映画「シン・ゴジラ」
「シン・ゴジラ」
総監督:庵野秀明
監督,特技監督:樋口真嗣
准監督,特技統括:尾上克郎
脚本:庵野秀明
撮影:山田康介
音楽:鷺巣詩郎,伊福部昭
美術:林田裕至,佐久嶋依里
美術デザイン:稲付正人
照明:川邉隆之
編集,VFXスーパーバイザー:佐藤敦紀
特殊造形プロデューサー:西村喜廣
画像設計:庵野秀明
音響設計:庵野秀明
特殊造形プロデューサー:西村喜廣
CGプロデューサー:井上浩正
CGディレクター:岩本晶
CGスーパーバイザー:伏見剛
ゴジラコンセプトデザイン:庵野秀明
ゴジライメージデザイン:前田真宏
ゴジラキャラクターデザイン,造形:竹谷隆之
出演: 長谷川博己,竹野内豊,石原さとみ,松尾諭,市川実日子,高良健吾,
大杉漣,柄本明,余貴美子,矢島健一,中村育二,渡辺哲,平泉成,國村隼,嶋田久作,
原一男,犬童一心,塚本晋也,津田寛治,高橋一生,黒田大輔,手塚とおる,鶴見辰吾,
小林隆,橋本じゅん,ピエール瀧,斎藤工,松尾スズキ,古田新太,片桐はいり,野村萬斎
時間: 119分 (1時間59分)
製作年: 2016年/日本 東宝
(満足度:☆☆☆☆☆+)(5個で満点)
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監督兼特技監督の樋口真嗣は、「ゴジラ」(1984)の制作当時において無名の若手
スタッフの一人として参加して現場の最前線で活躍した。時には疲れ果て、同作品の
大きな目玉であった新宿区副都心の精巧なセットの真ん中で大の字で寝たとか。
それから実に30余年、、"真"ゴジラは遂に誕生した。
樋口真嗣は、"ゴジラ"を『哀しみの巨獣である。』と形容した。
自分にとっても、"ゴジラ"とは、つまりは、『哀しみの巨獣』である。
その哀しき巨獣が暴れ廻る様に翻弄され、打ち震える人間模様を存分に愉しむ
作品がとうとう出来上がった。
途中、何度か泣いた。最高の出来の作品の誕生の嬉しさと、特撮映画と、怪獣と、
日本の歩みの"哀しさ"に。隣りの女性も泣いていた。もしかしたら同じ思いだったのかも
しれない。
自衛隊は果敢に立ち向かう。
この国を、東京を、市民の命と財産と生活を守る為に。
当たり前のことが、当たり前に描かれる感動。
多くの俳優が出番が少なく、ギャラも少ないであろう中でそれぞれが持ち味を
発揮する。総じて皆さん、演技に抑制が効いていてとても良かった。
長谷川博己と松尾諭、市川実日子等これからの邦画を引っ張っていってくれる
であろう中堅の人々の演技が安心して観れたのが何よりも嬉しい。高橋一生、
黒田大輔なども実に光っていた。
政治家・官僚として登場した多くのベテラン俳優陣もそれぞれが持ち味を発揮して
いたように思う。柄本明の官房長官、平泉成のおとぼけ総理大臣、國村隼の"軍人"
としての気概、、、
若くして内閣官房長官に抜擢されている矢口蘭堂を演じた主役の長谷川博己。
国を支える仕事に燃えつつ、若さ特有の過剰な自信とその自信を裏打ちする
冷静さとゲームメークの知識と年相応の経験、それゆえに時に直進する危うさ。
そして、ヒーローとして最重要の資質である「仲間に支えられる美質」を持ち合わ
せたキャラクターを一個の人間としてきちんと構築して「演じ」てくれた。
庵野の創造したキャラクターと肉付けした長谷川の融合による"矢口"が主役で
なければ、ユーモアを随所にちりばめながらシリアスな基調、ドキュメンタリー性を
失わずに空想・仮想・仮説的なIfをふんだんに盛り込んだ多層的なエンタテインメント
には成り得なかっただろう。そして、彼らは成功した。
長谷川演じる矢口とは強力なライバルでありながら友人でもあるこちらも若手
保守党政調会長を務める泉修一を演じた松尾諭。
難解な問題が余りに山積し続け、軽いパニックに陥った矢口に
「まずは、君が落ち着け。」と強く制し、ミネラルウオーターを渡して、自分も一口
飲み、一瞬だけ矢口に見せる笑顔は、確実に本作のハイライトの一つであり、
