映画「山猫」
「山猫」
IL GATTOPARDO
THE LEOPARD
原作: ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ
監督: ルキノ・ヴィスコンティ
脚本: スーゾ・チェッキ・ダミーコ,パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ,
エンリコ・メディオーリ,マッシモ・フランチオーザ,ルキノ・ヴィスコンティ
撮影: ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽: ニーノ・ロータ,ジュゼッペ・ヴェルディ
出演: バート・ランカスター,アラン・ドロン,クラウディア・カルディナーレ,
リナ・モレリ,パオロ・ストッパ,ジュリアーノ・ジェンマ,オッタヴィア・ピッコロ,
ピエール・クレマンティ,ロモロ・ヴァリ,セルジュ・レジアニ,イヴォ・ガラーニ,
アイダ・ガリ,マリオ・ジロッティ
時間: 161分 (2時間41分)
製作年: 1963年/イタリア・フランス
完全版
時間: 187分 (3時間7分)
製作年: 2003年/イタリア・フランス
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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老いた貴族サリーナ公爵(バート・ランカスター)は、一族で朝の祈りを捧げていたが
使用人達の喧騒に厳粛な祈りの静寂は破られる。庭で若い兵士の死体が見つかっ
たのだ。甥のタンクレディ(アラン・ドロン)は、自分達の生活と存在を根底から脅かす
であろう反体制側の義勇軍に志願すると言って、屈託なく別れを告げる。サリーナは
甥の若さゆえの勢いに戸惑いを感じつつも快く送り出す。内戦の混乱と時代の変化は
すぐそこまで来ていた。。
朝の祈祷のシーン、イタリア語の中で「アベ・マリア」の単語だけが何度か
聞き取れる。
義勇軍に志願する"タンクレディ"と、一族との別れのシーン、幼なじみの女性の
容姿は、まるでアングルの描く貴族の女性がそのまま出現したようである。全編に
おいて古典主義・ロマン主義的な西洋画の構図そのままのシーンが出現する。
オープニングのすぐ後、絶世の美男子アラン・ドロンが「さようなら」と叫びながら
駆け抜けていくシーンでは物語はクライマックス同然に一挙に盛り上がる。
このシーンだけでも充分に観るに値する感涙すべき出来栄え。
「時代の終り」を象徴し、一身で体現するサリーナ公爵を演じ切るバート・ランカスター
が素晴らしい。頼もしく、威厳を保ち、どこまでも「男臭く」、タンクレディの新妻
アンジェリカと踊るシーンでは、タンクレディに歯軋りさせるほどに嫉妬させる。
バート・ランカスターは"男臭さ"においては原田芳男と同じオーラを感じる。
監督のルキノ・ヴィスコンティとアラン・ドロンは蜜月の関係であったが、本作での
ギャラがアラン・ドロンよりもバート・ランカスターの方が高額であったことから二人は
以降、絶縁関係になったとか。
サリーナ公爵は、
親戚同士の結婚が多すぎること、
女性達が豪奢な衣装を着ていながら礼儀作法がなっていないこと
から
『貴族社会の荒廃と終焉』
を敏感に感じ取る。
自分達は、追い立てられ、"棲みか"を失っていくのみの存在であるということに。
それは、まるで、、、
本作は、映画の醍醐味であり、究極のゴールである『時代』を再現することの徹底性と
成功しているレベルという点でのレベルの高さは名作「バリー・リンドン」(1975)と完璧な
双璧を無している。共に撮影に自然光を使っているという点と、展開する画面の比類
なき美しさ。
両作はまるで、俵屋宗達の「風神雷神図」の風神・雷神のようだ。
過ぎ去った何もかもを映し出そうとした先人の偉大な仕事がフィルムに映されている
という奇蹟と、息をのむ『その美しさ』における二重の奇蹟にただただ酔いしれる
だけの至福。
「どう思う?新しい時代は、我々を迎え入れてくれるだろうか?」
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