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2015年12月30日 (水)

旅2015 「東京~豊橋(二)」

旅2015 「東京~豊橋(二)」

 東京から、豊橋へ向かって短い旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。。

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11月14日(土) 雨/曇り  第2日目 豊橋
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○グラインドハウスにて。暴風の朝をウダウダと過ごす。

 午前9時頃起床。昨晩は慌ただしく合流しつつ、歓談しつつ、
飲み食いしつつ、映画を見つつだったせいか、小一時間ほど、
寝袋に入ったままウダウダと話をする。合宿気分が楽すい。
グラインドハウス館長Fさんから朝食をどうするかメールが来る。
代表で店主さんが回答。
 
 
○喫茶店にて。男達は、ロマンポルノについて展望す。

 雨の中を歩いて某喫茶店へ。「レザボアドッグス」(1991)の
ワンシーンのように男達はテーブルを囲みそれぞれモーニング・セット
をほうばりつつ、「ロマン・ポルノ」の過去・現在・未来について
語り合う。

 自分はここで一回テンションが落ちて再起動。日常から離れて
24時間程度経つと起こるいつもの症状。
「この店はバターとジャムの量が多くて、素敵だなあ」などと思いつつ
会話に参加。

 喫茶店を出ると、雨は上がり、街は雨上がり特有の輝きを醸し出し始めた。

 「"北野ブルー"みたいな感じでいいですね。」  

ベジ君がカメラを取り出し、一瞬で過ぎ去ろうとする「街の光」を捉える
ことに挑みつ呟き、同意する。
 
 
○ブッ○○フにて。修正資本主義社会の現状を満喫す。

 皆でブッ○○フに行く。Fさん、店主さんはよく行くらしく、
獲物を捕らえた猛禽類のように漫画・CD・書籍といった各コーナーに
喰らいつき楽しそうだ。

 自分はブッ○○フは一時期、錬金術の行使の為に利用していたが、
かなりご無沙汰で巷のマテリアル・ワールドのトレンドを傍観する。
いつか大人買いしてまとめて読もうと思っている連載中の某漫画を
見つけ、随分な巻数になっていることに関心(安心)したり。
 
 
○豊橋映画祭企画ポスター展へ繰り出す。

 豊橋映画祭の主要企画?の一つ某デパートで開催されている
映画ポスター展へ繰り出す。

 デパートといっても棟の半分以上か3分の2程度もテナントが撤退
していて、その為にエレベーターの止まる階すらもまちまちといった
故郷の現状にFさんは大いに憂いつつ案内してくださる。

 展示されていたポスターは高倉健と菅原文太主演作品が中心。
というかほぼ彼らの追悼特集といった趣。皆、そこそこ観ている
作品も多く、他に客も居らず、4人で盛り上がる。

 松田優作主演の遊戯シリーズのポスターなどもあり見入る。
ベジ君が優作作品はほとんど観たことがないと言うので、幾度となく
観ている大好きな作品「野獣死すべし」(1980)などについて熱く語る。

 冒頭の大雨の中の長回しのシーンがいかに素晴らしいかを話すと、
Fさんも「あのシーン、最高だよね。」と激しく同意。
同作品中のハイライトの一つ、列車内での優作演じる伊達が室田日出男
演じる刑事に延々と毒つく圧巻の独白シーンについても話すと
「それは忘れた」とのFさんのお答え。

 優作が諸事情のドタバタの中で監督を引き受けた迷作?
「ア・ホーマンス」(1986)や優作の役者人生の転機ともなった作品
「ヨコハマBJブルース」(1981)なども勧める。

 映画談義をしつつ、各々、思い思いにポスターを撮影。任侠映画の
ポスターの前でFさんが演出を加えつつ撮って下さったりと恐縮。

 他の客や主催者がただの一人も入ってくる気配もなく、撤収。
 
  
○「ブラタモリ」風に。男達は、街を徘徊す。

 散策の中心となった廃れた商店街は川を完全に覆い、地下に閉じ
込めることで地表に生み出した土地の上に丸ごと作られおり、建物
群全体が川の流れの軌跡のままに緩やかなRを描いているのが面白い。