空想科学特撮映画史全体においても名シーンの一つとなったであろう。伝説誕生の
瞬間だ。
机上の案の段階に過ぎない作戦を現実に実行できるレベルに策定し、犠牲を厭わず
確実に実施する統合幕僚長の財前を演じた國村隼。
「礼には及びません。"仕事"ですから。」と冷静な口調で矢口に告げ、やはり
見せる含蓄のある笑み。使命を果たす為に命を賭する危険が常にある部下達と
自分の覚悟、その事に対する誇りと戦後、長らく直面し続けている自衛隊という立ち
位置のジレンマすらも國村はその笑みで表現しているように見えた。こちらも、
胸の熱くなる名シーンだ。
アメリカ大統領特使カヨコ・アン・パタースンを演じた石原さとみは、テレビ特番などで
被曝者や戦争体験者と面会することを割と積極的にしているようで、
「おばあちゃん達が体験したことをこの国で繰り返させたくない。」
というカヨコの台詞と行動にはそれなりの拘りと思いがあったのではなかろか。
ほんの数秒のシーンに、無数の企業が、人が、
『ゴジラ』を"面白くする"。
"本当にそこに存在するかのようにする"。
ただ、ひたすら、その一点のみに向かって協力して作り上げている。
一秒一秒のシーンに打ち震える。涙が何度も込み上げてくる。
政治家、官僚達はいたずらに無能扱いには描かれず、日本列島を蜘蛛の巣の
ように、網の目のように、隅々まで覆うあらゆる利益(膨大な既得権益も含む)の代弁者
であり、守護者であり、庇護者である。という至極当たり前の生身の人間達として
描かれている。
それゆえに、だからこそ、フレキシブルに動くことが出来ないという"苦悩"が
ユーモアとペーソスと皮肉を交えて描かれていく。そして、彼らの決断と行動は、
その苦悩の裏打ちである(べき)ということを、「そうであって欲しい」という
市民の切実な希求を本作は謎の大怪獣ゴジラへの対応にぶつけていく。
見えない無数の阿吽の呼吸でか細い糸を何とか束ねて巨獣と、そして、
『人間』という"もう一つの恐るべき怪獣"に立ち向かっていく。
それが、『日本』という国だから。
それが、日本人だから。
庵野や樋口等は、そんなこの国ので特撮映画を、多くの作品を作ってきた。
俳優達は、演じてきた。
良くも、悪くも、その全体としての膨大な積算の結果として一つの画面が出来上がり
「シン・ゴジラ」という作品に集約された感動。
ゴジラの造形についてはきっと庵野達には『今回を正解(の一つ)にしたい』という
思いが相当に強くあったに違いない。
その一つは、ゴジラ(初代)はニタニタと嗤ったように人間共を見下したよう見える
(怪獣としての不動の地位を持った最重要ファクターの一つであり、勇ましさ等々と
引き換えに失ったその後の長期低迷の主要因の一つ)。また、ゴジラは決して
恐竜ではない。
といった初期コンセプトとスタッフワークの奇蹟的と呼ぶに相応しい素晴らしさを
確実に継承してバージョンアップすることだっただろう。
今回、新作ゴジラの制作と、その容姿が発表された時、確かに『奴』は最初期の
登場時と同じく、こちら(我々の文明・存在)を見て嗤っていた。何ほどもなく軽々と
易々と全否定でき、その実行の為には当然の如くに"首都"東京を目指すであろう。
或いは復讐の為に。
特筆すべきの一つは"背びれ"で、人智を遥かに超えた"系"を見せつけるシン・ゴジラ
のそれは生い茂った樹木のようにも見え、規則立ったマンデルブロ集合のようにも
見えて実に美しい。見とれてしまうほどに。
キャラクターデザインを担当した竹谷隆之は、「シン・ゴジラの頭部はキノコ雲のよう
にも見えて、足元はその超絶な重量によって肉塊は垂れ下がっているように」との
庵野の指示があったと述べている。(頭部のキノコ雲云々については初代ゴジラの
最初期案にあったことは本作の今回のパンフレットを読んで初めて知る)
こうして、ゴジラと特撮映画を最も愛する人間による指示の下、知る人ぞ知る当代
