観_16_02_27
都内某所で映画を観る。激闘の一週間が終わる。
終わるといっても数十時間のポージング(一時停止)に過ぎない。
都心への移動中に電車の車内から見える街の景色と暖かくなってきた陽気と
日射しに癒される。
今は、何も考えなくていいんだ。今だけは。
景色をぼんやりと眺めながら自分に言いか聞かせる。
家を昼頃出たので上映まで余り時間がないが久しぶりに古本屋に向かう。
300円で映画関連のムックを購入。
読みたい傾向の本があって少しだけ探す。時間がないので見つかるはずも
ないが、こういう探すひとときは短くとも楽しい。
「ずっとこうしていたい。」と、ふと思う。
お昼時なので、いつ、いかなる時も混んでいるいつもの定食屋は当然のように
激込みであり店内で立って待っている人がいるほどなので諦めてコンビニで
パンを買って劇場に向かう。
映画館に着くと、予定の作品も含めて別の作品も今日、明日と連投で
幾つか見るはずだったことを思い出し、しばし固まる。
結局、来週の仕事の工程も含めて一週間の予定を大幅に組み替えて
何とか対応することに。
或る「壊れた人間」についての作品を観る。眼前の光景には撮影監督の
意図がまずあって、監督は基本的に脚本を尊重して作品を作り、俳優は
脚本を読んで、監督の意図を理解し、期待に応えるために"演技"をする。
編集者は編集者の意図でフィルムを繋ぐ。
であるから、その"壊れた人間"なる描写はどのセクションの産物なのか
などと思いながら鑑賞。案外、安易に監督だけに所産の結果を帰納しても
どうよなどとと思う。
春に向かっていく特有の緊張感。この緊張感を今年は楽しめる
だろうか。
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