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2013年9月25日 (水)

映画「天安門」

「天安門」
THE GATE OF HEAVENLY PEACE 

監督: カーマ・ヒントン
脚本: ジェレミー・バーム, ジョン・クロウリィ
撮影: リチャード・ゴードン
音楽: マーク・ペヴスナー  
ナレーター: デボラ・エイモス

時間: 189分 (3時間 9分)
製作年: 1995年/アメリカ

(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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1989年6月4日に起こった六四天安門事件(ろくしてんあんもんじけん)を題材にした
ドキュメンタリー。事件の当事者の学生達のリーダー的存在であったウアルカイシ、
王丹、柴玲、2013年9月現在も拘留されている劉暁波(りゅう ぎょうは)等関係者への
インタビューと事件前後の記録映像から事件の全容と"実像"に迫る。

 

 純然たるドキュメンタリー作品としても、いわゆる「天安門事件」の実体に
迫った作品としても、「傑作」と呼ぶに値する非常にレベルの高い作品だと思う。

 開明的な指導者とされていた胡耀邦(こようほう)の追悼を当初の目的として
学生やデモ隊が集まりだした天安門広場を学生達が次第に感情的に占拠していく
のに対して、当初はどちらかと言えば静観し、学生側の意見を聞くのに吝かでは
ないという態度を示す"当局"側

 しかし、要求を一本化できず、収集のつかない事態に陥っていることを逸早く見抜き、
中国の本当の民主化を実現するために柔軟に対応することを粘り強く学生達に
諭し続ける劉暁波を始めとする社会人の運動家達。

 事態は五・四運動70周年記念式典の前後で沈静化すると期待された。だが、
学生達はハンガーストライキに突入し、さらにゴルバチョフの訪中と北京訪問が
溢れるデモ隊により深刻な支障を来たしたことで、当局と学生側の溝は決定的に
深まり、事態は緊迫の度を増していく。
ゴルバチョフが帰国した5月18日を機に
戒厳令の布告が検討され、察知したデモ隊と群集の態度はさらに硬化。6月、
遂に人民解放軍が北京に集結を開始する。

 一方で、学生や市民が初めて自由に発言することの開放感と、数回に渡って行われた
国の指導者達との会談による高揚感が画面から非常によく伝わってくる。デモはお祭り
騒ぎの様相も呈し、"熱気"に誘われて若者達が全国から集まりだし、"出会い"の
場ともなる。ハンガーストライキに突入はするが、まるで統制のとれない学生達
空腹で倒れる者が続出し、救急隊や周辺の住民達(大人達)が奔走する姿も実に
微笑ましい。この世紀の大事件の前の数ヶ月間、中国は確かに大きく変わる可能性が
あって、若者達そして民衆は熱に浮かされたように誰もが天安門を目指し、
指導者達はこの時確かに動揺していた。

 だが、戒厳令は布告され、デモ自体に収拾の見込みがなくなるにつれて、
熱気は次第に冷めていき雲行きは妖しさを増す。劉暁波を始めとするデモ側に
いた一部の"大人達"は国の指導者達が強硬手段に出ることをはっきりと
認識し、学生達に改革の灯を消さない為の「一時撤退」を必死に説く。

 5月の時点で若者達が長期的な闘いと勝利に向けて結束してデモを一時的に
解散させていれば歴史は相当大きく変わっていただろうが"若さ"と何十万人という
デモ隊の規模が最早それを許さない。

 六四天安門事件の前後における中国には、より良く変化する可能性と兆しが
確かに"あった"と言える。
しかし、それらの未来の芽を潰したのは、体制側
からの(軍事力の動員を含めた)圧力ばかりではなかった。
そして、その「ばかり
ではない」側からの映像記録とインタビューを駆使しつつ、「ばかりではない」側に
阿らない姿勢が、六四天安門事件の姿の一つを活写することに成功し、

 幼さゆえの暴走

という古今東西の世界で描かれ続けてきた、そしてこれからも描かれ続ける
であろう若者達の紛れもない「青春」と「ドラマ」をもそこに見出している。

 劉暁波を始めとしたこの事件によって拘束され、以前として拘留され続けている
人間が何よりも、中国自身のより良い発展のためにこそ即刻解放されなくては
いけない
"本当の理由"が本作には明白に描かれている。

 尚、事件当時の学生側のリーダー的存在であった人物達は海外逃亡を余儀なくされ、
ウアルカイシと王丹の二人は2011年1月に中国からの脱出を支援した香港の民主活動家
司徒華氏の追悼式の参列の為に香港に入ろうとしたがビザ発給を拒否された。

 一見の価値あり。
 
 

 
 
[六四天安門事件]
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六四天安門事件(ろくよんてんあんもんじけん)は、1989年6月4日(日曜日)に、
同年4月の胡耀邦元党総書記の死をきっかけとして、中国・北京市にある天安門広場に
民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民
解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺し[1][2])し、
多数の死傷者を出した大量虐殺事件である。

略した通称は六四、また中華人民共和国内の検索エンジンにて、「六四天安門事件」
というキーワードを検索すると接続不可能になることから、「5月35日(5月31日+4日)」、
VIIV(ローマ数字の64)や、「82(8の2乗を表す数学記法で、答えが64=6月4日)」
などを、隠語として使うことがある。
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(ウィキペディア日本語版)[2017年9月4日 (月) 14:16 UTC]

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