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2014年9月15日 (月)

旅2014 「東京~大阪~京都(一)」

旅2014 「東京~大阪~京都(一)」

 東京から、大阪を経て、京都へ向かって旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。
愛車の某ビッグバイク(HONDA 1500CC)"黒王"は、
今回はお留守番。。

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8月17日(日) 晴れ  第1日目 東京→大阪
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7:00  起床。

・今回はバイクの旅ではないのでとても楽チン。
(バイクの長旅はとても楽しいけれでも積み込みと荷造りが大変)

 

8:45  (豪奢にも)タクシーを呼ぶ。

・着替えやら何やら詰め込んだバッグを道端に置いてタクシーを待つ。

・なんとなく感傷的な気持ちになる。そして、この「感傷的な気持ち」が
いつも自分の旅のスタートで必ず起こることであり、この感情が起こる
からこそ旅が始まったとも言え、独りテンション上がる。ほどなくタクシーが来る。

出っっっ発!!行ってみよう(~~)/

10:30 東京駅着。

・早く着いてしまったので「銀の鈴」で出発時刻を待つ。朝食のパンをかじり
つつ同じく出発を待つ人々の挙動を観察しているとそれなりに飽きることなく
時間は刻々と過ぎていく。

・出発時刻を待つ人々の顔は一言で表現するならば
「哀」
であり、
小津安二郎の「東京物語」(1953)を漠然と思い出す。
笠智衆と東山千栄子が演じる老夫婦そのままに誰も彼もが行き場を失って
孤立しているかのよう。

 

12:20 東京駅発。

・車中の窓から次々と後方に過ぎ去っていく人家を眺めていると、
様々な思いが去来する。どこにでも人は住み、そこには何かしらの
暮らしがある。ただそれだけのことが、自分には何だか面白い。

・次第に大阪に近づいて来ると、突然、猛烈な雨が窓を激しく打ちつける。
「やはり雨か、、自分は雨男だから仕方がない」
と思っていると僅か数分で止む。止んだというよりも降雨圏内を
新幹線が通過しただけの話。

「雨、晴れ、雨、晴れ、雨、、、」
遊戯のように天気がまるきり異なるエリアを交互に過ぎて
新幹線は、西へ西へと向かう。羊を数えるように天気の入れ替わりを
数えるうちに連日の仕事の疲れと旅が始まった安堵感から心地よく
眠りに落ちた。

 

15:00 新大阪駅着。

「起きてくださーい」
駅員の大声で眠りは破られた。
新幹線はとっくに停止していて、自分が最後の乗客の模様。
外には次の出発を待つ人々の列が。

・ホームに降りると真夏特有の"ムッ"とする暑さに瞬時に包まれた。
そして、この暑さは懐かしい「夏休みの匂い」がした。

 

15:30 大阪駅着

・大阪駅に着いて、さらに自分のホテルの最寄駅にたどり着くために
北新地駅を目指す。夏休み中ということもあってか、人ででごったがえす
大阪駅は、すでに東京圏とは明らかに異なる雰囲気があって、東京は
どことなくどこもかしこも、誰にとっても「アウェー」感が漂う巨大な街で
あるのに比べ、こちらの人々は「ホーム」にいるような安心感を持っている
ように感じる。

・"コロコロ"(車輪)が着いていない運動部の学生が担ぐような
でかいバグを背負って猛暑の中をひたすら歩いていると、旅行を
しているのか修行をしているのかと一人思うが、好きでやっている
のだから当然旅行っしょと自分に答えてひたすら歩き続け北新地駅に着く。

 

16:00  ホテル CI。

・JR東西線に乗り、大阪天満宮駅で降りる。ホテルは駅からすぐ近い
らしいが指定の出口を出ても全く見当もつかない。電話をすると

「西に向かってください」

とのこと。
どっちが西かと太陽を仰ぎ見て時刻を確認するも疲れからいまひとつ
判断出来ず。

「西ってどっちですか」

と恥も外聞もなく尋ねると高架の見える方に向かってください。
との回答。ほどなくホテルに到着する。なかなか綺麗なホテル。
これから四日間お世話になる"本陣"である。

 

17:00  中之島周辺を歩く。

・荷物を部屋に置いてしばしの休憩の後、さっそく出歩いてみる。
ガイドブック片手にとりあえず商店街を抜けて中之島方面へ。
緒方洪庵(1810-1863)が主催したという適塾の跡地に向かってみる。

