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2013年8月19日 (月)

映画「飢餓海峡」

「飢餓海峡」

原題名: 飢餓海峡
監督: 内田吐夢
脚本: 鈴木尚之
音楽: 冨田勲
撮影: 仲沢半次郎
美術: 森幹男
照明: 川崎保之丞
出演: 三國連太郎,左幸子,伴淳三郎,志摩栄,加藤嘉,高倉健

時間: 183分 (3時間3分)
製作年: 1964年/日本 東映東京

(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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戦後の混乱期、行きずりに関係を持った男と女。男は女に出所不明の大金を
渡し、女の前から姿を消す。女は、その金で人生をやり直し、大恩を決して
忘れることはなかった。10年後、女は男と酷似する人物と念願の再会を果たすが、、
原作は水上勉の同名の小説。

 

 なにしろ題名が骨太感大。監督は名匠内田吐夢。作品そのもののスケール
感も申し分なく、役者も三國を筆頭に皆上手くて3時間は長く感じない。個人的
には三國演じる犬飼を執念で追い詰める刑事役の伴淳三郎 (ばん じゅうざぶろう)
が良かった。

 しかし、鑑賞後の後味はなかなか複雑で少し車酔いのような感じを持った。
映画が集団で作れらるモザイクのような、寄木細工のようなものである限り
この後味の原因は一筋縄でいくものではないが、戦中・戦後を成人かまたは
それに近い年齢で過ごして、何事かを"その目"でしかと見て生き延びてきた
内田吐夢、三國連太郎、左幸子という世代の異なる混乱の時代を生き延びた
"エゴ"が作中でぶつかり合っていることが作品の完成度の高さにより逆に
綺麗に見えなくなっているせいではなかろうかと思う。

 監督を筆頭に役者も含め腕の確かな一流スタッフの手により作品そのものが
充分に面白く作られているが、内実としては確かに自分の過去の隠蔽に
異常なまでに拘る三國の熱演という言葉を越えている怪演と戦時中は甘粕
正彦の服毒自殺に立会ったといわれ、終戦後もすぐに日本に還ってこなかった
空白期間を持つ人生の起伏の大きい「内田吐夢」の終戦後の日本を恐らくは
戸惑いを持って見る"目"、そして"五社協定"をもろともせずに良い作品に
出演することに周囲の目を意に介さなかったといわれる左幸子。三國連太郎も
また両親に甘えて生きることができなった薄幸な前半生・青年時代のため
自ずと世のルールを逸脱することに頓着せずに五社協定違反"第一号"
言われている。

 日本という島を飛び出して"大陸"の何事かをしかと見てきた内田吐夢の
作品は本作もそうであるし超大作にして傑作宮本武蔵五部作においても
そうであるが、人間の飽くなき情熱を老若男女に関らず大スケールで
描きだすが、その情熱の出所を"安易に描く"という愚を決して犯すことなく
ただ彼等の行動を大人の目線で的確に追っていく。だから内田吐夢の
作品は、映画であるということはどうでもよくなって、目の前で蠢く"人間達"
をいつまでもいつまでも眺めていたいと思うようになってしまう。彼等の
人生そのものが描かれているからだ。本作には登場人物や物語を借りて
三國や左幸子や同時代の焼け野原に放り出された若き女性達の戸惑い
や怒り、開き直り、内田吐夢自身が戦後の日本の"異様さ"に呆然とする
姿もまた投影されているような気がする。

 気が付けば、椅子にこしかけてただ登場人物達を観ているだけ(傍観して
いるだけ)の自分達もまた飢餓海峡の渦に深く捕われていることにまた呆然と
するしかない。「一体全体、何がどうしてしまったのだろうか」と。

 21世紀になった今も終戦の前後に起こってしまった異常過ぎる『何か』の
為に日本は車酔いか、安物の酒をしこたま飲んで(飲まされて)悪酔いして
いるような状態が続いていると言えるのではあるまいか。本作のシルエット
に浮かび上がる"影"は大きく、その形は圧倒的に異様である確信があり、
不気味だ。だからこそ、本作は傑作であり名作であるのだろう。

 ウィキペディアによると、初公開時は長過ぎるとの理由により、監督の内田は
拒絶したものの、結局無断で167分にカットされて上映されたとのこと。内田は
このことが原因により東映を退社した。この手のエピソードを見聞きする度に、
かの黒澤明が141分の超大作「デルスウザーラ」(1975)を短くカットするように
迫られた時に「そんなに切りたきゃ、"縦"に切れ!と喝破したという逸話を
いつも思い出す。本作は幸いにして自分が観たのは完全版で、ソフト化されて
いるのも完全版の方とのこと。

 世に出される映画という映画が一日の興行回数を増やすために短くされる
ということがもし全くなかったとしたら、その作品が稼ぐ"金"は本当に少なく
なるだろうか。関った現場スタッフが納得のいく形で出せずモチベーションを
否応無しに下げられるということが無いとしたら、、鬼籍に入られた数多くの
才能ある人々の寿命も生涯も大きく変わっているのではと思わずにはいられ
ない。

  

[五社協定]
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五社協定(ごしゃきょうてい)は、日本の大手映画会社5社(松竹、東宝、大映、
新東宝、東映)が1953年9月10日に調印した専属監督・俳優らに関する協定。
後に日活が加わり、新東宝が倒産するまでの3年間は六社協定となっていた。
(略) 
名目は映画会社同士の専属監督・俳優の引き抜きの禁止だったが、真の目的は、
日活による俳優引き抜きを封じることであった。大映の永田雅一社長の主導で
五社協定審議会を開き、5章15条からなる五社申し合わせを作成する。
これが「五社協定」と呼ばれた。主な内容は次の通りであった。

   1. 各社専属の監督、俳優の引き抜きを禁止する。
   2. 監督、俳優の貸し出しの特例も、この際廃止する。
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(ウィキペディアより)

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コメント

まーでも
完全版という長い尺のver.がダメダメな場合もあるので
何がいいかは難しいところですね
 
映画や音楽や芸術は偶然の産物でもあるので
製作者の意図せざることが逆にいい場合もあったりするのですなー

投稿: 万物創造房店主 | 2013年8月19日 (月) 17時22分

>ダメダメな場合もあるので
 
そうっすねー
これまで何度かしてきた議論すねー
同意です(^-^;)
 
予算にも製作時間にも多くの制約があって、
複雑極まる利害関係があって、
それぞれのセクションの職人達の思考の
違いがあって、観客のニーズがあって、、
 
『傑作』
は生まれるのだすねー
  
>製作者の意図せざることが
逆にいい場合もあったりするのですなー
 
これは『真理』の一つですね。
伝説的な作品や熱狂的なファンを生み続ける作品って
逆にこの場合が多いすね。
 
「スターウォーズ」も初期三部作はデジタル技術がどうにも
チープで制約ばかりの中で多くの才能を注入しまくったから
"あの"なんとも言えない雰囲気が生まれたのですしね。
 
「エイリアン」しかり
「ターミネーター」しかり
「プレデター」しかり
いかに金と技術をかけようが"ファースト"の
雰囲気と味はなかなか出すのは至難の技すね。
「エイリアン」第一作久しく観ていないので
観たくなってきました。。(^^)
 
 
「傑作」とは才能と偶然と制約のアンサンブルである。
by kuroneko (ノ ̄0 ̄)ノ
 

投稿: kuroneko | 2013年8月20日 (火) 00時06分

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