« 映画「ブラックブック」 | トップページ | 映画「音楽」 »

2014年3月30日 (日)

映画「からっ風野郎」

「からっ風野郎」

原題名: からっ風野郎
監督: 増村保造
脚本: 菊島隆三,安藤日出男
撮影: 村井博   
美術: 渡辺竹三郎   
編集: 中静達治   
音楽: 塚原哲夫
出演: 三島由紀夫,若尾文子,川崎敬三,船越英二,志村喬

時間: 96分 (1時間36分)
製作年: 1960年/日本 大映

(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)
---------------------------------------------------------------

 

 冒頭、服役する男(三島由紀夫演じる朝比奈組二代目の朝比奈武夫)が
何気なく投げ返すボール。ほんの一瞬だけしか映らないシーンであるが、
三島由紀夫が運動が苦手であったことが推測される。

 ボールというものは"肘"を使って投げないといわゆる"女投げ"(腕全体を
回して投げる)になってしまうのだが、幼少の頃にある一定量の球技を使った
運動に触れて、投げ方を体得しないと性別に関係なく女投げになってしまう。
恐らく、生まれながらにして作家となる運命であった平岡公威(三島由紀夫の本名)
は少年時代に運動を余りやらなかったであろうと思われる。カメラはこの何気
ないボールを投げ返すシーンに相当に構図に気を使っていると思われるが
どうであろうか。

 全編に渡って何度も何度も、物語上での必然性はほとんど無いであろう
主人公の武夫が上着を脱いで上半身を露出するシーンが繰り返される
三島由紀夫という人間とその人生に興味のある人間ならば非常に興味深い
動作であり、主人公を演じているのが三島由紀夫だと知らないで見れば、
そして彼の指向を知らなければ相当な違和感を感じるに違い無い。

 かなり鍛え上げられている体ではあるが(三島の趣味の一つにボディビルが
あった)、無意味に反復される露出と、残念ながら長身でもなくマッチョイズムを
表現するには遠く、主人公のある内面側を表す結果となってしまっている。
ついても三島本人はどこまでも気付いていたか。

 物語は終始、"組"を背負う二代目にして、根本的に、決定的に、余りにも
行動全般に「思慮」が欠けている朝比奈武夫の行動によって状況は悪化の
一途を辿り、敵も味方も振り回されていく。思慮が欠けているというよりも、
この朝比奈武夫という男は脳味噌のスペック(容量・規格)そのものが不足して
いるという残念なキャラクターであり、ヒロイズムを描くにせよアンチヒロイズム
を描くにせよヤクザ物の主人公としては珍しいキャラクター設定なのでは
なかろうか。

 そもそも、朝比奈武夫が朝比奈武夫という人間でさえなければ組は危機に
陥ることも恐らくはなく、相手役を演じる若尾文子も「一方的に身篭らされる」
わけだが、多少は報われるであろう。ここにおいて興味深いのは三島由紀夫
は朝比奈武夫を演じているというよりも朝比奈武夫と相当に上手く融合して
"体現"しているということである。

 「演じる」ということは自分の役を客観視して分析し、一度解体し、己の肉体
全てを使って再構築する。肉体は自分そのものだが、視点は揺ぎ無く観客側か
演出側になくてはいけない。だからこそ、『俳優』という職業が存在し、それらの
一連の分析・解体・再構築が軽やかにいつ何時もできる人間は庶民から賞賛を
受ける。

 三島が朝比奈武夫そのものにしか見えないのは、彼はプロの俳優ではない
ので、若尾文子・船越英二・志村喬といったキャリアも実力も充分な"つわもの"
揃いの中では視点を外に移すなどという余裕は流石になく、実人生において
自分のやっていることを実はトレースされていることには気付かずに映画製作
という嵐の真っ只中で翻弄されている姿が事態の収拾能力の無い男朝比奈武夫と
完全に融合して見える。そして、三島という存在の不思議さは、

もしかしたら、「その逆」なのではないか

とどこか思わせる節が在る点に尽きる。

 余りにも無謀なカチコミをかけようとする二代目組長の武夫に幼なじみの
男を演じを優しく優しく父親同然に諭す船越英二の何とカッコイーことだろう。
それでも武夫は何を諭されているのか自体が理解できない。カチコミは思い
止まるが物語の冒頭から延々と続いてきた武夫自身によって拡大され続け
てきたカオスはある一点に収束して物語は終わる。