 Fさんの思い出を伺いつつ、何となく皆で散策する。少年時代の当時、
周辺は活気に溢れ、少年たちも住んでいるエリアでそれぞれ独自の
"カラー"があってそういったバイアスを強く意識して過ごしていた
幼少時代の話等々。

 この街もまた、日本中の地方という地方が直面し続けている問題、

センター(街の中核)というものが失われて、人々が集い、マネーが
廻っていく

 という構造を失って長い時が過ぎたであろうことを強く感じる。

各世代が一同に中心に集まる構造を取り戻すことは不可能に近い。
では、どうするか?全国自治体の取り組みと挫折の無数の繰り返しも
また長い年月を迎えている。

 「昼飯はどうするかね、諸君。」Fさんの問いかけの中、一旦は
美味しそうな匂いを出していたお好み焼き屋に決定するが満席で
入れず。一転して、ベジ君カーを出動してFさんお勧めのカレー屋へ
向かうことに。
 
 
○カレー屋にて。男達は、談笑しつつナンを食す。

 食べ比べしようと、全員が異なるカレーをオーダーする。
ナンが熱々で、柔らかくて美味。喜んでガツガツと食べる我々を
見てホストのFさんも満足そうである。

 カレー屋の近くに一軒、"庭"にこだわりを見せるレストランが
あってFさんはそこも甲乙つけ難くお勧めだとナンをほお張りつつ
言う。

「晩飯の時に(その店に)行ってもいいですよ」( ̄∇ ̄;)

と既にこの時点で二泊することにほぼ決めていたのでエゴ丸出しの
意見を述べてみるが、店主さんとベジ君は今日の夜に帰らなくては
ならないので当然のように却下。。
 
 
○修正資本主義社会の現状を満喫す(Part.Ⅱ)。

 小さな骨董屋に寄った後にやや大きなリサイクルショップに向かう。
食玩やキャラクター物のフィギア、プラモなど大量に取り扱っており
各々、物色す。

 展示してある某アニメ作品?の美少女フィギアのほぼ完璧といって
いい立体化の完成度に驚嘆しつつも、厳然とした2次元との違いに
ついてぼやっと考えてみる。

 次元の違いと、その違いにより、キャラクターを取り巻く空間から
発生する指向の受ける人間側の大きな相違。学問として成立する
ような気がしつつ、或いはとっくに成立しているかもと思いつつ
フィギアを鑑賞。

「やはり、二次元物(アニメ)のキャラは二次元のままがいいっすかねー」と
呟くと店主さんが"獲物"を抱えつつ「そんなこともないすよ」と異論を述べる。

 すでに時刻は夕方を迎え、外は暗くなりつつあったが、店主さんの
購買意欲は衰えることもなく、抱えるプラモの箱は積み上がっていく。
レア度と商品自体の完成度・造形のレベルを保ったチョイスに関心しつつ、
自分も幾つかフィギアを購入する。

 店の外に出るとすでに辺りは暗くなり、再び雨が降り出していた。

 音楽を聴きつつ、ベジ君カーでグラインドハウスに向かう。ベジ君が
以前より表明していたプログレを開拓している話になる。

 「"プログレ"は、何をもって"プログレ"と定義するの?」とベジ君に
質問してみると

「それまでの既成概念音楽を覆そうと、アグレッシブに、プログレス
(前進)することを試みている音楽。あるいは、試みる人々」

ということになるらしい。そして70年代の一時期という隆盛期間の
短さもまた音楽という壮大な、広大で且つ深い歴史を持つジャンルの
中で抗いつつも、新しさを追及するという「アグレッシブに、プログレスする」
ことの困難さが理由らしい。

