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2016年6月 5日 (日)

映画「生きている画像」

「生きている画像」

原作: 八田尚之
監督: 千葉泰樹
脚本: 八田尚之
撮影: 河崎喜久三
音楽: 早坂文雄
美術: 下河原友雄
編集: 笠間秀敏
出演: 大河内傳次郎,藤田進,花井蘭子,古川緑波,笠智衆,河村黎吉,清川虹子

時間: 93分 (1時間33分)
製作年: 1948年/日本 新東宝

(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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 名声を確立し、人望もあり、門下生に慕われる洋画家の大家である瓢人
(大河内傳次郎)の下で落選を繰り返す門下生の一人である田西(笠智衆)。
決して挫けずにひたむきな田西に瓢人は敢えて厳しく接する。田西は、
モデルを依頼していた近所に住む美砂子(花井蘭子)と恋仲になり結婚を
決意する。瓢人に結婚の承諾を得ようとするが。。
 
 
 登場人物のキャラクターを俳優陣がきちんと演じ、「伝えたいこと」(主題)という骨が
明確である上に物語が包んでいるとこれほどの感動と力を生むのかというお手本の
ような作品。

 制作(費用)の規模も、セット(美術)も、撮影も、俳優も、全てがベースがしっかり
している上で活きるということがよく判る。

 脚本上の設定を超えて、演技の気迫で門下生を含む登場人物達全てを牽引して
いく瓢人演じる大河内傳次郎が素晴らし過ぎる。彼の演技、一挙手一挙動をただ
眺めるだけでも本作は充分に鑑賞に値する

 瓢人は、描いた画を数枚売れば家が建つほどでありながら、住まいに拘らず、
家族も作らずに門人には謎のような言葉を敢えて言い、誤解も意に介さない。

 『美』という何かに憑りつかれた人間としての生

を全うするためには、金銭なぞは勿論、

 "門人を含む全てを犠牲にする覚悟"

を誰にも隠すことはしない。

 その覚悟を通す為には時には平気で嘘もつく。そういった態度からか南原(藤田進)
のように美と思索の迷宮に陥り酒に溺れるようになっても瓢人は敢えて放置する。
田西もまた、四十路の岐路に立ち、一向に芽が出る気配もなく、金銭的にも困窮が
続く画業の中で、運命のミューズに出会ってしまい悶絶する。

 瓢人はそんな田西に対してもわが子を可愛さの余りに崖から突き落とす厳しい
ライオンの父そのままに破門を辞さない構えすら見せる

 全ては『美』の為に。

 そして、それは、大河内傳次郎自身の歩んだ「俳優」という人生

 全ては『演技』の為に。

 その演技の先にある観客と恐らくは演技を通じて見えてくるであろう

 『美』の為に。

と完全に符合する。

 大河内傳次郎が放つ演技に昇華された『美』の中で、

 ベテラン河村黎吉の朗らかな笑いの「美」、

 花井蘭子の美しい声と、古き良き日本の伝統的な女性の「美」、

 笠智衆の本作で充分に確立している誠実さと堅牢さを滲ませる人柄と演技の「美」、

 それらの華を咲かせる、監督を棟梁とする現場スタッフである裏方の「美」、、

 観客はただ、目の前に視覚的に見えているものだけで感動するわけではないという
ことを演者と製作者がどれだけ判っているかが映画という第七芸術、あるいは第八
芸術とも呼ばれる「総合芸術」に世界中の多くの人々が惹かれてやまないのであろう。

 そして、それは、人間というものが生きてること、人間以外の全てが生きている
ことえを肯定したいというより大きなテーマにも自ずと繋がっていくことすら感じられる
ようになる。

 絵画とは、美を"再現すること"であり、美とは"生命に他ならない"から。

 こういった『生きる』ということに真摯に向き合っていると、観客に伝わる作品という
のは制作年を見ると、やはり、50年代、または40年代という「戦争」の足音が消えて
いない時代の作品であるということに人間の"業"を見てしまうような気がする

 プロットが似たような、あるいは酷似した作品はいつの時代でも、これからも作られて
いくことであろうが、テーマに可能な限り迫ったのだという"証"を是非見せてほしい
ものだ。

 見せつけることが出来ることこそが「技」であり「義務」であり、それが称賛と興行
成績に結びつき、制作に携わった方々が、労苦を多く負担した方にはより多くの
報酬がきちんといく。そんなサイクルもまた観客は望んでいて、"観たい"のである。
少なくとも、自分はそうである。

 監督の千葉泰樹(ちばやすき)(1910-1985)は、ウィキペディアによれば戦時中に
"スラム街に住む日本人職工と在日朝鮮人との交流を描く問題作(『煉瓦女工』)"を
描いて検閲で不許可となったり、戦後には日本映画史上初めてのキスシーン(!)
描いたり(『或る夜の接吻』)、戦後のサラリーマン像、映画におけるサラリーマンの
描写のステロタイプを確立したりと、その功績に対しての評価と知名度は今後、
上がり過ぎるほどの上がってもまだ足りないほどに上がってほしい

 脚本の八田 尚之(はったなおゆき)(1905 - 1964)は、秀作「若い人」(1937)においても、
本作と同様に登場人物の心の機微を細かく描いていて、映画独自が持つ力強さを
伝えている。

 本作は戦後の日本映画に多大な功績と影響を与えた新東宝の制作であり、
そもそも新東宝は、もともと東宝の労働争議の本質的な点に異を唱えた大河内
傳次郎その人をリーダーの一人として俳優陣が自主性を強く表明して生まれた

という経緯がある制作会社である。

 新東宝が生んだ偉大な傑作の一つ「煙突の見える場所」(1953)とテイストが似ている
と思って鑑賞していたが美術監督が下河原友雄(しもがわらともお)で同じである。
丁寧な良い仕事をされている。

 瓢人そのままに、大河内伝次郎の後輩を諭すように、模範を示すように、終始余裕
があって且つ緊張感を一定に持続した演技、酒を燗をする時、美味しそうにそれを
飲む時の何気ない仕草の芝居の細かさの妙。

 当時は中堅・若手に属する笠智衆もまた瓢人に心酔する田西そのままに偉大な
先輩大河内の演技を間近で見て、自分の血肉としていったのではないだろうか。
 

 「珠玉の一品」というのはこういう作品のことを言うのではなかろうか。

  

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