・適塾の周囲は当然ではあるがすっかり開発されているけど、
ほんの僅かに古い建物や通りの名残りがあって福澤諭吉・橋本
左内・大村益次郎など有名・無名の維新の立役者達が勉学に
勤しんだり時には熱く議論しながら歩いたに違いないだろうと
空想しながら周辺を散策する。橋を幾度か渡って土佐堀川と
堂島川を行き来する。

・日は落ち、どこを歩いているか判らなくなり疲れも出てきて焦る。
交番で現在地とホテルに帰る方向を聞いて何とか帰還。
足も痛くなってくる。初日から歩きすぎ。スニーカー持ってきて正解だった。
明日からはスニーカーにしよう。

 

19:30  夕食。

・着替えをして再度外出。商店街をブラブラしばらく歩いて良さげな
オムレツ専門店を発見して入る。こじんまりとした店内と忙しそうに
響き続ける調理の音と多様なメニューを見て「当たり」であることを確信。
オムレツのセットメニュー(サラダ・スープ付)をオーダーする。

・オムレツを食しながらガイドブックを眺め
「日本一の長さの商店街が近くにあるのか。。滞在中に行ってみよ」
と思いつつ付属の地図と照合させると今、自分がいる通りがその商店街
だと知る。

・オムレツは期待通りボリュームと味と申し分なく、何よりも腕のよい
コックが"調理している感"が嬉しくてもう一度来ることに決める。
都合よく次回すぐに使えるドリンクサービス券をくれた。

・店を出て、改めて通りを眺めると確かに日本一の長さを謳う
だけあって商店街は延々と果てしなく続いていて終わりが見えない。
数日間滞在するので商店街を踏破するのは昼の日程を終えた夜に
しようと決める

・ホテルとは反対方向に少しだけ商店街を進んでみるとよい感じの
古本屋を発見。店は大きくはないが棚のレイアウトにこだわりが
感じられて嬉しくなる。

・しばらく立ち読みして一冊だけ購入。古今東西の「地獄」に関する本。
後書きをちら読みすると、筆者は誰よりも三島由紀夫に激しく影響を受けた
とか。一体、三島由紀夫というキーワードはどれだけ自分の前にたちはだかる
のか、あるいは単に自分が三島の足跡周辺をウロウロし続けているだけ
なのか、、と苦笑しながらもレジへ向かう。

 

21:00  全日程終了。

・コンビニに寄って帰還。シャワーを浴びて、ベッドに大の字になる。
ガイドブックを眺め、明日以降の予定を確認したり、買ってきた
"地獄の本"を開いてつまみ読みしてみたり。23時頃、就寝。

旅は、始まった。

 

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8月18日(月) 晴れ  第2日目 大阪(二)
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7:30  起床、朝食。

・ホテルのバイキングは未だに慣れない苦手なもの一つ(でも楽しい)
で自分にとって「アウェー」である。その証拠に、早速自分が席に着こうと
すると係りが慌てて寄ってきて"朝食券"を出せという。
「そんなものは貰っていない」と一悶着。チェックインの時に何も説明も無く、
鍵以外渡されるものものなく嫌な予感はしていた。予想通りホテル側のミス。
「アウェー」だから全く気にしない(←気にしてる)。

・バイキング自体ひどく久しぶりなので何をどれだけ取ればいいか
要領がわからず何度も席と料理コーナーを往復してしまう。
取り過ぎたようで食べ足りないような。。明日はもっと上手くやろう。

 

8:45  外出

・前の晩、ガイドブックを読み込み、手帳にも今日の予定と行き先と
使用する交通機関をメモするが、ホテルから一歩出ると何もかも
判らなくなる。どっちがどっちやら。。(ーー;)まるで外国旅行気分を
朝から堪能。

・南森町駅(大阪天満宮駅とほぼ隣接)から地下鉄谷町線に乗る。
まったく初めての路線に乗るのはとてもたのすぃ。しかも、平日で
あることが楽しさに拍車をかける。

・谷町四丁目駅で降りる。

「ナンバノミヤ公園」はどこでしょうか?
と交差点でおじさんに聞くが、怪訝な顔をするが地図を見せるとすぐに
理解してもらえた。
「ああ、難波宮(なにわのみや)ね。そこ左折すればすぐですよ」
阪神高速を見上げながら歩く。法円坂と呼ばれる緩い坂を上ると、
あった。同時に、"生"大阪城を初めてこの目で見る。

 

