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2016年6月25日 (土)

映画「新宿泥棒日記」

「新宿泥棒日記」

監督: 大島渚   
脚本: 田村孟,佐々木守,足立正生,大島渚   
撮影: 吉岡康弘,仙元誠三   
美術: 戸田重昌
編集: 大島渚
出演: 横尾忠則,横山リエ,田辺茂一,高橋鐡,佐藤慶,渡辺文雄,戸浦六宏,唐十郎,
麿赤兒,大久保鷹,四谷シモン,不破万作,九頭登,藤原マキ,李礼仙   

時間: 96分 (1時間36分)
製作年: 1969年/日本 創造社

(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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万引きした青年(横尾忠則)を見つけた女性店員(横山リエ)は社長室に青年を
連れていく。社長は青年が同じ塾の後輩にあたることと、青年自体に興味を持ち許す。
青年はその後も万引きを重ね、女性店員と懇意になっていく。。


 "唐十郎"、"状況劇場"、"横尾忠則"、"大島渚"、"大島組俳優達"。
それぞれがそれぞれに伝説と化している今、同じフィルム内で演じ、論じ、
『状況』は流れていく。ただそれだけで珠玉といってもいい作品だろう。

 そして、

『彼等』が『彼等』である『理由』。

『彼等』が『彼等』である『特権』と、

その特権ゆえの『後ろめたさ』『あがき』の記録でもある。

 体制を破壊することを自分達の使命とどこまでも信じ、それゆえに性からの
開放の側に立っていると信じ、

『その自らの言葉にどこまでも縛られている』
ことを恐らく大島渚は徹底して見抜き、暴いている。

 佐藤慶ただ一人のみが、明確に、自分は、自分の側だと主張し続ける。
彼は多くの作品で官吏または官吏的な役柄を演じているが、同時に同じ役柄に
おいて、人間臭い面を意図的に必ず織り込むこととの共通項がその主張に垣間
見える。

 唐十郎の肉体のツヤと張り、自信と確信に満ちた表情。漲る"生命"そのもの。
そして、そこから発せられるあらゆる膨大な無数のガジェット。 

 大島の諸作品は、恐らく計算され抜いた内部告発である。

 余りに計算され過ぎていて、大島の苦悩の果ての結果として、論じることに
時間を消費して、その背景を疑うことをしなかったであろう同時代の多くの人には
真意は判らなかったのではなかろうか。

 大島と、脚本を構築した人々の裏の思いは「東京戦争戦後秘話」(1970)での
主人公が希求した方向性であり、本作でそれを体現しているのは紀伊国屋の
社長その人なのではあるまいか。

 "彼等"の行為が「コップの中の嵐」だとどこまでにも見抜き、暖かく見守り、
援助もし、可能な限り付き合おうとする。しかし、彼等が大きく道を誤っている
ことに最初から気付いている。

 "彼等"は、彼等の意味不明な言動と行動の果てに殉職した人々をどう思って
いるのだろうか。何も思わないだろか。命を落として当然だと思うだろうか。

 その命の価値はゼロだというのだろうか。自分達の唾と言葉の方が価値が
あると断言するのだろうか。

 果たして、『泥棒』とは一体誰なのだろうか。

 自分達は一体、何を言って、何をしたのだろうか?
 それは何のためだったのだろうか?

『革命』の為?

『民衆』の為?

『平和の為?

 物を盗み、破壊し、警察・政治家・自衛隊・それらの機構を侮蔑し、いたずらに
費用を捻出させ、嘘をつき、労働を拒否し、勤勉に努める者の足を引っ張り、
妨害する。

 "それ"は、『何のため』だったのだろうか??

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