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2014年12月26日 (金)

衝_14_12_26

  
  
 

 いつものように、ネットでほしい本が見つかり、絶版であること
を知る。入手可能の本屋さんを見つけ、その店の所在地を見ると、、
"沖縄"である。

 その本を読みたいから買うのは勿論であるが、遠い沖縄の
某古本屋さんに経済的援助をするようなつもりで購入ボタンをポチする。

 その書店さんの方がどういう思想であれ、どんな人生であれ、
自分の千円ちょっとのお金が本と入れ替わりにその古本屋さんに
振り込まれる。というか自分が振り込む。

 今年は、『お金(通貨)』について考えてみた年でもあった。

 古今東西のあらゆる、膨大な人間達が"コイツ"を求めて、争い、
裏切りあい、殺しあってきただけあって、考えれば、考えるほど
よく出来た仕組みであると思う。

 人類最大の発明は、もしかして(もしかしなくても)通貨ではないかと思う。
"コイツ"を得れば、『自由』が手に入るという期待値が、人間を行動に
駆り立てていく。あるいは、狩り立てていく。

 多くの者は労働という対価として、"コイツ"を得る(自分もその一人)。
ある者はズバリ"コイツ"だけをめがけて、他人の迷惑も顧みず、あるいは
他人を巻き込みながら突進していく。

 お金という大河の中で人は生きている。どんな人であっても大多数が
参加している"コイツ"大争奪戦の影響下に生きてる。

 物もサービスも"コイツ"が媒介することで産まれていく。 

"コイツ"が無くたって産まれていくさ」と幾多の社会システムが
試され、それは歴史に刻まれているが、概ね失敗に終わった模様。

 "コイツ"が、潤滑に厳正なルールに沿って、滞りなく、止めどなく
流れていくようにコントロールするのが政治であり、経済であるが、
現代においては"コイツ"自身の方が勝っているようだ。いや、いつだって
"コイツ"の独り勝ちだったのかもしれない。そして、"コイツ"
ワンサイド・ゲームにさせてしまう理由は簡単である。

 我々日本人が抱くある種の過去への郷愁(もしかしたら幻想)は、
統制や強制によるものではなく、自分たち自身の意識の抑制、そして
さらに昇華された何かにより、"コイツ"を抑え込んできたという
自負のようなものではなかろうか。

 では、もしも、、

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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