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2015年6月28日 (日)

映画「愛の嵐」

「愛の嵐」

原題名: THE NIGHT PORTERIL PORTIERE DI NOTTE
監督: リリアーナ・カヴァーニ
脚本: リリアーナ・カヴァーニ,イタロ・モスカーティ
撮影: アルフィオ・コンチーニ   
音楽: ダニエレ・パリス
出演: ダーク・ボガード,シャーロット・ランプリング,フィリップ・ルロワ,
イザ・ミランダ,ガブリエル・フェルゼッティ

時間: 117分 (1時間57分)
製作年: 1975年/イタリア

(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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 権力を"無制限"に与えられた者達の限り無い増長。

 "戦後"社会と"戦中"の『境界線』は、実の所は「何もない」。

 無限の権力の行使を後ろめたく思い生きる者と、その中にも、秩序と
権力掌握の美酒に酔い懐かしく思う者と、ただひたすら恭順して生きる者。

 何をしても良い。

 命を奪っても、強姦しても完全に許される者と、その権力の被行使者の
間に「愛」は存在するか?

 あくまでもフィクションとして、ナチズムという歴史の点をベースとして、
何もかも所有してよいことをある男から承認された者達と、そうでもない
者達として生き、戦後社会を生きる両者という物語を本作は描いている。

 シャーロット・ランプリングは、本作公開当時27歳。「スイミング・プール」
でも健在だった、彼女の放つ「どこかにいるある女性」ではなく、
「彼女一個人」としての"尊厳"と"謎"を本作でもオーラとして放っていて、
その事が、本作を観る者の「罪悪感」を打ち消す効果をもたらしてくれて
いる。

 シャーロット・ランプリング演じるルチアと、ホテルマンとしてひっそりと
生きる男マックスとの間に、世間一般常識と良識の理解としての

 『愛』はそこに在り得えない。

 あるとすれば、それは、ルチアの哀しい人生と謎の「中」に解答が存在
するはずだと観客は勝手に仮定することで、

 ある者は、卑猥でエロティックな描写を愉しむ自分に怖気を持ち、
 ある者は、ルチアの生きかたに嫌悪し、共感することはないだろう。

 戦争犯罪という『嵐』の中で、相反する立場で出会い、心の根底では、
理解し合うことは互いに拒否しながら、

 「共に生きること」ただそれだけを決意した二人。
 退廃的な表現はここでは問題ではない。

 『常軌を逸した権力の譲渡』がナチズムまたはファッシズムの最大の
問題であり、日本で結果的に起こってしまった偽りの政権交代と、
3.11大人災も、同根の問題を孕んでいたと言える。

 だから、本作におけるグロテスクな描写の在りようは、我々にとっては
"全て理解できること"なのであって、理解できない人間は、政治的に
白痴であるか、搾取側の精神構造により近い者なのであろう。

 人間は動物である。

 人間が人間であるというのは、ほぼ無意味な自己申告に過ぎない。

 ライオンは、人間が勝手に"ライオン"と呼んで分類分けしているに過ぎない。

  

 「テリトリーに侵入した者は、殺す。」

 「テリトリーに侵入しそうな者は、殺す。」

 「テリトリーに侵入する可能性のある者は、殺す。」

 「上記の何れのミッションに逆らう者は、殺す。」

 理由は何一ついらない。
 昔も今も変化は何もない。
 改善しようもない。

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