映画「青春の殺人者」
「青春の殺人者」
原題名: 青春の殺人者
原作: 中上健次
監督: 長谷川和彦
脚本: 田村孟
撮影: 鈴木達夫
音楽: ゴダイゴ
編集: 山地早智子
出演: 水谷豊,原田美枝子,内田良平, 市原悦子,白川和子,桃井かおり,地井武男
時間: 132分 (時間分)
製作年: 1976年/日本 ATG
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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順(水谷豊)は父からの資金を元手にケイ子(原田美枝子)とスナックを経営して
いるが、自分が本当に何をやりたいのか、何をやりたかったのか判らず懊悩
する日々を送っている。自動車整備工場を営む実家に仕方なしに寄った日、
父といつもの口論になり、、
自分の人生を自らの力で軌道に乗せることがどうしても出来ない主人公の
"アマちゃん"振りにやや辟易。70年代という時代の申し子なのか?と思いつつ
鑑賞。
幼少の頃から物を与えられは中途半端に取り上げられるという"仕打ち"を
受けて成人してしまった順という青年には「復讐するは我にあり」(1979)で
緒方拳が演じる榎津巌(えのきづ いわお)との類似性と、違いを感じる。
類似性は、人を殺める心理的過程において、そして、両者の大きな違いは、
榎津は殺人ということに自らを没入させていくことを選択し、世の中を欺くために、
復讐を"継続"する為にひたすら殺人を繰り返していく。しかし、順は、そこから
逃げ続けていく。
順は、殺人を含むあらゆる自分の責任からの徹底的な逃避を続けるという
安易さ(逃避を選択するわけではなく、『選択と決定』そのものから逃避する)
以外には何もなく後味が悪い。その後味の悪さに観客はどこかで大きな共感を
感じてしまうことを拒否できず、それが本作のリアリティと魅力であり、その
テイストが実は『青春』という厄介なキーワードと符号する。
後半、浜辺で悔恨に涙する順の空想のシーンは本作のハイライトである。
無力感をかみ締め、彼女のケイ子ですらも、自力で得たものではないことを
悟り、ケイ子が過去に大きな傷を負っている(それ自体にも順は何も関与
できない)ことを自覚するシーンと、
「順自身が唯一主体的に行った(衝動的)行動」
とが交差するシーンは映画の持つ固有の力で表現されており美しい。
この時点で、主人公は、
『自分の力の全てを駆使して自身こそを抹殺すべきだ』
という結論に達するべきではなかったか。そうできなかったのはある種の
「時代の罪」ではないかという気がしないでもない。
他者の命を消滅させた人間が自分の命"だけ"をひたすら大事に
して生き延びていく。
父との破綻。
母との破綻。
スナックの破綻。
ケイ子との破綻。
人生という河の中をただ漂流していくしかない自分自身の破綻。。
原作では、順は、ケイ子という"蛇のような女"に呑みこまれていくという
シチュエーションであるという。原田美枝子演じるケイ子のゴーイング・マイ・ウェイ
振りと、時折見せる平気で嘘を付くキャラクターとそれに翻弄され、混乱し、
人生を狂わせていく順という形で、その片鱗は作品に仄かに残っている。
順は、自身で壊しているのに他者に人生を狂わされていくことを口実に
し続けていることに気づいてはいるがどこまでも自分に向かい合うことが
出来ない。
という設定は本作において、大成功しているといってよく、脚本の田村孟の
功績が大きいだろう。田村孟は大島渚監督作品「絞首刑」(1968)においても
難解なテーマを切れ味よく、しかもコミカルに仕上げている。
監督の長谷川和彦(通称"ゴジ")を始め、スタッフも出演者も皆、若く
ゴジの初監督作品ということもあってか原田美枝子によれば、現場は
常にとてつもない「カオス」であったとのこと。
ATGによる製作は資金も乏しく、フィルムが尽きても買う金もないという
中で撮影は続けられた。製作現場の切迫感と、順とケイ子の哀しい
(もしかしたら幸福な)青春の物語の末路と、70年代中葉という時代は、
劇的な相乗効果を果たし、どんなに資金をかけた絢爛豪華なスペクタクル
シーンにも劣らないクライマックスシーンの「崩壊」とラストに結実している。
順の友人の桃井かおりを主人公にした8mm映像作品が物語の中で
とても良いアクセントとインターミッションになっている。
"杉田二郎"というまだ当時無名といってもいい助監督の一人が撮った「作品」
であり、順が高校時代に自分で撮ったという設定なので、長谷川和彦によると、
撮影監督の鈴木達夫が撮ったのでは上手すぎ、かといって自分(長谷川)では
下手過ぎるということで「誰か、高校時代に8mm兄ちゃんだった奴はいないのか」
という長谷川の一声の下?、杉田に白羽の矢が当たったとか。
かつて、成田闘争や学生運動の闘士だった杉田二郎はこの作品の
前後において人生の大きなターニングポイントを迎えて、長谷川和彦の
第二回監督作品「太陽を盗んだ男」(1979)の製作を助監督として支え、
やがて、「セーラー服と機関銃」(1981)、「ションベン・ライダー」(1983)、
「魚影の群れ」(1983)、「お引越し」(1993)等々の邦画史に輝く傑作を
遺す日本を代表する映画監督になる。
製作過程とその成立自体が、本編に負けず劣らず『青春』そのものと
なることが映画の現場においては往々にして起こる。その化学作用と
混沌とした軌道は作品のクオリティに決定的な影響を与え、確かな
下支えとして観客の心に無意識に届く。本作は"それ"でったといえるだろう。
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