最高の造型師によって歴代で最も美しい背びれであり、最も美しい(=合理的である)
フォルムを持ったゴジラが誕生した。
音楽に目を転じてみると、鷺巣詩郎の曲は悲壮感があって自分は好きだ。
予告編もナイトメアで黙示録で良い。伊福部昭へと過去の作品へのリスペクトも勿論、
大事であるがもっと鷺巣の曲を使ってくれて良かったと思う。
前半の多摩川を挟んだ一大攻防戦では1954年版の初代作品で宣伝用に使用された
スチール写真の構図や、その他のオマージュと考えられる"地上の人間の視点から
見上げた"俯瞰シーンがてんこ盛りでただひたすらニヤニヤ。
序盤は「?」なトリッキーな謎の展開が中盤・後半の大カタストロフィへと心地よく
繋がっていく。
本作で、もしかしたら初めて正面から描かれたであろうこと。
それは、
「当面の問題が去ったところで、本質的な解決には何もなっていない。」
ということを、はっきりと映像と物語を組み合わせて描いたことだろう。
街を蹂躙されたことで、人命が失われた時点で既にはっきりと敗けている。
だからこそ、その後の対処方法が大事でもある。
怪獣(≒災害,紛争,戦争)という物に翻弄されっ放しでいることは国家の消滅にも
繋がる。それは別に怪獣等の"IT"が直接に国家を倒すわけではない。
準備と調査を怠り、後手に回り、実施すべき優先順位を誤り、適材適所の
人材配置を発揮出来ない『人間達』が勝手に自滅するだけだ。
庵野秀明を"大棟梁"にして、樋口真嗣を棟梁にして協力企業の人間をカウント
すれば数千名に上るであろう制作スタッフ陣は"その悪夢"を克明に、ユーモアを
随所にちりばめ、最後の壊滅まではさせまいと懸命に奔走する人々を描き続ける。
終盤の終盤まで、庵野の脚本は
『"この国"で大怪獣を打ち倒すこと』に拘りを見せる。長谷川演じる矢口は
こうあって欲しい国民の夢ともいうべき戦う官吏、司令塔を演じ続ける。
庵野秀明は、「祈り」そのままに本作を作ったに違いない。
同じく庵野秀明が館長を務めた『が特撮博物館』(2012年開催)にて公開された9分の
ミニフィルム「巨神兵東京に現わる」(2012)には本作の主要スタッフがほぼ同じ陣容で
制作しており、9分という短さながらある日突然空を覆う無数の巨神兵のダイナミックで
黙示録的な構図とメカニカルなギミック、高層ビル群に割拠する巨神兵達を
小高い丘の神社から捉えた視点のアナクロ感、破壊願望を満たしてくれる描写は
秀逸で、彼らが数分のフィルムに凝縮させたエッセンスと本作でさらに昇華させたものと
そうでないものの取捨選択を考えてみると興味深い。本作のサブ・テキストとして恰好
の作品であろう。(ビルの破壊描写のミニチュアの構築方法には匠の技そのままに
○○式と考案者の名前で区別されていることをこの作品で初めて知った。)
タイトルの「シン・ゴジラ」は"新","真","神","深"等の色々な字があてられそうで
あり、あてて楽しんで欲しいという意図らしいが、こうして全編観てみると"信","臣",
"進","芯"という字も浮かんでくる気がする。
本作が今後の怪獣映画のニュー・スタンダードとなり当面の"真"打ちであることは
疑いの余地はない。
願わくば、本作のヒットにより邦画の制作環境が、とくに現場の資金運営面において
早期に改善して次の世代が育つ環境がきちんと整備されることを。ベテラン
スタッフが渾身の作品を継続して作っていけることを。
『存在する』とは何だろうか、『作る(造る・創る)』とは何だろうか。
本作を観た後続の人々は称賛し、感嘆した後、きっと自らに問いかけ続け、課題を
見つけ、試行錯誤を繰り返しいつか作品に結実することだろう。
次なる『空想科学特撮映画』に。
素敵な作品をありがとうございました。脱帽でした。
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ゴジラがただ巨大なだけの怪獣とどこが違うといったら、やはり核の恐怖を
背負っているから、いまだにこれだけ語られる存在になっているのでしょうし、
