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2015年10月 3日 (土)

日本の夏、映画の夏、戦争と平和、ニ○一五年。

 
 

 夏になると、我々日本人は『あの戦争』について語り、それに連動して
映画館は戦争に関する映画の特集を各館で組んでくれて大変に有難い。
今年の夏は特にこれまで何度も見逃してしまっていた幾つかの作品を
スクリーンで観る機会に恵まれた。長年見逃していただけでに、感動も、
観ることが出来たことの感激も割り増しされて楽しむことが出来た。

 しかし、自分としては
『戦争をきちんと描いている』と認定できる作品

はただの一本のみで、後は、

人間という集団の固まりとしての諸行の「支離滅裂さ」と、「いい加減さ」を、

『戦争のせいに擦りつけている』

としか思えない、または、擦りつけている自覚すらも全く感じられないか、
あるいは、故意によるものかであった。その作為、または不作為を
楽しむことこそ戦争映画を観る醍醐味なのかもしれないとすら改めて
思った夏でもあった。

 自分が子供の頃は、毎年夏になると、やはり、夏とは、すなわち
戦争が語れる季節であったが、同時に

「もう、風物詩のように"戦争"を語るのは止めようではないか」
という論調も毎度のように見た。

 それは、

もう戦争を毎年、毎年振り返るのは止めよう。

 という意見にも見えるし、

夏になったら、戦争を語り、また一年後。という軽薄なことは止めよう。

 という意見にも見えた。どちらかというと後者だったのだろう。

しかし、それから、自分の感覚としては

夏の風物詩のように戦争は語られていったように思う。

 それから、時は流れ、大学生くらいの時には

「風物詩であろうが、一過性であろうが、とにかく一年に一度"戦争"
を語る時期があるというのは良いことではないか。戦争を語らなくなる
よりは」

という意見を見るようになり、自分もその意見を取る。そして、
今年の夏は、政治的な一つの区切りの年となったせいか、
戦争映画から何かを学ぼうというような姿勢が例年になく、感じられ、
自分が鑑賞に足を運んだ劇場は概ね民の姿勢は熱心で「それ自体は」
よかったように思う。

 そんなわけで、今年も夏が来た。

 ある晴天の日、自分は都内の劇場に居た。開場を待っていると、
某老女の腕に巻いている物が目に飛び込んだ。

「○○政権を許さない」と太字で書いてあった。どうも手製のものでは
なさそうでどこかで大量に作って配っているものなのだろうかと思われた。

 開場までまだ時間があったので、自分は思わず尋ねてみようと思った。

「もしもし、お尋ねしますが、○○政権の一体何を許さないのですか?

「○○政権の政策の何を許さないのですか?

「○○政権の某政策はまさか首相の独断で作られていると思っていませんか?

「どんな政権だろうと日本で作られる政策なんてほとんど官僚まかせで
大臣なんて何も知らないし、事実上何の権限もないの知っていますか?

「○○政権はそろそろ数次に渡っていますが具体的に誰を許さないのですか?
そもそも、閣僚の名前少しでも言えますか?許せないのが閣僚の誰かであれば
その人の公約している政策知っていますか?

「自分が許せないと仰っているネタが本当に○○政権で始まっていることだと
確証ありますか?疑ってみるということを少しでもしていますか?ご自分で少しでも
経緯を調べた上で○○政権を許せないと自分の意見として思っていますか?
誰かにそうしろと言われていませんか?気分だけで仰っていませんか?

「もしも、はっきりとした根拠もなく、何となくという気分だけで、腕に巻いて、
何となく気分だけで大声を上げているのだとしたらそれは、あなた方が
日々罵倒して憎悪して止まないあの時代の、あの戦争の、あの空気
醸造した人々と一体何が違うのでしょうか?
私には、何から何まで、全く同一に
見えるのですが、どう思われますか?

 そういった事を矢継早に聞いてみたい衝動に駆られたが止めておいた。
ただの一つも答えられそうもなかったからだ。

 映画が始まった。ある時代を生きた人のドキュメンタリーだった。
『あの戦争』の点(事実)をひどく歪んだ線(ある特定の見解)で繋いだ偏向して
いるとしか思えない酷いナレーションが入ってせっかくの貴重な映像と証言
を台無しにして作品を貶めていた。

 「どうして、ここまで露骨に偏向しているのだろう」

と怒りよりも、呆れと感嘆の声を内心で上げた。

 エンドクレジットを見ると、やはり思想的に偏った団体が多数並んでいた。
今度は、怒りを感じた。恐らくは資金を出すだけでなく、内容にも大いに口を
挟み、ナレーションまでチェックしているように思われたからだ。映画作りに
関して根本的に反則をしているとしか思えない。
主張していることが偏向して
いて許せないというよりも、単純に門外漢が資金を出していることを後ろ盾にして
嘘を強要することにより作品の質を落としていることに、だ。