10:00  難波宮跡公園着

・日本を揺るがしたクーデター大化の改心(646年)の舞台であり、
その当時の首都(前期難波宮)であり、その100年後にも首都機能を
担った(後期難波宮)という壮大な歴史の詰まった公園であるが、、
管理はどうもイマイチな感じ。そして、イマイチな理由をこのすぐ後に
理解することになる。イマイチではあるが、国の史跡に認定されている
公園だけあって、余計な物が一切ない(再現されているごく一部の宮殿跡
のみ)ところに想像力を働かせる余地はあって公園中をゆっくり歩きまわっ
てみる。

・後で知ることだが、この辺一体は広く岩盤が強固であって、難波宮跡の
ほど近くにある大阪城は丘の上でありすぐ後ろは昔より河が流れている
という地形上の優れて大きな利点があって難波宮に遷都した人々もそれ
から1000年近くも後になる豊臣の時代にも優れた土木の技術と見識が
あったと思われる。大阪の長い繁栄の歴史は都市機能や人知だけでなく、
それを維持できる地の利があった。

・1時間ほどゆっくりと散策をして、夕方の、陽の落ちる時刻にまた来たい
ものだと思いつつ公園を後にする。

 

11:00  大阪歴史博物館着

・目の前のそびえるような巨大な大阪城を見ようか、日程に充分に
余裕があるので後回しにしようかとゆっくり歩を進めているうちにすぐ
近くの大阪歴史博物館で調度「難波宮」をテーマにした大規模な
展示会がやっていることに気づく。しかも今日までということでせっかく
なので入館する。

・入館料1000円は高いかと思ったが、間違いなく「世紀の大発見」で
ある難波宮は戦後の発見であることや、今日までの理解の浸透と
史跡の指定は山根徳太郎(1889-1973)の個人的な尽力に負う点が
かなり大きい点、難波宮の存在を先に確信して山根徳太郎に瓦を
託した置塩章(1881-1968)との人間味溢れる出会いと邂逅の軌跡の
ドキュメンタリーや発掘現場の作業日誌など、地味であるが落としては
ならないであろう展示物が充実していて思わぬ大きな収穫となる。

・戦前・戦中・戦後も「人の無関心」と縦割りの組織機構が事実や
真実を覆い隠し、寧ろその弊害が最も顕著に出て難波宮という首都が
確かに在ったという事実を葬り去ろうとしていたのは戦後というどの
時代にも増して無関心・無神経な時代だったということが図らずも
浮き彫りとなっている。いや、浮き彫りにすることをきちんと"図っている"
人間が企画者の中にいると信じよう。大阪と日本のより良い未来の為に。

・"Mr.難波宮"である山根徳太郎を失ってから時代は流れ流れて、
公園の管理はどうもなおざりにされている感が否めない。気のせいで
あることを大阪の行政と府民に期待して、再び炎天下ではあるがやたらと
快晴の空の下、歩き出した。

 

13:00  空堀商店街着

・今日の目的地の一つ、空堀商店街に到着す。

・涼むためにたまたま入った店の人に商店街や大阪自体について
色々とお話が聞けた。遥か昔から城があったり、都があったりしただけ
あって一帯は地盤が強固でもう20年ちかくも経った先の地震でも大した
被害もなかったとのこと。古くは戦時中の空襲にも充分に良く耐え、
掘ればまだまだ様々な時代の発見があるだろうとのこと。大阪の道は
南北は"筋(すじ)"と呼ばれ、東西は"通(とおり)"と呼ばれることなどなど。

・商店街としては珍しくアップダウンがかなり大きい。印象としては、
余り外部の観光客目当てにしようという気負いも感じられず、周辺
住民の消費活動できちんと機能している雰囲気は気分を和ませた。

・そうはいっても全国の多くの商店街と同じように全体としての疲弊は
感じられることは感じられ、自治体の財務状況や今後の少子化を
合わせて考えると

生活全般・人生設計そのものを全て各個人による労働による稼ぎで
何とかしろ(何とかなる)という時代はもう終わるのかもしれないな。。

などと考えながら、適当に定食屋で遅い昼食を摂ったり、喫茶店で
コーヒーを飲んだりして商店街をしばらくウロウロする。規模からして
魚屋さんの比率が大きいような気がするが、「天下の台所」の名残り
なのかどうかとも。

