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2016年9月 6日 (火)

二つの"月光"。そして、映画。

 
 

 「アブラハム渓谷」(1993)という映画がある。
数々の秀作・傑作を遺した巨星マノエル・デ・オリヴェイラ(1908-2015)の長編作品
にして傑作の一つである。

 その生涯で多くの男を虜にしながらも、「自己」を決して失わずに常に自由に生きる
主人公の女性エマ。その奔放さが、さらに彼女の魅力を引き立て、男達を狂わして
いく様を、三時間という長尺の中で渓谷を主要且つ重要な舞台として描いている。

 主人公を演じるレオノール・シルヴェイラは"エマ"という女性をおよそ完璧に具現化
していて、余す所がない

 さて、劇中ではドビュッシー(1862-1918)の「月の光」が効果的に使われていて、
エマという魅力的で不思議な女性の高貴さと聡明さ、そして作品全体に満ちている
まるで渓谷を眺めるような透明感と爽快感も表現しているようでもあった。

 曲名が判らず確かにどこかで聴いた音だと、自宅に帰って思いつくままに
キーワードをPCに入力してようやく同曲に辿り着き、軽やかな、無駄を削ぎ落とした
ピアノの音色が紡ぎ出された時の感動はちょっとしたものだった。

 いつしか老成したエマは静かに椅子に座り、自分に近づいてきた男達を思い出して
いるようでもあり、実は、誰一人全く相手にもしていなかったようでもある不思議な
佇まいをその曲は鮮やかに思い出させた。

 何度も聴いているうちにいつのまにかベートーヴェン(1770-1827)の「月光」に辿り
ついた。こちらは、こちらで、月の夜を見事に連想させ、人々はその下では原始に
還り、月への畏怖、夜・闇というものへの恐怖に沈黙するであろう。

 史実としての作曲の動機や経過は異なっているのかもしれないが同じ「月」という
素材を使っていて、その料理の仕方の違いと味は異なるがどちらも美味しくて見事だと
言うしかない。ドビュッシーの作品は牧歌的で、肯定的で明るい。ベートーヴェンの
それは氏の人生と諸作品と共通するように人を突き放すように荒々しくて悲劇的である。

 平日の帰宅した夜、普段はドビュッシーの「月の光」を聴いて、気持ちを落ち着けて
且つ元気を取り戻し、「明日はきっと何とかなるでしょ。」と明るい気持ちに復帰する。

 怒りに駆られた時や気持ちが沈んだ時、問題を解決する前の混乱状態では
ベートーヴェンの「月光」を聴いて、寧ろ気持ちの渦をさらに高めて収拾策を練る為に
自分を鼓舞するというように、どちらかの"月見"を選択する日々が続いている。 

 今夜は、ベートーヴェンの「月光」を聴いている。

 問題は前進しているとは思うが、まだ『解決』はしていないからだ。

 そして、きっと解決させなくてはならない。 

 
  

 

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