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2015年5月 9日 (土)

映画「掟によって」

「掟によって」

原題名: PO ZAKONU  (BY THE LAW)
監督: レク・クレショフ
脚本: ヴィクトル・シクロフスキー
撮影: コンスタティン・クズネコフ
美術: イサーク・マーリス
出演: サレクサンドル・ホーローヴァ,セルゲイ・コマロフ,ヴラジミール・フォーゲリ

時間: 80分 (1時間20分) [モノクロ]
製作年: 1926年/ソビエト

(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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 一攫千金を夢見て金を掘る男達と女一人。"金"は無事に掘り当てたが、
男の一人は取り分に納得がいかずに、ある日惨劇は起こる。極寒の冬は
終わりを告げ、罪を犯した者とそうでない者の奇妙な共同生活が始まる。。

 

 導入部は"取っ掛かり"が見つからずにやや退屈してしまったが、中盤からは
他のロシア映画にも見られる、まるで、

人間の"骨格そのもの"を、

筋肉の"筋の動きそのもの"を、

フィルムに焼き付けようと果敢に挑んでいるような、無駄を肉を極力
削り取った"表現のソリッド感"とでも言うべきものに、酔う。

 前半の見所である英国人の男が怒り心頭に達し、惨劇に移るシーン
では、それまでの"舞台そのもの"のような端正な場面転換と、役者達の
それぞれの立ち位置を眺めて楽しむ展開とは変わって、ホラー映画の
ようであり、現代劇のようでもあるある種の"リアリズム"が突如として
混入してくる。

 不意を突かれて撃たれた小男はテーブルの皿に突っ伏したまま
微動だにしない。皿が傾いて、盛られた肉か何かが顔に垂れてきても。

 犠牲者はさらに出て、女は死に物狂いで男を取り押さえようとするが、
無残に張り倒される。それでも女は屈しない。先の小男の体は傾き、
食べ物が汚物のように顔に纏わりつくが昏倒したままだ。

 銃をぶっ放す男を含めて皆の所作がどこかコミカルであるが、
殺意を持つ者、犠牲者、事態を何とかしようと半狂乱になる者、
人の人生を破壊する凄惨な犯罪現場の修羅場は実際にもこんな
感じなのではなかろうかと思わせる"薄気味悪さ"もある。

 殺人や準強姦や強姦、暴行、それらの"具体的な描写の羅列"
でしか見せ場がない無数の作品は、大金をかけておきながら、
なぜ

「見てはいけない物を見てしまった本当かもしれない罪悪感」

を表現できないのだろうか。本作におけるたった数分のモノクロの
シーンからはいくつもの視点から楽しむことが出来て、役者と、
彼等を演出する人間の双方から

"何事かを描こうとする高尚な意志"を感じた。

 男は取り押さえられ、何度かのリンチによって落命しそうにも
なるが、残された者達はきちんと裁判をしようということに落ち着く。
やがては些細な出来事の積み重ねからそれぞれの関係性に
変化が出てくる。

 殺すことを何度も何度も躊躇しながら、ほんの儀礼的な、裁判とは
とても言えない代物による通過儀礼で、人間の生き死にを決する
ことには何の罪悪感を持たない偽善。しかし、その逆もまた偽善で
あることを作品は観客に突きつける。

 "自己保身"が常に優先して、全てはその後であるという本音を
必死に取り繕うごくごく普通の人間である登場人物達の挙動が
いちち可笑しく、異常なシュチュエーションを淡々と描くことで、
その可笑しさは返って倍増し、シュールなクライマックスになだれ
こむ手腕は実に見事だ。

 こういった人間に対する確固とした観察眼とユーモアが幾つも散り
ばめられている作品を観るにつけ、

"面白さ"とは一体何だろうか。

と考えさせられる。

 撮れそうで、どうにも撮れないであろう傑作の一つ。

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