映画「ヴェラの祈り」
「ヴェラの祈り」
Изгнание
原作: ウィリアム・サロイヤン
監督: アンドレイ・ズビャギンツェフ
脚本: アルチョム・メルクミヤン,アンドレイ・ズビャギンツェフ,オレグ・ネギン
撮影: ミハイル・クリチマン
音楽: アンドレイ・デルガチョフ
編集: アンナ・マス
出演: コンスタンチン・ラヴロネンコ,マリア・ボネヴィー,アレクサンドル・バルーエフ,
マキシム・シバエフ,カーチャ・クルキナ,ドミトリー・ウリヤノフ,アナトリー・ゴルグリ
時間: 157分 (2時間37分)
製作年: 2007年/ロシア
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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美しい妻と、二人の子供を持つ中年のアレックスは、兄との"仕事"を片付けて
今日も家路に着いた。家族を連れて田舎に休暇に出かけたアレックスは、妻の
ヴェラから告白を受ける。「子供が出来た。でも、貴方の子ではない。」と。。
撮影担当は「エレナの惑い」(2011)と同じくミハイル・クリチマン。
全体の色調が程よく暗くて、とても美しい。一つ一つのショットがどれも"絵画"として
成立するほどに完成している。「エレナの惑い」についても同様の輝きを放っている。
"映画における傑作が満たす黄金律"として、映像の細部をいつまでも眺めていたく
なるものだがアンドレイ・ズビャギンツェフとミハイル・クリチマンの作品はこの点に
おいて文句なく合格である。
ヴェラは、アレックスを長(おさ)とした絶対的なヒエラルキーを否定はしないものの、
『それが、この宇宙の全てだ。』と言わんばかりのアレックスに絶望を感じて生きて
いる。しかし、家族=常識という重力のように、空気のように存在する"力"の外に
成層圏があり、無重力空間があり、宇宙は広がっていて、自分達と地球はその広大な
世界の中の一粒に過ぎないという概念をヴェラはアレックスに説明をする"術"を持た
ない自分にもまた絶望してしまう。
命は、親が与えるかもしれないが、命は、親やその血の奴隷では、決してない。
命は、その誕生から、終焉の瞬間まで、『命、それ自身の物』である。
言葉としては簡単であるが、この通りに生きられる生命及び人間は極めて幸せ
であり、全体としてはきっと稀であろう。特に、我々人間という種においては。
アレックスと兄のキャスティングと演技が自然発生的でとても良い。
彼らは、堅気の人生は送って来ていない。兄は結婚はしたもののとっくの昔に破綻
して、子供達は妻に任せ、そのことを内心で気楽だと感じている。弟のアレックスは、
そんな兄を嫌悪するが、兄弟の絆は固く、そして仲がいい。
兄弟二人は、自分達が決して自慢できる人生などは送っていないが、兄は弟の
アレックスを愛し、アレックスの家族を愛し、ヴェラを、子供達を"彼らなりに"
必死に守ろうとする。
家族が『自分の全て』であり、その外の事など意識に置かないことこそ、ヴェラと
子供達への「愛の証」だと信じきって生きているアレックスにとって、ヴェラは
「気が狂っている」としか思えないだろう。
アレックスはまるで、
「やがて人は、空も海も自在に行き来して、別の星を目指す。」
と主張した人間を狂人扱いにして、場合によっては命を奪った中世の価値観の人間と
化している。
子供達が夜遅くまで興じるパズルの絵は「受胎告知」である。
ヴェラの孤独は、理解される日は来るのだろうか。
ヴェラの"祈り"は、アレックスに届く日は来るのだろうか。
アンドレイ・ズビャギンツェフは、何を描くべきか知っていて、しかも、描くべきことを
描ける真の映画監督と言えるだろう。何て凄い才能だろうか。
長い夜は、いつか明けるのだろうか。
人類は、いつ、他者の苦しみと価値観を共有できるのだろうか。
或いは、共感できていた事をすっかり忘れてしまったのだろうか。
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