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2014年12月 6日 (土)

映画「死刑台のエレベーター」

「死刑台のエレベーター」

原題名: Ascenseur pour l'échafaud
監督: ルイ・マル
脚本: ロジェ・ニミエ,ルイ・マル
撮影: アンリ・ドカエ
音楽: マイルス・デイヴィス
出演: モーリス・ロネ,ジャンヌ・モロー,ジョルジュ・プージュリー,ジャン=クロード・ブリアリ

時間: 92分 (1時間32分)
製作年: 1958年/フランス

(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)
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 『街』。

 それは、エキゾチックで、危険で、気だるくて、男は怪しく、女は妖しく蠢く
不夜城。。そんな"大人の遊び場"である(であった)街を丸ごと音楽にして
しまうマイルス・デイヴィスの曲を聴くだけでも充分に価値がある作品。

 全体的にやたらと手堅く作られている本作であるが、監督のルイ・マルが
当時25歳というのは全くもって驚くべきことで、はっきり言って「嫉妬」
してしまふ。。
きっと、共同脚本のロジェ・ニミエや、撮影のアンリ・ドカエが
よほど優秀だったのだろうと邪推してみたくなるくらいにしっかりとした立派な
作りである。因みに撮影のアンリ・ドカエは「恐るべき子供たち」(1950)、
「太陽がいっぱい」(1960)などを手掛けている。

 主人公が結ばれる為に恐るべき且つ完璧(だった)計画を立てるカララ夫人と
ジュリアンを"勝手に追い詰めていく"若者二人の無軌道な行動が可笑しくて、
その無軌道振りは、無邪気を通り越して、華やかですらあるが、大人達への
反抗の動機のキーワードに"インドシナ紛争"を持ってきているのが特徴的。

 「戦争を知っている(体験している)こと」

そのものを鼻にかけて、子供たちを見下しているようにも見える大人達と、

 「世の中の負の側面を"全て"戦争を起こした?大人達の責任」

だと詰る若者達。

 彼等が、殺人や、自殺といったものに憧れこそすれ、責任感や道徳感から
本来来るべき危機意識や、罪悪感が皆無なのは、

 「大人=戦争を是認する生き物=

 「子供=俺たちには"そんなの関係ねー"≒悪ではない?≒正義??

という図式が明確にあるからだ。

 1960年代・70年代を好き勝手に暴れまくって、日本中・世界中で今もって
"老成"してさらに暴れまくって、政治・経済・倫理の何もかも日々滅茶苦茶に
している某特定世代の方々の事を観ていて終始思い出された。

 平和は、人を白痴にしてしまうのかもしれない。
 それは、『不都合な真実』なんだ。

 我々日本人は、311以降の数年間に無智な子供達に舵取りを奪われ、
あるいは、進んで舵取りを任せ、底知れない政治的白痴によって、それを
学び、危うく国を失う寸前までになった。今もまた、早くもそのことを忘れ、
三度、国を失いつつある。

 マイルス・デイヴィスの音楽と、美しきジャンヌ・モローが、突然行方不明と
なってしまった恋人を夜通し歩き彷徨う街の、

「商業デザイン」として完成された視点。

ショーウィンドウ、酒の小瓶、エレベーターに閉じ込められた絶体絶命の
ジュリアンが持つライター・煙草・ナイフの小道具としての完璧なまでのカッコ
良さ、、高級車の内装、ボタン一つで屋根が開くギミックの繰り返し描写、、

大戦の傷跡がほぼ覆い隠され戦後の物質繁栄社会のスタートを切る
屈託の無い大きな肯定に満ちている。

 少年期から本作の題名は知っていたが、中身はまるきり知らずに観れた
ので充分に楽しめたが、題名から今少し不条理な展開を期待したのだが。。
教科書的・お手本的な秀作であることには間違いない。

 現代において、本作をリメイクする意味は皆無であろう。

 我々は自ら進んで個人主義を押し進めてきた。そして、個人主義の
アクセルを踏み過ぎて実体としての『街』も、イメージとしての『街』もとうの昔に
破壊してしまった。

 リメイクするならもう一回世界大戦でもして世界中を焼け野原にしたらいい。
まあ、来るべき次の戦争は、砲弾無き汚い戦争(dilty war)によって世界中が
汚物だらけであるのだが。特に日本はごく特定の地域の化け物の侵攻を自分たちで
招いて国土を破壊されて金品を巻き上げられて喜んでいるわけであるが。

 本作のプロット自体をリメイクしても無意味ではあるが、その脚本の核となる
スピリットだけを抽出して果敢に新作を作るのならば面白い作品が作れる
かもしれない。その核とは、ある隠蔽したい事実の為に工作した偽装に別の
事実が乗っかってしまった場合には果たして、その結果は?というもので
こうして文章にしてしまえば、サスペンス物の基本的な定石の一つであることが
判る。

 主人公のモーリス・ロネはかのチャップリンの娘ジョセフィン・チャップリンとの
間に子供をもうけたが55歳で逝去している。

 「地下鉄のザジ」(1960)と、本作を観ると監督のルイ・マルの視点の根底には
強い"人間賛歌"が感じられる。それにしても、どちらも20代で作られていることに
どこまでも驚きを禁じえない。

 もしかしたら、"人間的成長"と"物理的時間"の関係、さらにそこに与える
境遇の影響の結果はの個人差は、とてつもなく大きくのかもしれない。という
よりも、「とてつもなく大きい」のだろう。それは、映画を含めた古今東西の
芸術作品が雄弁に、完全に証明している。

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第一次インドシナ戦争

第一次インドシナ戦争(だいいちじインドシナせんそう、
越:Chiến tranh Đông Dương/戰爭東洋、仏: Guerre d'Indochine)は、
1946年から1954年にベトナム民主共和国の独立をめぐって
フランスとの間で戦われた戦争。単にインドシナ戦争と呼んだ場合、
これを指す事が多い。
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(ウィキペディアより)

 インドシナ戦争(紛争)は、言うまでも無く後のベトナム戦争の前哨戦であり、
やがて、アメリカはフランスの後釜として、意気揚々と乗り込み、そして建国史上、
初めて敗北を知り、時の大統領はダラスで暗殺されることとなる。以後、無数の
戦争映画が作られ、映画と世界そのものを根底から変えていくことになる。日本は
アメリカ軍の最前線基地としての役割を十二分に果たし、戦争で疲れた兵隊達は
Tokyoで、Okinawaで、その傷を癒し、ある者は帰国し、ある者は戦場に戻り、
帰らぬ人となった。ベトナム側の死者の全容に至っては未だにまるきり把握できて
いず、今後も集計は不可能であろう。膨大な数の民間人・無辜の弱者が犠牲に
なったことは間違いない。

 私たちの世界は、どんなに目を逸らしても、流血で染まっている。窒息して
しまうほどの。

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