そこから逃げるわけにはいかない。だから理想というか希望も含めて描いたと
というこですね。そういう、単純に勝った・負けたではない別の解答を提示した
ゴジラはこれまでなかったわけですし、そこがこの作品ならではの持ち味であり
最も新しいところかもしれません。
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山内章宏 (「シン・ゴジラ」エクゼクティブプロデューサー)
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あのスピード感に慣れてきたら、他の映画がタルく見えて困っています。
一回観ただけでは分かりにくいところはあるんだけど、何かとんでもないことが
起こっていることは理解できる。セリフ回しも最初は違和感を覚えるんだけど、
次第に「プロって私生活と違うオフィシャルな話し方があって、ああいう感じ
なんだろうな」とか妙に納得しちゃったりそこがまた面白い。なかなか類を
見ないタイプの映画ですからこういう雰囲気のマネした映画も出てくるでしょう。
それくらいのインパクトがあるんです。「こんなの映画じゃない!」と全否定する
人もいると思うし、逆にセオリーにない自由を感じて大絶賛する人も出てくる
はずです。
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尾上克郎 (「シン・ゴジラ」准監督,特技統括)
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外圧への対応を含めて勢いをどうやって止めないようするかですよ。今回の
役割は。もちろん俺は俺なりに「何やってんだろう」みたいに悩みましたよ。
そのとき「待てよ」と思ったわけです。そういえば、俺も大暴れしたのを、
いろんな人に助けられた結果、今ここにいるんだなと。だったら、たまには
誰かのために仕事しようと。結局、そういう大暴れって誰かが受け止めてくれて
成立するわけじゃないですか。じゃあ、順番として今回は俺が助けようと。
尽くそう。尽くしますって。
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樋口真嗣 (「シン・ゴジラ」監督・特技監督/画コンテ)
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結局は、観客、お客さんのリテラシーを信じるやり方なんです。直接的な感情
ドラマを排して、事象と担当者の対処だけでも面白く感じてもらえる想像力と感性を
持ってくれている観客がいてくれるだろうと。どれほどの方(人数)がいてくれのかは
判りませんが、今回も観客を信じる映画作りに徹しています。その上で、本作でも
官僚も閣僚も自衛隊員も御用学者に至るまで、皆、一生懸命に責任と目的意識を
持って自分の仕事をしている、やるべき事を粛々とやっている芝居だけなんですね。
客観的な知性主義で動いて、感情だけでは動かない人物ばかりです。人間の知恵や
努力みたいなところを一般的に分かりやすく、伝わりやすく描きたかったので、
あえて人口知能等の、人によってはSF、夢物語みたく感じられてしまうような描写は
避けて、分かりやすく最小限にストイックにしています。
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庵野秀明 (「シン・ゴジラ」脚本・編集・総監督/音響設計/ゴジラコンセプトデザイン/
画像設計/画コンテ/タイトルデザインロゴ/プリヴィズ企画・監督/[D班]撮影・録音・監督/
予告編演出/宣伝監修・ポスター/チラシデザイン)
「THE ART OF SHIN GODZILLA」より
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