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2017年1月21日 (土)

映画「基礎訓練」

「基礎訓練」
BASIC TRAINING
 
監督: フレデリック・ワイズマン
 
時間: 89分 (1時間29分)
製作年: 1971年/アメリカ

(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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陸軍の一般志願兵の9週間の訓練に密着!
 

 陸軍訓練センターのセンター長は最盛期のロイ・シャイダーとシルベスタ・
スタローンを 7:3 にしたような、"いかにも"という好漢。

 キュブリックの「フルメタル・ジャケット」(1987)そのままの訓練風景であるが、
本家であり、"ほんまもん"の本作を観ると、「フルメタル~」は、大切なメンタル
部分において過大にカリカチュア化されていることが判る

 勿論、映画というエンタテインメントとして演出を加えて、誇張・過大に表現する
こは、軍隊という仕組みの持つ非人間性の側面("個"の抹殺)を強調する手段
として有効であることには違いないが"それだけ"を繋げて「それが、軍隊である。」
としてギャグにしている点
において危険である。

  なぜなら、本当は、もう一つの側面
「個を押し殺さなければ、即、"仲間を危険に晒すことになる"
ということの方こそ、より重要なのだから。

 だからこそ、堕ちこぼれをそのまま放置しておくことは絶対に出来ず
教官は教師か父親同然に堕ちこぼれ、集団行動を乱す人間に多くの時間を割く。

 「言論の自由」を認めることを指導側の人間は"くどいほどに"説く。

 だが、「今この瞬間の賛否については"置いておく"」ことを結果的に強制する

 強制しなくては、軍というものは存在しなくなるからだ。

 個の自由を認めれば、その瞬間に集団そのものが瓦解し敵に殲滅される。

 個を押し殺し、上官の命令に従い、機械的に無駄なく動くことをどこまでも
どこまでも要求される。その結果、少なくない者が自由の無い、肉体の動作と脳の
動きの矛盾の無さに快楽を覚え、"KILLマシーン"と化して行く。。

 チャップリンの歴史的な名作にして傑作「担えつつ」(1918)そのままにぎこちない
動作しか出来ない若者。

 息子が訓練という過程を経て"一人前の人間"になることを微塵も疑わない親子。

 大佐に昇進した男の"目"の純朴さと朴訥さ、妻のどことなく不安な眼差し。

 握られた手と"死の匂い"。アーバン・ライトマン的な視点。。

 戦場を知っている先輩達の経験談としての「議論を置いておくこと」

 そうしなければ、自分が死ぬか仲間が死ぬか部隊が全滅するという"事実"だけ
から、逆算して決められていく全ての規範

 実は、『軍』とは、"性善説"で成り立つ不都合な真実。

 イカレタ人間は「いない」という大前提により成立する訓練

 実銃、実弾の扱い、悩める若者の指導は、指導する側の方が命懸けであり、
指導側も怯えている
ことを集団の規律を乱す者は知っている。

 軍にとっての"内なる敵"は、ヒエラルキーの下にも上にも存在する。

 歯車であることを強制すればするほど、軍という歯車は精密性をより増し、
出力は高くなるが、それに比例して歯車であることを潔しとしない人間が暴走した
時の惨禍もまた極めて大きい。「フルメタル~」の山場でありメイン・テーマでもある。

 歯車を狂わせないことを分単位で諭し続ける軍。

 父性を出して信頼関係を築こうとする教官達。

 ある日のガス室での訓練

 前列二人は、ガスマスクを教官の命令で外し、後列が整列するまでは、どんなに
苦しくても外に出れない。嗚咽を我慢して直立不動でなくてはならない。

 それは、命令の絶対と集団の規律を徹底させる訓練であり、同時に仲間を
"機械的に"見捨てないように叩き込む訓練でもある。

 やがて、「基礎訓練」は実を結んでいく。

 バラバラだったグース・ステップは、綺麗に揃うようになり隊列を乱す者もいなくなる。

 夕焼けの中を行進していく新兵達の先には星条旗が大きくはためく

 訓練終了を迎えた新兵達に見える自信と誇り。

 閲兵式は、全体主義も民主主義も同じだ。表面的には。

 法的に国家と不可分とされた"たった一人"またはごく一部の者に忠誠を誓うのか、
法的に国家と不可分とされた"民主主義"に忠誠を誓うかの違い。

 国家と不可分とされた"たった一人"に忠誠を誓うことが、家族と恋人と自分と
民族の歴史と誇りを守ることで、国家と不可分とされた"民主主義"に忠誠を誓う
ことが、家族と恋人と自分と民族の歴史と誇りを守ることあると信じて戦場に赴く
若者達。

 そして、彼らはいつか、どこかの戦場で巡り合い、戦い合う。

 同じ、「基礎訓練」でもどの国の「基礎訓練」を観るかで我々観客の心象は天地
ほどの差を見るであろう。国粋主義の、共産主義の、民主主義の、あるいは、
別の主義の。

 要するに、自分達自身は、

判断基準を何ら持っていないのだということ

に戦慄して映画は終わる。

 本作に映っていた若者達も今や老齢であり、少なくない若者が、或いは、ベトナムで
命を落とし、その若者達の数百倍、数千倍の、或いはそれ以上のベトナムの若者達、
多くの国の人々が命を落とした。

 そして、ベトナム戦争終結後、ベトナム軍はカンボジアに進軍し、日本の左翼を
自認する人間達をひどく失望させ、混乱させた。   

 戦争に勝つとは「基礎訓練」の賜物でもあるだろう。戦争に負けるとは、
「基礎訓練」が疎かであるか、方法が間違っているから(いたから)であるのかもしれ
ない。

 訓練、訓練、訓練、、、

 

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