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2015年3月 7日 (土)

映画「なつかしの顔」

「なつかしの顔」

原題名: なつかしの顔
原作: 成瀬巳喜男
演出: 成瀬巳喜男
脚本: 成瀬巳喜男
撮影: 木塚誠一
美術: 北村高敏
音楽: 太田忠
出演: 花井蘭子,小高たかし,馬野都留子,藤輪欣司,深見泰三

時間: 34分 [モノクロ]
製作年: 1941年/日本 東宝京都

(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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 一家の大黒柱が戦争に出征している小さな家族の数日間を名匠成瀬
巳喜男がオリジナル作品として製作。小学生の弟は、母と、出征している
兄の妻と三人で仲良く暮らしていた。ある日、三人はニュース映画の戦局を
報道する映像に兄が映っているという知らせを聞く。怪我をして外出できない
でいる弟は自分に遠慮しないで観に行くように二人に勧める。義姉と母は
相談し、母が先に観に行くことになるが。。

 

 たった30分の短編であるが見応え充分。小さなドラマが余すことなく
詰め込まれている。

 オープニングでの、子供が主人公にしている作品であることを暗示する
たどたどしい字と暖かで牧歌的な音楽が心地よい。1950年代前後までの
邦画を観ていると題字やオープニングロールの背景には内容を予告する
案内役になる効果が働いていることが多い。こういった遊び心は後続は
持ち続けてほしいものだと思う。

 冒頭の出征を告げるラッパの音につられて後を付いて行く少年達の
描写が単純であるが実に素晴らしい。ある世界の外に安穏とした立場
からの愚劣蒙昧で低俗で無責任極まりない断罪とは関係なく、当時の
片田舎におけるごく日常的な描写を安定感のある撮影で貴重な日本の
刈り入れの終わった田園風景の中で描いている。

 何兆円かけようと何十、何百の国でグローバルに大スクリーンで
上映されようとも、とてもとても描くことの出来ない、描いてはいけない
ことになっているとしか思えない描写。

 もし描写する場合は

 「国家に隷属され、嫌々渋々、戦争に行く」
という判を押した、厳重且つ、執拗且つ、異常且つ、空虚な、
「検閲済み」
完全思考停止描写にしなくてはいけない。 

 小さな映画小屋で観る母親と義姉の繰り返しのギャグと物語の
積算効果(義姉はある理由により映画館に入らないが)、飛行機
模型の象徴するもの、小さな日常のドラマの積み重ねによる純真
無垢な少年の小さな抵抗という筋書きは小津のサイレント作品の
最高峰とされる「生まれてはみたけれど」(1932)を彷彿とさせ、
成瀬版のそれと言えるだろう。

 本作における全ての芝居はサイレントとして作り直されても何も
変更する必要がなく完璧に内容と登場人物の心の機微まで再現
できて、そのことで丹念に演出されている事実に帰納されることが
判る。

 戦場の報道ニュースに兄が映っていたという"衝撃の証言"から、
まずは母が先鋒として鑑賞に出かけるが、息子を見分けられない
まま帰宅する。

 義姉は、様々な思いが去来してしまって劇場に入ることが出来ない

 そして、少年の友人家族が義姉と同じ回を観ていることで、義姉が
実は映画そのものを観ていないことで少年の「思い」は爆発すること
になる。

 義姉がニュース映画を観るために街へ繰り出す為に乗るバスが
通過するシーンでは、一瞬のシーンであるが突然、戦場を走り去る
兵士達が畦道を走り抜け銃声音が鳴り響く。これは義姉が愛する
夫を案じていることを象徴するシーンであるが、ロケのシーンに直接
バスのシーンと兵士達をワンカットで同時に描いていると思われる。
出来上がりの絵としての効果は絶大で観客を義姉と同じ視点で戦場の
兵士達を案じさせると同時に「銃後の守り」の哀しさと、戦地に居る者の
故郷を遠く離れて命を賭けること=異国の地で死ぬことの恐ろしさ
たった数秒で描ききっていて恐ろしいまでに秀逸なシーンと言える。
人の気持ちの積算と変化の連続から映像という最終的な"画"に持っ
ていく成瀬作品の真骨頂とも言えるのではなかろうか。

 母の思いと、義姉の思い、少年の思い、とそれぞれ三者三様で
大きく異なるのは当たり前で、刻々と変化と共に三人のそれぞれの
日常と思いもまた三者三様である。僅か30分に過ぎない時間の中で
なんて豊かな心模様の変遷が描かれていることだろう。

 戦前の作品では"監督"という呼称は使われずに"演出"となって
いる場合が多い。これは現在の言う監督としての立場の人間が
ピラミッドの頂点に位置しているわけではなく、文字通り劇を製作する
中におけるパートの一つに過ぎないという謙虚さも感じられ、「映画」
という最終成果品の出来、戦前・戦後の作品の在り方、質を解く
キーワードの一つであるように感じられる。

 「(多くの)映画」とは戦争中は国民を鼓舞する為に国家や軍に
隷属し、その戦後はある種の嘘の下に、もしかしたらもっと下らない
隷属した。常に何かに"隷属している"という構造には変わりはない。
その事を如実に伝えてくれるのもまた『映画』の力なのだろう。

 そして、伝えてくれている「不都合な事実」を受け止めてわが事に
思い、明日に活かすことが出来るかどうかはその時代その時代の
人々のメンタル部分にほぼ全てを負っている。

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