映画「失われた週末」
「失われた週末」
The Lost Weekend
原作: チャールズ・ジャクソン
監督: ビリー・ワイルダー
脚本: チャールズ・ブラケット,ビリー・ワイルダー
撮影: ジョン・サイツ
音楽: ミクロス・ローザ
特殊効果: ゴードン・ジェニングス
出演: レイ・ミランド,ジェーン・ワイマン,フィリップ・テリー,ドリス・ダウリング
ハワード・ダ・シルヴァ,フランク・フェイレン
時間: 101分 (1時間41分)
製作年: 1945年/アメリカ
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)
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主人公の男が"酒に呑まれ壊れていくいく様"を名匠ビリー・ワイルダーが描く。
オープニングの高層建築物の爽快さ。
1945年という「時代」当時の"無傷のアメリカの大都市"の姿
は、日本人の一人としてはまずは溜息と大きな感慨を受けてしまう。
力強い演出と、舞台設定の確かさ、美術、音楽の融合の高さは流石の一言。
幻覚症状(蝙蝠などの小動物の跋扈)の描写は今であれば、CGが遺憾なく
能力を発揮できるところであろうが、こちらも演出上必要なレベルでの
『幻覚の恐怖』の映像化
という目的は充分に果たしておりプロ中のプロの仕事である。
主人公役のレイ・ミランドの演技は過剰か?力入れすぎか?物語を
越えているようで精神の均衡を「本気で来たしているよう」にも思える。
中毒症状の演技が迫真過ぎて物語を観る余裕(兄の苦悩・恋人の献身の
美しさ)を観客から奪っているともいえる。 演"技"なのかどうは本人に
聞いてみたいところだ。
内容からするに「失われた週末」というよりも「恐怖の週末」の方が
よりふさわしい。レイ・ミランドの"不安定さの迫真性の面"がより買われた
ようで後年はB級SF作品に顔を出している。機会があれば
「X線の眼を持つ男 -X」(1963)とか見てみたい。
レイ・ミランドのフィルモグラフィーを眺めると氏のキャリアは本作が
ピークと思え果たして「汚名を返上した」と言えるのかは微妙である。
アル中(アルコール依存症)は永続的な治療が必要な『病気』であることは
現代では周知の事実であり、個人の力ではどうしようもない。というか、
個人の力で何とかしようとしてはいけない。無用な不幸の連鎖が拡大する
だけだからだ。
だから、中毒症状が
「酒を止められない本人の意志の弱さによるものだ。」
というのも実は誤謬である。そして、この誤謬は今現在でも往々にして
見られる。映画に誤謬はつき物だとも言える。そして、人生とは誤謬の
連続とその結果なのだから本作を批難したところで仕方がないのかもしれない。
wikiによれば
・アルコール依存症を初めてテーマの根本に置いた作品
・テルミンを初めて使用された作品。
・レイ・ミランドは主演男優賞受賞のスピーチで何も語らず
(劇中の演技バランスを見ると残念ながら?納得のエピソードである)
ある本によれば、飲酒が発端である諸現象(壊れていくご本人と
その周辺)"全て"を体系的に俯瞰して見るに、それは充分に"複雑系"
と呼べて、すなわち、
『酒は生命体である』ということに帰納出来るそうな。。
で、あるからして
酒に捕食されている(されていく)人間達
という構図で世間を見直せば、世界中で行われている(行われていく)
凄惨な光景と醜態は納得であるからやはり、酒は生命体なのかもしれぬ。
本作での自覚が足りないとはいえ、不可抗力によって狂乱に堕ち
人生の歯車が刻一刻と壊れていく主人公を眺めていて、「酒」という
キーワードを「資本主義」または、「社会主義」または、「全体主義」という
それぞれに厄介な言葉(一種の生命体?)に換えても成立しそうな気がした。
それは、ワイルダーを棟梁にした製作者達のテーマの捉え方が正鵠を
射ているからであり、時代を超えて評価されている理由なのだろう。
我々人類に残された有効な対抗策は古来より、たった一つしか
あるまいて。それは、、
酒は飲んでも、呑まれるな。
以上。m(_ _)m
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