 上映が全て終了すると、ごく数人、もしかしたら一人の小さな拍手が起こった。
上記の反則していると思われる点を除いたとしても、正直に言って、拍手を
したくなるような優れた作品にはなっていなかった。
ごく善良な一般的な知識と
教養を持つ市井の人間が見れば、本質的には優良な作品が、浅墓且つ軽薄な
論調のナレーションで台無しになっていることに心を痛めないではいられない
はずであった。

 とすると、"その拍手"は作品を台無しにしている偏向した主張に当てられて
いるということになる。冷房以上の寒気がした。

 国のバランスを欠いた軍事力と、脆弱な政治・経済、国際情勢に関する無知
と不見識。その総体「あの時代」「あの戦争」作った

 内容と事実を無視して、何が何でも自分たちの主張を通し、その主張には
何らのバックボーン・裏づけを持たず、確固とした責任を取る自覚も気概も
無い主張。

 どうか考えても「不気味なまでに美しい」とすら言える相似形を描いている
としか思えない。

 今年の夏の青い空と白い雲と、蝉の声と、やたらと目に付いた相似形は、
「あの時代」と、「あの戦争」を嫌でも思わせた。

 人は何も変わらない。この100年でそんなに変わっていない。
だから、飽くことなく同じ事をしてる。ただ、それだけの事なのかも知れない。

 夏は、瞬く間に過ぎて行った。私自身にとっては、静かで、穏やかで
夏らしく暑い2015年の夏であった。


  

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コメント

いやーまじで
○○政権の悪いところを詳細に説明できる人ってどんだけいるんですかね
聞いたら
「戦争を起こそうとしているから」
としか答えない人が多い気がしますなー

腕に巻く腕章も
戦時中の愛国たすきを連想させますなー

投稿: 万物創造房店主 | 2015年10月 5日 (月) 03時18分

別件で検索していたらば、、
見つけたっす。

「ルサンチマン」って言葉は知っていたけども。

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ルサンチマン
ルサンチマン(仏: ressentiment)とは、主に弱者が強者に対して、
「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことを言う。

社会的な弱者はルサンチマンから逃れられない。
フラストレーションをむしろ肯定し、何もできないことを
正当化するようになる。社会的な価値観を否定したり、
反転した解釈を行うようになる。こういった自分の陥っている
状態を正当化しようとする願望こそ、奴隷精神の最大の特徴であるとする。

こうしたルサンチマンの表れの例として、敵を想定し、その対比として
自己の正当性を主張するイデオロギーにある。こういったイデオロギーは、
敵が悪の元凶とし、だから反対に自分は道徳的に優れていると
主張する。「彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ」ということになる。

敵として想定される存在は、自分が無力だと感じさせる対象が
選ばれる。例えば、貧しさに無力を感じるルサンチマンの敵は
資本家や大企業となる。

さらに、そのルサンチマンの敵が拡大すると、対象が社会全体になる。
「世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがって
われわれのほうが世界より優れている」と拡大解釈されるようにもなる。
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「彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ」ということになる。

「世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがって
われわれのほうが世界より優れている」と拡大解釈されるようにもなる。

「彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ」ということになる。

「世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがって
われわれのほうが世界より優れている」と拡大解釈されるようにもなる。

なんだか、ズバリいい得てるすね。。(ーー;)


投稿: kuroneko | 2015年10月 9日 (金) 01時01分

そもそも僕の音楽原点がパンク少年なので
基本姿勢反権力なんですけど

日本の総理大臣自体が
もはや権力の象徴たりえないので

反権力の行き先がなくて悲しいですね

改革派総理大臣をなんとか引きずり下ろそうとする
既得権益権力こそ
巨大権力なのに
それに気づかず踊っている若者はかわいそうだなー

投稿: 万物創造房店主 | 2015年10月11日 (日) 18時50分

>日本の総理大臣自体が
もはや権力の象徴たりえないので
 
日本の総理大臣が権力の象徴足りえたのは
東條英機(1884-1948)

田中角栄(1918-1993)
ってなもんで、
そもそも
議会制民主主義
のわが国において
首相を権力者として見るのは
誤解か
不勉強による無知か
悪意か
ですね。
まあ勉強する機会なんて基本はなくて
当たり前だから仕方ないけども。
(^^;)
 
 
>反権力の行き先がなくて悲しいですね
 
そもそも"反権力"自体が「空」だと思います。
中身は自分で作らないといけない。
20世紀に入ってから現在に至るまで
日本の"反権力"は「空」であったというのが
現時点での自分の結論です。
『太平洋戦争』
という絶後の『体制』ですら
"反権力"の人々はきちんと反抗できたとは
とても言い難い。
それは『戦後』という物が如実に表していると
思うです。
 
 
>それに気づかず踊っている若者はかわいそうだなー
 
自分は全然可哀相に思えないすねー(一_一)
彼らに引きずられていく我々庶民とこの国こそ
可哀相だと思うっす。。。
(ノД`;)
  
まあ、「若者」なんてものは、いつの時代も
大方はしょーもない者達すねー
 
自分の興味のある対象に向かって
謙虚になって進んでいくことを指し示すのが
大人の使命かと思います。
o( ̄^ ̄)o

投稿: kuroneko | 2015年10月14日 (水) 00時15分

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