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2015年12月31日 (木)

旅2015 「東京~豊橋(三)」

旅2015 「東京~豊橋(三)」

 東京から、豊橋へ向かって短い旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。。

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11月15日(日) 晴れ  第3日目 豊橋~上前津~東京
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 昨日までの天候とは一転して穏やかに晴れた朝を迎える。
「昨夜はゆっくり眠れたよ。」とFさん。駅まで送ってくださるとのことで
所有のローバー・ミニで到着。荷物をまとめて、既に懐かしい
"グラインドハウス"を後にする。

 「気分的には、このままどこかに繰り出してもいいんだけどね。」
とFさん。だが土日連続では流石に申し訳なく、日曜日の今日は
家族サービスもあるだろうからそのまま駅に向かう。

 今後、また今回のように豊橋で皆で会うこともきっとあるだろう。
Fさんと豊橋で合流して京都に向かうこともあるかもしれない。
グラインドハウスにバイクで唐突にお邪魔して映画談義をすることも、
もしかしあたらあるかもしれない。それは、半年後の事なのかも
しれない。一年後の事なのかもしれない。。

 「また、会おう。」
 駅前でそんな会話を交わして、Fさんは車で去っていかれた。

 二晩の間に話し合った幾つかのアイデアは何かの形となって今後
進展するかもしれない。そこから、Fさんの映画と「ある人」との巡り合い
について、幾つかの"謎"について、解明をみるかもしれない。自分は、
自分の生まれた時代背景との相関についてより理解する日が来るの
かもしれない。

 "その日"は、きっとやって来るだろう。

 お疲れ様でした。ホスト役ご苦労様でした。グラインドハウス快適でした!

 豊橋から金山へ向かい、そこで荷物を預け、Fさんの指南通り、
上前津(かみまえづ)へ向かった。電車内では、観光と思われる
アジア系の若者達や出稼ぎ目的で日本に来て定住していると思われる
中東系の女性の姿などを見る。何となく海外旅行気分を味わう。

 駅にほど近い目的地の大須商店街は寂れた感じを勝手に想像していたが、
大変な活況と賑わいを見せていた。アーケードの通りは人混みでまともに
歩けないくらい。

 時間に余裕があったので商店街の近くにあるという古本街は少し後にして、
しばらく商店街を歩いた後、昼食を摂るための店を物色。

 旅の最後の食事となるので余りいい加減には決めたくないこともあって
しばらく何店か眺め歩いて、メインストリームの裏通りにある軽食屋に決定。
千円ちょっとの鳥の照り焼きをメインにしたランチメニューをオーダー。

 「当たり」の店を引いたらしく、ご飯やおかずの量はやや少なめ
ながら、お米も肉も材料は全体的によく吟味してあるらしく美味。
持論である「美味しい物は量が少なめでも満足度と満腹度が高い」
立証するような料理だった。

 セットメニューに付くコーヒーは量がたっぷりで、有り難いことに客は
常連と思われる主婦が一人来店しただけで静かな時間が店内に流れる。

 棚にあった名古屋の歴史の写真集を何となく手に取って眺めつつ、
メールを打ちつつ、旅の終わりを楽しむ。写真集は、戦前・戦中の写真が
割と多く載っていて、今年の夏は数は多くはないが長年見たかった戦争を
テーマにした映画を幾つか観れたので振り返るのに調度よく、戦災孤児達の
写真を見て小津安二郎の身勝手な大人達を辛辣なユーモアを交えて描いた
戦後復帰作「長屋紳士録」(1947)や、数年前に観た清水宏の戦災孤児達を
主人公にした傑作「大仏さまと子供たち」(1952)を思い出したり。

 店を一人で切り盛りしているらしい女将に勘定を済ませる時に
ゆっくりできたお礼を言うと素敵な笑顔を返してくれた。

 御馳走様でした。大変美味しかったです。

 この街に来た目的である古本街に向かう。場所を人に聞きながら
辿り着いてみると古本街と言ってもほんの三軒がやや離れてある
ばかりで一軒は昔ながらの雑然と本が所狭しと積んである感じが
好ましく、揃えてある本もこだわりが感じられ客もそれなりにいた。
近くにあればきっと通っていただろう。二冊ほど戦争をテーマにした
本を購入。他の二軒は整理され過ぎている感じが自分には余り面白味を
感じさせなかった。やはり古本屋は雑然さと店主のこだわりが大事
だと思われる。全部で三冊購入。映画パンフレットも欲しいのが
あったが、帰宅するまでに折れてしまう心配があったので買わず。

 ここ数日天候が悪かったこともあって、午後の日射しが歩いていて
心地よくもあったが、早めに街を後にして再び、豊橋に戻り、そして
東京へと向かった。

 新幹線は関東圏に近づき、富士山の緩やかな斜面が車窓から
見えた時に急に感慨が湧いた。こんな夕方の時刻に関西方面から
新幹線で帰ってくるのは初めてかもしれない。夕日に染まる富士を
見ながらバイクに乗っては御殿場方面に繰り出していた学生時代を
思い出した。

 夕暮れ時から闇は急速に濃くなり、東京に着くまでの残り僅かな時間を
眠ろうとした時に、車内の電光掲示板のニュースが目に入った。

 "...死者は150人以上に上る模様..."

 詳細は何も判らなかった。

 「何か事故でもあったのかな。それにしても死者数が多いな。。

 横浜が近づき、ほんの短い眠りに落ちたかと思う間に東京に着いた。
午後6時着。出発してから調度48時間が経っていた。

「48時間の脱獄か。。」独りで呟いた。 

 旅の終わりにはいつも「明日からは少しは何かが違うだろう。」
と思い、「そんな思いはどうせ数日も持たないだろう。」と
もう一人の自分が嘲笑う。

「今回は、多分、違うよ。」

とさらにもう一人の自分が嘲笑う自分を否定した。

 自分の暮らしは表向きは何ら変わらないだろうが、、漠然と思案
しつつ山の手線に乗った。

 「世界」の方がこの日を境にまた一つ大きく変わってしまったことを
この時の自分はまだ知らなかった。

 "9.11","3.11"に続いてまた一つ数字が刻まれてしまったことを。

 だが、それは、チョムスキーの言う
「先進国と自称する国にとっては驚天動地で重大で悪質なテロであり、
戦争行為であるが、そうでない一部の国や人々にとっては、ごく日常的に
否応なしに繰り返されてきた出来事に過ぎない」
事でもあった。

 世界はこの日から、より野蛮で、より過激な暴力の応酬と、
その口実作りにいそしむことになる。

 48時間の旅、ささやかな"プリズン・ブレイク"は終わりを告げた。 

 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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