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2016年10月28日 (金)

news「三笠宮さま逝去」

  
 

三笠宮さま逝去=100歳、昭和天皇末弟-歴史学者として活躍
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昭和天皇の末弟、天皇陛下の叔父で、古代オリエント史の研究者としても知られる
三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)さまが27日午前8時34分、心不全のため、
入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で亡くなられた。100歳だった。
皇位継承順位は第5位で、明治以降の皇族では最高齢。
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 1915年12月2日、大正天皇の四男として誕生。称号は澄宮(すみのみや)。
学習院初等科、同中等科を経て陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業。成年を迎えた
35年に三笠宮家を創立し、41年10月に子爵・故高木正得氏の次女百合子さまと
結婚。太平洋戦争中の43年1月から1年間、支那派遣軍総司令部参謀として
中国・南京に赴任し、終戦時は陸軍少佐だった。
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 戦後、東大文学部の研究生となり、古代オリエント史研究者の道を歩んだ。
日本オリエント学会の初代会長を務め、東京女子大や青山学院大の講師、東京
芸術大の客員教授などとして教壇に立ち、テレビやラジオなどにも出演。歴史学者の
立場から、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で廃止された紀元節復活の動きに
反対したほか、戦争末期の44年に陸軍を批判した文書が後に見つかり、反響を
呼んだ。

 中近東文化センター名誉総裁、日本・トルコ協会名誉総裁などを務め、国際親善を
はじめ、さまざまな分野に貢献。ダンスにも親しみ、普及に尽力した。著書は「帝王と
墓と民衆」「古代オリエント史と私」「わが歴史研究の七十年」など多数。 
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2016/10/27 19:02 時事通信社
 
 
 顔の容と目に昭和天皇の面影がある。昭和天皇は生物学者であったことは、今や
広く周知されていることだがこちらも研究熱心だったとの事。そして、どちらも軍政に
引っ張られていった戦前の日本を憂慮して、三笠宮においては軍の規律の乱れを
厳しく批判し、終戦工作を図るなど行動としてのエピソードが具体的に多く遺る点も
似ている(昭和天皇は実情を覆い隠そうとする戦中の内閣官僚を時には叱責し、時に
は疎んじた。)。平和を重んじ、正義感に篤い点も同じだ。
 
 
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「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた
世の中を、私は経験してきた」と自らが生きた時代を振り返っている。

「文藝春秋」の1951年(昭和26年)12月号でのイギリス女性との対談では
「天皇への敬礼は強制さるべきではなく、各人の判断のままでよい。頭を
下げる人、手を振る人、あるいは知らん顔をしたり、最悪の場合には『赤んべえ』
をしていても、ちっとも構いません」
と発言。
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ウィキペディア「三笠宮崇仁親王」の項から。
 

 この二つの御発言だけを見てもいかに人格者であり、高い見識を持った方であった
かが窺える。
 
 
「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と
罵られた世の中を、私は経験してきた」
 
 

 残念ながら今でも充分に通じる言葉であり、我々は常に念頭に置いて、考え続けて
よい言葉ではないだろうか。 
 
 
 お疲れ様でした。どうか安らかに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 




 

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