映画「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」
「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」
原題名: THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦
監督: 押井守
脚本: 押井守
撮影: 町田博,工藤哲也
美術: 上條安里
音楽: 川井憲次
出演: 筧利夫,真野恵里菜,福士誠治,太田莉菜,高島礼子
時間: 94分 (1時間34分)
製作年: 2015年/日本 松竹
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)
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柘植行人が首都圏を中心に引き起こした大規模なテロから10数年が過ぎて
いた。特車二課はすでに次世代の面々に引き継がれていたが「時代」からは
ますます取り残されていた。逮捕された獄中の柘植の影響力は未だ強く、
シンパは次のテロを準備していた。。
「世紀の奇作」と言っていい作品。それでいて、かつて経験したことの
ない、とてつもなく奇妙な、ある種の「満足感」を得てしまった。
「PATLABOR2」(1993)が好きな人(自分もその一人)にとっては、押井守からの
大きなプレゼントであり、作品自体は色々な意味で壮大な実験であり、
作り手・観客双方への押井守からの大胆な挑戦であり、
見方によっては、あからさまな「挑発」とも取れる。
最後の見方は押井作品においては何も今に始まったことではないが。
さて、ここ数年来、自分が押井守の"実写映画"を観る時には
アニメーションの内的空間力学(重力・磁力・引力)で実写が撮られて
しまうことのとてつもない『違和感』を楽しむ。今回も"それ"は存分に
健在であり中盤まではその猛烈な違和感の苦しみが「パト2」の続編を
観る悦びを大きく超えていて苦痛だった。
この原因は、恐らく、押井は撮影に入る前にかなり明確な役者の動きと
画のパースのコンテを切ってしまい、渡された以降の作業を担う人間は、
そのコンテを忠実に再現しようとすることにあるだろう。アニメーション
では監督の意図通りに"絵"にすることは当たり前の当たり前であろうが、
実写でそれをやってしまうと、世にも奇妙でひどく幻惑的で、観客に
大きなストレスを与えることになってなってしまう。
押井の実写映画はどのシーンも脳内でアニメーションに変換してみると
その多くは賞賛に値する絵であるが、実際の建物やオブジェ、その中で
動く人間の配置と演技にするとなぜにこれほど観ていて困惑するのだろうか。
そして、押井は恐らくかなり前からこのことについて知りながら
確信犯的に続けている。
実写においては、監督やプロデゥーサーの意図、構築したい世界観を
撮影監督やプロダクション・デザイナーが一旦引き受けて「この世界」に
おいてロケハンをして、セットをデザインして組んで全部置き換えるので
出来上がった絵は現実世界そのものに見えるか、時にはそれを凌駕する。
かの黒澤明は伝説の撮影監督宮川 一夫になかなかファインダーを
覗かせてもらえなかったと言うし、小津や溝口、あるいは相米慎二といった
伝説の監督達は「撮影」(≒出来上がってくる絵)というものについては
良い意味で匠の腕を持った撮影監督に任せ、意図的に距離を置いていた。
それにしても、今回は全編隅々まで並々ならぬ「パト2」愛が漲って
おり秀逸なアクション・シーンも多く、それなりに楽しく見れた。
役者陣の中では筧利夫が経験値の高さと踏んできた場数の多さで
二歩も三歩リードして流石の貫禄で映画を最後まで引っ張った。
"先代"のワールドをどこまでもどこまでもひたすら守りぬく"後藤田"さん(!)
を好演かつ熱演。拍手!
泉野明("いずみのあ"ではない)演じる真野恵里菜にはもっともっと
活躍して欲しかったが「それ(活躍させない)」が押井版パトレイバーの世界。
篠原遊馬ならぬ塩原佑馬を演じる福士誠治もなんとなく"篠原遊馬"
していて良かった。 太田莉菜演じる謎の美女カーシャとの死闘では
「ア痛タタ、、」では到底済まない重体レベルのはずだけども。篠原重工の
御曹司ではなくなったパラレルな世界の塩原が戦う理由も考えられているの
だろうきっと。
孤軍奮闘する後藤田さんのお相手高畑慧を演じる高島礼子は
南雲しのぶに美味しいところを持っていかれて変に損な役回りだが
まあまあの存在感。案外、演じられる裾野が広い女優さんでは
なかろうかと思う。
エンドロールでは"操演"の文字が自分には引っかかった。
そう、遂に起動する『パトレイバー』泉野明("いずみのあ"ではない)の
搭乗するイングラムは職人技の操演と恐らくは部分的にCGにより思いの
ほか良く動くが、「それ」は篠原重工によって製作された工業製品の
匂いとメカニズムを感じることが残念ながら出来なかった。硬質の
フレームとボルトが幾つにも重層に組まれた、それでいて滑らかな
『機構』を感じさせて欲しかった。
"Japan as No.1"は幾つもの時代で、無数の工業製品が世界を席巻し
今、この瞬間も世界中で駆動し続け、輝き続けているのに、映画では
実在の物であれ、架空の物であれ、なぜにその輝きと重厚さは描けない
のか。作り手の苦渋の選択の末であることは理解するが、それにしても
そろそろ何とかしてほしいところだ。それぞれに良い作品・良いシーンは
"点"としては幾つもあるだろうから、それらを"線"として繋ぎ、邦画
としての厚みを着実に増していって欲しい。
本作は実にユニーク極まる実験であり、自分は奇妙過ぎるテイストを
自分なりに楽しめた。
押井がかつて語っていた
「河と、橋の物語」
「"あちら側"(彼岸)と"こちら側"(現実)の物語」
「PATLABOR2」の世界観をフル・セルフ・レンタルして
本作では実写で"彼なりに出来た"のではなかろうか。
ゆうきまさみとヘッドギアのメンバーを筆頭にして生み出し、時間をかけて
育んできた「PATLABOR」の世界。これからも多くの人々を楽しませて
ほしいものだ。
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