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2016年3月20日 (日)

映画「気違い部落」

「気違い部落」

原作: きだみのる(「気違い部落周遊紀行」)
監督: 渋谷実
脚本: 菊島隆三
撮影: 長岡博之
美術: 浜田辰雄
音楽: 黛敏郎
出演: 伊藤雄之助,淡島千景,水野久美,石浜朗,伴淳三郎,森繁久彌

時間: 119分 (1時間59分)
製作年: 1957年/日本 松竹

(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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日本のどこかにきっとあるであろう「気違い部落」。よそ者が来れば、嫌がらせを
して追い払い、村民同士は互いに猜疑心に凝り固まっていながらも、日々の奇妙な
"閉鎖空間における共同生活"を楽しんで生きていく人々を鬼才渋谷が活写する。
 
  
 奇人・変人・強欲張りの全部かいずれかの村民の衆にあって、淡島千景は
"美人で普通過ぎて"逆に割りを食ってしまっているが、別段、本人の責任
ではない。

 淡島千景の持つ自然体の清潔感と、"醸し出す美"が息が詰まるほどにむさ
苦しくて、"ウザイ
"集団の物語である本作の風通しを良くして換気の役割を
果たしている。

『ウザイ人間達』

をこれでもかと描く本作は、日本の『負の縮図』を鋭く風刺して描きつつ
どこまでも「エンタメ出来ている」。淡島のキャスティングも渋谷の計算なのだろう。

 クライマックスの雨の中を荷車を押す孤立した家族、それを見守る村民
カットはゾッとするくらいに完璧な構図と美しさだ。

 戦後日本の「一個人」として、「父親」として、「夫」として、「男」として、「百姓」として、
「村を愛する人間」として、苦悩し続ける伊藤雄之助もまた素晴らしい

 自立した一個人として生きられない人間の弱さと狡さを執拗に描きながら
「自分達もその一員なのだ」という監督の渋谷の視点には全くブレがない

 出来そうで出来ない本当の意味での知性と教養の高いポジションが安易な
共感や安っぽい感傷を避けて「感動」を生むのだろう。

 村人達もパーソナリティの帰結として愚かなのではなく、成熟できない
資本主義と、戦後の試行錯誤の段階の社会構造から、保身と、利己的行動
から、集団としての不正に走る

 「駐在さん」が絶妙に村民達が最底辺に堕ちていくのを食い止めるバランサー
として、作品が下品にならないセーフネットとして機能している。何よりも、
渋谷の人間を"観る眼"そのものがシニカルに見えて、実はとても温かく浅墓な
行動を軽蔑しながらも理解と同情に溢れているからだろう。

 本作品が制作から半世紀以上も経った今においても普通に観ることが
出来ない理由は伊藤雄之助演じる主人公がいつか悟るように21世紀の今も
我々の国は

      気違い部落

であるからに他ならない。

 「彼ら」は他ならない「我々」なのだ。

 今までも。きっと、これからも

 

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