・レトロな雰囲気の残る町並みに癒されつつ、歩き続ける。

・教わった通りにガイドブックの地図を改めて見ると、なるほど南北の
道は○○筋となっていて東西は○○通となっていることに素直に関心する。

・時折りコンビニでクールダウンとトイレ休憩をしつつ谷町筋を南下して
いく。谷町というだけあって、自分の歩いている通りはちょっとした丘と
いってよく町全体が坂の下にある地形であることがよく判る。

 

16:00  四天王寺着

・歩き回るのが楽しくてつい時間配分のペースを考えずに迷ったりも
してようやく到着。拝観時間は終わった模様。かなり疲弊していたので
ややショックであるが諸事についてタイミングが悪い方に転ぶのは幼少より
慣れているので気にしない(←気にしている)。

・せっかく来たので辺りを歩いていると五重塔への入り口が拝観時間を
過ぎているのに狭く開いていることに気づく。守衛さんに尋ねてみると、
悪天候で順延になっていた法要をこれからやるので入って観ていても
良いとのこと。

・何百本にもなるであろう蝋燭に数人がかりで火が灯され、ほどなく
僧侶の方々が4人来て一斉に読経が始まる。厳かな雰囲気の中で
朗々と響く声に耳を傾けつつ、旅の安全と、なかなかヘビーだった
今年の出来事(主に仕事面)やこれからの事について思いを巡らし、
色々と祈念する。

・傾き始めた陽と、入道雲と、澄んだ空と、鎮魂の読経と。
今回の旅が良いものになるであろうことを確信する。

・四天王寺を出て、周囲を何となく歩いてお寺と見れば入ってみる。
仰ぎ見ると、通天閣がほど近いところに見える。日程中に行ってみよう。

・戊辰戦争での東軍(幕府側)戦死者の碑を見つける。当時、まだ勝敗の
決しない中で、"最後の将軍"徳川慶喜は松平容保等と大阪城を密かに抜け
江戸へ"脱出"する。そして、そのことが戦の趨勢と幕府の完全な終焉を
決めたともいえる。慶喜と、残された幕府側の兵達、それぞれの心中やいかに。
松平容保はその後も会津の人々と共に西軍と対峙する最前線に立ち、
21世紀の今にも癒えていない深い傷跡を残す辛酸を舐めることになる。

・本日の日程は消化し、谷町線の最寄駅を目指す。滞在二日目にして
とりあえず谷町線にさえたどり着けば帰れるところまでは地理を理解する。

・友人からメールが届く。これまで何度か受けていた試験に無事合格
したとのこと。旅から帰ったら祝杯を上げる約束と休暇の日程消化が
順調であることを報告する。

 

19:00 ホテル着。

・今日も相当に歩いたので疲弊するがとても心地よい疲れでもある。
着替えて、商店街に繰り出す。

 

20:00 夕食。

・商店街の始点(または終点)まで歩いてみる。日本一というだけあって
長く、かつ時期的なものもあってか人手もまんべんなく多い。

・思案した挙句に結局、当たり障りのないラーメン店で晩飯。

 

21:00  全日程終了。

・昨日と同じコンビニに寄って帰還。シャワーを浴びて、ベッドに横たわる。

・机に向かいガイドブックを眺めつつ、大阪での残り二日の日程を詰める。
行きたいところは幾らもあるが、余り詰め込まないように注意して当初
考えていた案を調整。23時頃、就寝。 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

To be continued ===>
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  

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コメント

>「起きてくださーい」
新幹線で寝過ごしたらたいへん
終点でよかったですね
 
なるほどー
謎の大阪滞在期間はこんな感じやったんですねー
 
レアな法要とか
なかなか色々観れたみたいでよかったですね

投稿: 万物創造房店主 | 2014年9月19日 (金) 22時01分

>新幹線で寝過ごしたらたいへん
終点でよかったですね
 
そういや、そうですねー(;゚д゚)
終点が広島とかじゃなくて良かった。。
 

>謎の大阪滞在期間は
こんな感じやったんですねー
 
こんな感じでしたー(^-^)
 
  
>なかなか色々観れたみたいでよかったですね
 
ありがとうございます!
四天王寺では書いた通り到着ジャストで
拝観時間終わってしまって未練がましく
ウロウロしていたらば、今度は5.1chサラウンド
くらいで四人のお坊さんのお経を観光客は自分
ただ一人でじっくり聴けてしまったという、、
我が人生の縮図のような一日でございました(^^;)
 
大阪後編も、京都編も随時更新しますよー
ヽ(^。^)ノ

投稿: kuroneko | 2014年9月20日 (土) 01時51分

この記事へのコメントは終了しました。

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