映画「あゝ同期の桜」
「あゝ同期の桜」
監督: 中島貞夫
脚本: 須崎勝弥,中島貞夫
撮影: 赤塚滋
音楽: 鏑木創
美術: 鈴木孝俊
出演: 鶴田浩二,高倉健,松方弘樹,千葉真一,佐久間良子,藤純子
時間: 107分 (1時間47分)
製作年: 1967年/日本
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)
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実際の学徒出陣・特攻攻撃の映像と、物語がリンクして描写されていく。
"鶴田浩二と高倉健"というビッグネームの共演。
同じ空間・フレーム内に「二人がいる」こと。
それは最早、「永遠に失われた光景」であることにただ涙、ただ興奮。
鶴田浩二は、実人生において、整備士として特攻隊員を間近で見て、見送ったという
前半生を持つこともあり、戦争映画での彼の演技にはいつも「漲る何か」を感じる。
制作年当時20代前半の余りにも初々しい蟹江敬三、同じく当時20代後半の千葉真一の
気合いが入り過ぎている演技が観ていて実に楽しい。
千葉真一の海を眺めながら軽快に唄う"ダンチョネ節"は、
「『映画を観る愉しさ』とは、本来こういうものなのかもしれない。」
と理屈抜きに納得する秀逸なシーン。
要所要所の締め、ラストの出撃シーン、中盤の整備兵と飛行士達の歓送迎シーンの
"空気"も「出来ている」。
或いは、特権階級意識の"空気"も。
学徒出陣を「強いられた世代」の結束と、大人達への痛烈な恨みは、戦後の捩れた
平和観、形振り構わない平和、国への不信感のネガとポジのように感じる。
その次の世代の子供たちは「理由の判らない不信感"のみ"」を植えつけられ、
国家・体制に徹底的に背きつつ、国家・体制を腐らせつつ、その維持費を貪ることを
『正義』とした反抗心だけを植えつけられ、
その結果として、現代の若者達の絶望と国家存亡の危機は、結局の所、根本的には
70年前、そしてそれより以前から起こっているジェネレーション・ギャップ世代間の断絶
であり、何ら変わらない同じスキームであるとも言える。
ある種における特権階級達の物語、飢えや、"階級的暴力"による
「銃後の死と絶望」
等々についてはまだまだこれから、捏造や体制を貶める材料にされることを目的化
することを避けて地道に検証され続けていく必要がある。
「帽振れ!」
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