映画「欲望という名の電車」
「欲望という名の電車」
原題名: A Streetcar Named Desire
監督: エリア・カザン
脚本: テネシー・ウィリアムズ,オスカー・ソール
撮影: ハリー・ストラドリング
美術: リチャード・デイ
音楽: アレックス・ノース
編集: デイヴィッド・ワイスバート
時間: 122分 (2時間2分)
製作年: 1951年/アメリカ
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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女は妹を頼って"欲望"という名の電車に乗り、とある駅で降りた。
その先に待ち構えていたものは。。
「異文化コミュニケーション」を正面から描き切った「大人のドラマ」。
夫:スタンリー(マーロン・ブランド)
どこまでも"自分なり"の方法で生き、人生を楽しむ。
ポーカーを愛する短気で喧嘩ッ早いが、機嫌もすぐ直す。
妻(主人公の妹):ステラ(キム・ハンター)
同じくどこまでも自分なりの方法で生き、夫に尽くし、姉を心配する。
ギリギリのところで"自分"を主張できる強く聡明な女性。
「男の世界」に共感はしないが、理解しよう努める良き妻。
姉: ブランチ(ヴィヴィアン・リー)
スタンリーの妻と義姉への遠慮の無い絶叫と物の壊しっぷり、
後半はブランチの壊しっぷりに快活を覚えていまう人は少なくないはず。
スタンリーの横暴極まると見える態度は芯の所では表面的な体裁ばかりで
周囲に迷惑をかけるブランチへの批判もスタンリーなりに込めているという
マーロン・ブランドの演技の重ね方が上手いので、観客はイライラすること
なくストレスを溜めずに楽しむことが出来る。演出意図が明確で且つ主役の
ブランチ演じるヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランド等はそれにきちんと
応えているからなのだろう。
舞台セッティングと登場人物達の造形の相乗による過程と結末の構造的
バランスは流石と言える。
原題名は、
A Streetcar Named Desire
でそのままであるが、一つの貸家を舞台に延々と繰り広げられる悲喜劇で
あって優れた作品であるが、邦題から想像されるイメージとしては全体的に
違う内容をイメージしていた。
お互いに幾ら譲ろうとも、語り合おうとも、それぞれの生き方を曲げられる
ことなど到底出来るはずもなく、その積算から来る当然のラスト、洒落た
エピソードが起こってお互いに理解が深まりハッピーエンドが訪れる、、
わけが無い
『この世界』
を描ききった点が本作のエポックな点であり、映画の地平を広げたと言える
のかもしれない。
音楽担当のアレックス・ノースはキュブリック監督による「2001年宇宙の旅」
(1968)において作曲を担当し、録音までしていたがキュブリックにより全て没に
され(ノースは過労で倒れたとか)、同作の音楽にはクラシックが用いられた
のは有名な話だ。使用されたかもしれないノースの曲はかのジェリー・ゴールド
スミスにより録音されており入手可能なようなので機会があれば聴いてみたい。
ノースは管理人kuronekoのお気に入りの作品の一つ「グッドモーニング,ベトナム」
(1987)も手掛けており良い仕事をしている。
監督のエリア・カザンは赤狩りから自身の製作環境を守るために司法取引
を行い本作の制作年の翌年に共産主義者の疑いのある映画関係者達11人の
名簿をアメリカ下院非米活動委員会に提出した。その事は客観的には氏の
キャリアに「暗い影」を落としているが、その後も「波止場」(1954)、「エデンの東」
(1954)を始めとして製作活動は衰えず小説も書き、また自ら監督をした。
ウィキペディアによれば非米活動委員会に名簿を提出した年に製作され
監督をした「革命児サパタ」ではカザンは映画の中に共産主義に対する批判の
メッセージを込めたと言われている。
あくまでも自身の生き方を貫いたカザンの姿勢には本作の登場人物達と
描かんとした物語に一脈通じるものがあるように感じる。カザンは94歳という
長命を全うし2003年に他界している。
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