展_14_12_13
都内某所で絵を観る。今年は乗り切った感があり、
まあまあな気分で都心へ向かう。
まず、長らく期限が切れて放っておいた某映画館の会員券の
更新。観たい映画の特集上映がやっていたり今後、ここだけの
新作上映でやはり観たい作品があるので、会員に復帰した方が
お得と判断。
更新手続きをしてくれた受付嬢がお釣りの千円札を一枚
多く渡したことに気づかず、数秒間ほど心の中の"善"と"悪"が
激しくバトルを展開する。悪が善をやっつけてほぼ勝つ寸前で、
受付嬢が私の表情の異変("悪"へのトランスフォーム!)に気づいた
ので無事に千円は返却されることに。
映画館のすぐ近くにある前より気になっていた海鮮系の店で
お昼を食べる。接客の余りの駄目っぷり(某国人の日本人の
一番嫌いな粗暴な対応)に凄く嫌な予感がして入店を激しく
後悔するが、出てきた定食が意外にも及第点の味で逆にビックリ。
コストをギリギリまで削減しているだけなのか。味だけ良くても
駄目なんすよ。多分、もう行かない。
キーマンとして長年活躍された会社の先輩が突然いなくなって
しまうことになったので面倒だけども少しだけ会社に寄って
ゴニョゴニョとキーボードを引っぱたいてデータをアレコレして
すぐに出る。
鑑賞したのは、19世紀から20世紀にかけての作品。たまたま
ここ一年ほど暇な時に検索してネット上で眺めていた作家や
作品が多く、本物が観れて感激。ただし、映画館同様に公共の
施設と自宅と区別のつかない大馬鹿者達のお陰で数限りなく
鑑賞を妨げられる。
自分の浅墓さを披露して恥じない馬鹿者は映画館と美術館
には入場しないで欲しい。また、馬鹿発見器でも備え付けて
入場させないで欲しい。親は馬鹿娘、馬鹿息子を社会には決して
出さないように注意してください。それが出来ないなら、
少しは真面目に育ててください。
厚顔無恥な害悪を垂れ流して何ら恥じない生物にならない
ように。迷惑この上ないっす。
絵画は、長い時間と、とてつもない労力をかけ、犠牲を払って、
・資金を潤沢に持っていた貴族の名誉欲や慰めや、教会の威信の
補強から解き放たれ、
・「テーマを持つ」という脅迫観念から解き放たれ、
・視覚に入った対象物を描くということからも自由となり、
遂には、
・作成者自らの思考からも離れていきつつある。 ←今ココ
ということが如実に解り、満足。
それは、つまり、絵画は(絵画も)人間の手から離れるということ
なのかもしれない。映画(映像)が最早、コンピューターが描いて
いて、我々はそれを有難がって金を払い呆然と見つめているように。
絵画はこれから、どこへ行くのか?楽しみである。
日本の諸氏、諸嬢は寧ろ、世界が日々壊れていく最中において、
集中して作成できる恵まれた環境にあると言えるのではなかろうか。
大いに奮闘して欲しいところだ。
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