 今後もプログレを含めた未知の音楽の領域に向かってベジ君には
大いに「アグレッシブに、プログレ」してほしいものだと思いつつ、
窓から雨と暗い空を眺める。

 ほどなくグラインドハウスに帰還。
 
 
○豊橋映画サミット Vol.2 開始

[3] 「ニンジャ Ninja III: The Domination」
監督:サム・ファーステンバーグ
脚本:ジェームズ・R・シルク
撮影:ハナニア・ベア
出演:ショー・コスギ,ルシンダ・ディッキー
(1984/アメリカ) [カラー 90分] [☆☆☆☆] 

 妖しい刀を譲り受けた女性(ルシンダ・ディッキー)が次第に
精神を刀の主?に乗っ取られて女NinjaAとして目覚めていく
(蝕まれていく)という三作目にして「普通の映画」っぽい展開に
サミットメンバーの評価は分かれる。自分としては、I,Ⅱの迷走感が
ほぼなくなったことと、物語の佳境で登場するショー・コスギの
キャラクターとしての安定感の抜群さ、ルシンダ・ディッキー
の演技とスタントを両方を卒なくこなしている点、ラブ・ストーリー
も一応入っている点などの土台の上にNinja映画が成立している
点を評価。

 シリーズ三作を見終わって、全体としてはⅡの出来が良く、
ⅠのOPが素晴らし過ぎるという結論になる。改めてIのOPだけを
再生して観てそのカッコよさとワールドの完成度を皆で堪能する。

[4] 「ショー・コスギ'88 復讐遊戯」
監督:ゴードン・へスラー
出演:ショー・コスギ、ルイス・ヴァン・バーゲン
(1987/アメリカ・アルゼンチン) [カラー] [☆☆☆☆] 

 一連のNinjaシリーズ等のヒットで名声を得たショー・コスギが
麻薬捜査官という渋い役でアクションだけが売り物じゃない点に
重点が置かれたと思われる作品。店主さんが、日本人が主役として
白人女性をパートナーにしてきちんと対等に扱われて描写
されている点
について力説する。自分としては1980年代の後半
にしても、逆にまだまだそういった西高東低な「壁」が厳然とある
事実について考えさせられる。ショー・コスギの達成した偉業に
ついては今後さらに検証と再評価が必要と思われる。

 クライマックスでは、麻薬捜査官であるショー・コスギが犯人を
最終的に死に貶めるのではなく、犯人が自ら墓穴を掘って死ぬ
という理由付けにするためにそれまで展開されてきた派手な
アクションに比べやや判りにくく地味な結末になっているが、
アクション重視の作品においてもそういったキャラクターの
行動の動機や理由というものは作品の質に影響を与える
大事な点であることを認識。
 
 
○京都組、出立す。

 時刻は夜の9時を回り、ベジ君は明日仕事!ということで
ここで一旦、映画サミットはお開きとなる。またしても降り出す
雨の中、店主さん、ベジ君二人を見送る。ベジ君カーは街の中へ
消えていった。

お疲れ様でした。また、今度!\(^^)/
 
 

○男達は三度、コンビニへ向かう。

 とりあえず、まずはコンビニに行こうということになる。
酒もつまみもまだあるということでカップ麺を買う。
 
 
○豊橋映画サミット Vol.3 開始
  
 Fさんとカップ麺を啜りつつ、JACK DANIEL'Sをカパカパと飲みつつ
クンフー映画の系譜的な話と「ある人」『その死』についてを昨夜から
引き続き講義をして頂く。

 深夜に近づく頃、Fさんは明朝9時頃来ることと、戸締り等に
関する注意を告げてご自宅に帰還された。

 明日の朝、起きたらすぐに出られるようにしばらく片付けをして、
寝るだけの準備をした後、Fさんがテーブルに積み上げていった
VHSの一本を再生する。

「ある人」についてのドキュメンタリーと作品のメイキングを観る。
そして、作品の一つを観る。

 それは、単なる映画鑑賞以上の「何か」を感じざるを得ない、
『時の覚醒』とでも呼ぶべき夜であった。

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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