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2016年4月 8日 (金)

映画「ラルジャン」

「ラルジャン」
L'Argent

原作: L・N・トルストイ
監督: ロベール・ブレッソン
脚本: ロベール・ブレッソン
撮影: エマニュエル・マシュエル,パスクァリーノ・デ・サンティス
音楽: バッハ
出演: クリスチャン・パティ,カロリーヌ・ラング,バンサン・リステルッチ,
マリアンヌ・キュオー

時間: 84分 (1時間24分)
製作年: 1983年/フランス,スイス

(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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 父親への賃上げ要求を却下された青年は友人に借金の"かた"に時計を渡す。
友人は少年に偽札を渡し、一緒に使おうとある店に向かう。店では偽札を掴まれた
ことを隠蔽するために店員の男に虚偽を働くように進める。小事は蓄積し、やがて
一人の青年が破滅へと向かう。。
 
 
 物語全体が「いじめ」の構図と同じではないかと思いながら観た。破滅していく
孤独な青年は、全くの潔白とは言えないものの、劇中において最も悲惨な結末を
迎え、周囲も道連れにしていくわけだが、最も情状酌量の余地があるとも言える。

 そもそもの発端は、偽札を使った不良青年達と被害者であることを届け出ない
店の人間である。彼らが「当事者」そのものでありながら、徹頭徹尾「傍観者」を
決め込み、自分達が関与した証拠を消していくために何も知らない主人公の
青年が全ての因果を背負っていく
ことになり、この青年の憎しみは後半の
決定的な出来事により蓄積量を超え、無制限に放出することになり、やがて
青年は『モンスター』となる。

 物語として優れているのは、怪物が誕生するまでの描写は小さな出来事の
積み重ねであり、"それ"は人々の事勿れ主義日和見傍観連続
あって世界中の誰もが一日に数回は行っているであろう「悪事」であるという点を
丹念に描いていることにある。

 青年が逮捕され監獄で降ろされるシーンと、少し後で不良青年が同じく
捕まって運ばれてくるシーンは何から何まで同じ画面構成で描かれていて
"ギャグ"の基本中の基本「繰り返し」が教科書的に出来ていて楽しい。

 不良青年達の運ばれてくるすぐ横に救急車で先に収監されていた主人公の
青年が自殺未遂の為に入院先から戻されてきて笑えるシーンではないと言えば
ないのだが。同じ事の繰り返しが"重なって"きてやがてカオスとカタストロフィに
見舞われるというのは映画の運動力学として、また基幹構造として重要な
ファクターであって本作はきちんと出来ている。

 監獄での食事のシーンが奇妙に印象に残る。フランス=何でも芸術的で小粋
という洗脳がされているので受刑者用の食事用として並んでいるだけの小瓶や
皿が何だか"おされ"に見えてしまう。。

 受刑者達も楽しそうに談笑したりしてワインの瓶が回されても(回されないが)
何の違和感も感じずに観てしまいそうだ。

 ここでも不器用な主人公の青年は、受刑者達の間で看守も巻き込んだ厳密に
存在する集団としてのヒエラルキーに生真面目ゆえに加わることが出来ずに、
それゆえに不必要に損をし、人生への破滅の歯車を自ら回してしまうことになる。

 社会でも監獄の中でも"正直者が馬鹿を見る世界"であることに変わりはない。
ここでも「いじめ」の構図と同じである。「動機」も「原因も追究されることはなく、
"刃"を受け止めた者が激高し事件が起こった時に打算的にあつ着地点に到達する
だけなのだ。

 大人しいか、法的に差し障りの無い『羊』を生贄にして。

 結末については、「80年代的だなあ」と根拠も無く思った。70年代、60年代、
50年代であれば同じような結末であれ、描写の仕方や結末の前のシーンとかも
各年代で大きく違ったものになるように思う。

 世界戦争が終わったことによる"蜜"のようなものを吸い尽くしたことが、誰の目
にも明らかになってきた80年代の鏡の一つとして、本作の結末はあるのではない
だろうか。

 特に後半のスリリングはであるが、唐突感とスタイリッシュな感じは、本作の
制作時に80歳を越えていた巨匠の遺作とは思えない。

 "若い"とは、"老いが無い"とはこういうことを言うのか。。

 映画としては優れているが、青年達や登場人物達のリアルな無責任さに
やや嫌気も指し、時間は長く感じられた。今後、もう一度観返した時には、素直に
賞賛する自分がいるように思う。

 イジメを止めたかったらば、資本主義も、社会主義も、どちらかに似たイズムも
止めたらいい。それか、戦争をしたらいい。

 しかし、どんな"主義"を止めようとも、戦争をしようとも、同様か、それ以上の
災禍しか我々は作れないことを『歴史』が証明している。

 イジメも、お好みのままの不完全な社会システムや、その不完全な社会システムの
延長である戦争も、その全ては我々が作り出すものだ。

 愚劣なる炎の中に、"光り輝く肯定すべきSomething"もまた出現するからこそ
歴史は続き、物語も作られてきた。
 
 ロベール・ブレッソンの描く世界は、いつだって新しい。

 そんな気がする。

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