 | 2013年7月12日 (金) 19時28分

このパソコン所有時は、トキワ荘みたいな
素敵なボロアパート(3部屋のみ)に住人は
自分一人で棲んでいたのですが、そういや、
夜な夜な変な人影を窓の外によく見かけたな、、
自分の部屋二階だったはずですが、、(ーー;)
買取時に査定の人もとり付かれて金額間違えたか、、
(;;一_一;;)

投稿: kuroneko | 2013年7月13日 (土) 02時57分

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