 運動が恐らく苦手で、自己顕示欲が旺盛で、似て非なる物に気付かずに
自分の描く世界と実世界との乖離の大きさに気付いているのか気付いて
いないのか周囲には全く判らない。それでも何とも言えない愛嬌があり人を
惹きつける何かを確実に持っている"朝比奈武夫"。なんて、鏡のように作り
上げられたキャラクターで且つその行動の軌跡は予言的な作品となってしまっ
ているのだろう。

 クライマックスのシーンは物語の展開から削り取って映像的に見れば
とても"スタイリッシュ"なのだが、発端から繋がってきた物語の結末として観ると
笑いを堪えずに観るのはちょっと難しい。勿論、三島由紀夫は大真面目に
肉体的全部を駆使して頑張って演じている。というか、充分に賞賛に値する
「肉体の躍動」と言える。良い意味でのスプラスティック的であるとすら言える。
ラストを見るだけでも本作を観る価値はあるだろう。

 このクライマックスシーンで三島は怪我をしたとかしないとか。三島自身は
ラストシーンはきっとお気に入りだったであろう。

 「平岡公威」という男が終生、全力で演じた「三島由紀夫」という作家が全力で
演じた「朝比奈武夫」というキャラクターが、如実に映し出す「三島由紀夫」という
作家と「平岡公威」という男が終生全力で演じた「三島由紀夫」という作家が全力で
演じた「朝比奈武夫」というキャラクターが如実に映し出す「三島由紀夫」という
作家、、、

 何とも興味深い作品が出来てしまったものだ。映画は何よりも『人間を描く』
装置だと定義するならば、本作は紛れも無く『映画』であり「傑作」なのであろう。

 三島由紀夫が自刃して果てるのはこれから10年後の事である。

 

================================================================
若尾文子、文豪・三島由紀夫との秘話を明かす
デイリースポーツ2014年7月6日(日)

女優の若尾文子(80)が5日、東京国立近代美術館フィルムセンターで
開催中の「映画監督 増村保造」(9月7日まで)でトークイベントを行った。

 1986年に死去した巨匠の過去最大規模の回顧上映で、増村作品に
20本出演した若尾は「私には一切ああしろこうしろとおっしゃらなかった。
以心伝心。不思議な関係でしたね」と振り返った。

 また、増村監督、三島由紀夫主演の「からっ風野郎」について
「増村さんはみっともなくならないように演技指導して、見ていてつらかった。
増村監督は厳しく接していた。三島さんとの取っ組み合いの長いショットは、
俳優さんでも大変なのに演技は素人の三島さんだったので苦労が多かった」
と裏話を披露。撮影後、三島と赤坂で踊ったといい「とても不器用なダンス」
と明かしていた。
 
================================================================ 
 
---------------------------------------------------------------
映画感想一覧>>

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

|

« 映画「ブラックブック」 | トップページ | 映画「音楽」 »

映画」カテゴリの記事

コメント

この映画は
兎に角、三島が終始かっこ悪い映画でした
なんとなく監督の悪意も感じました
 
三島はよくこれで納得したなーと思います
 
ちゅーか
あのオーラのなさ・力量で主役なんてよく引き受けたなーと思います

投稿: 万物創造房店主 | 2014年4月 4日 (金) 20時09分

>兎に角、三島が終始かっこ悪い映画でした
 
終始頑張っている三島が何とも「痛い」ですな(^^;)
 
  
>三島はよくこれで納得したなーと思います
 
当時の映画雑誌では結構気に入っていたようですよ
三島は。撮影も嬉々として臨んでいた模様です。
 
 
>主役なんてよく引き受けたなーと思います
 
三島は「薔薇刑」とか撮っているし、ボディビルもやっていたし
恐らくコンプレックスを持っていたと同時に自分自身に
それなりに「自信」もあったのではと思います。
 
どうにもユニークな精神構造を持っていた作家ですよね。

投稿: kuroneko | 2014年4月 6日 (日) 00時29分

>当時の映画雑誌では結構気に入っていたようですよ
三島は。撮影も嬉々として臨んでいた模様です。
 
味音痴だったのと同じように
映画音痴だったのですかねぇー(-_-;)

投稿: 万物創造房店主 | 2014年4月 9日 (水) 15時36分

>なんとなく監督の悪意も感じました 
>三島はよくこれで納得したなーと思います
 
前述の通り製作当時の文献(映画雑誌)を軽~く紐解いてみたらば
増村監督への謝意みたいなのも確かありました(^^;)
  
>味音痴だったのと同じように
>映画音痴だったのですかねぇー(-_-;)
 
「謎」ですなー(^^;)
公人でこれほど謎な人物はちょっといないすね。
 
精神分析鑑定もしたらしいのですが結構「謎」な
結果だったらすいですよ。
徹底的に韜晦しているのか余りにも赤裸々に
カミングアウトしているのか判らないという。
一応"後者"であろうという判定らすいです(^o^;;)

投稿: kuroneko | 2014年4月 9日 (水) 23時13分

>徹底的に韜晦しているのか余りにも赤裸々に
カミングアウトしているのか判らないという
 
男色に関しては
江戸時代、戦国時代の侍の衆道文化に憧れていたのであって
根っからのホモというわけではないと思います
 
全て自分作り(プロデュース)の一環では…

投稿: 万物創造房店主 | 2014年4月17日 (木) 17時55分

>根っからのホモというわけではないと思います
  
まあ、「表現者」というものは須く
『人間そのもの』に激しく興味を持ち、ある種の
エロティシズムを性別に関係なく感じるのだと思います。
手塚治虫が言っていたことですが。
 
  
>全て自分作り(プロデュース)の一環では…
 
三島由紀夫にだけは自分は
「作為を超えた何か」を感じますね。
本当に何かに憑かれていたような。
これからも新しい事実が出てくるかもしれませんね。
この人については。

投稿: kuroneko | 2014年4月19日 (土) 02時29分

>「表現者」というものは須く『人間そのもの』に激しく興味を持ち、ある種のエロティシズムを性別に関係なく感じるのだと思います。
 
手塚治虫が言うと説得力ありますなー
 
 
 
>「作為を超えた何か」を感じますね。
 
作為を超えないと真の芸術とは言えないですからねぇー
自分を最高の芸術品にしたかったのでしょう
 
憑かれていると言えば憑かれているし
芸術家と云うものは元来そういうものな気もします

投稿: 万物創造房店主 | 2014年5月 5日 (月) 20時35分

>手塚治虫が言うと説得力ありますなー
 
"「表現者」というものは須く『人間そのもの』に激しく興味を持ち、"
まではアタクシkuronekoの言葉でございます( ̄∇ ̄;)Y
 
  
>自分を最高の芸術品にしたかったのでしょう
 
なるほど。それは有り得ますね。
それにしても、、この方には"哀"の言葉が似合って
しまう行動が多すぎますねー
 
>芸術家と云うものは元来そういうものな気もします
 
そうですねー書店でもこの人の写真未だにどこでも
見かけるし、つい立ち止まってしまいますねー
"表現者","パフォーマー"でもありましたね。

投稿: kuroneko | 2014年5月 6日 (火) 00時00分

>まではアタクシkuronekoの言葉でございます( ̄∇ ̄;)Y
 
説得力が…
 
(ノ)゚0゜(ヾ)あっちょんぶりけ

投稿: | 2014年5月 7日 (水) 17時51分

あー
名前入れ忘れた…
 
(ノ)゚0゜(ヾ)あっちょんぶりけ

投稿: 万物創造房店主 | 2014年5月 7日 (水) 19時58分

>説得力が…
 
見知らぬ人から言われたんじゃなくて良かった
(ーー;)

投稿: kuroneko | 2014年5月 8日 (木) 01時15分

ジョークですよジョーク
;:゙;`(゚∀゚)`;:゙
 
手塚治虫より少しないだけです
ヽ(´▽`)/

投稿: 万物創造房店主 | 2014年5月10日 (土) 14時55分

>ジョークですよジョーク
 
フォローどもです(^^;)\
 
>手塚治虫より少しないだけです
 
少しだけは畏れ多いです。。(^^;)
精進しまする\(@_@)/

投稿: kuroneko | 2014年5月10日 (土) 23時12分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 映画「ブラックブック」 | トップページ | 映画「音楽」 »