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2017年5月 1日 (月)

映画「この首一万石」

「この首一万石」

原作: 伊藤大輔
監督: 伊藤大輔
脚本: 伊藤大輔
撮影: 吉田貞次
美術: 桂長四郎
音楽: 伊福部昭
出演: 大川橋蔵,江利チエミ,堺駿二,平幹二朗,藤原釜足,水原弘,大坂志郎,
原健策,東野英治郎,原田甲子郎,河野秋武,香川良介,赤木春恵,吉田義夫

時間: 93分 (1時間33分)
製作年: 1963年/日本

(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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 オープニングの字の血の色と"首"をイメージする導入部の人々の撮り方。
これから描かれていく物語を強く暗示する首切りカット

 細部に至る小道具と描写の素晴らしさ。人々の日常の描写。富士山を捉えた
ダイナミックな描写と室内、最後の立ち回りの対比の的確さ。

 それは、封建体制の揺るがない構図そのものを現しているようにも見える。

 刻一刻と状況が変わっていく時間変化のフィルムの美しさ。夕暮れから夜へと。
提灯の明かりの美しさ。

 本陣の場所の取り合いと、四十六万石の雄藩と僅か一万石の小藩の馬鹿し合い
抱えるスタッフの層の厚さと、そこから来る問題処理能力の圧倒的な違い

 アチャラ槍("アチャラ"はサンスクリット語で「不動」を意味する)を巡る侍たちと
人足達の立場の違いの争いは、やがて、最後の「合戦」へと向かっていく。

 本作では、体制批判が主眼ではなく、一本の槍と、主人公の向こう見ずな性格、
侍稼業の"形骸化"と、情報確認の怠りが複合的にもたらす「悲劇」を描いている。

 悲劇を美しく撮る映画技術と溜飲の下げ方は『完璧』と言っていいのではあるまいか。

「封建体制と身分社会による悲劇」

では"なく"て、

「事勿れ主義と自己保身」

から起こる悲劇

つまり、

徳川幕府の安定より始まり、
明治維新が起ころうとも、
幾度の戦争が起こうろとも、
原子爆弾が炸裂しようとも、
国土が焦土となろうとも、
敗戦になろうとも、
津波や地震が来ようとも、
政権交代の名を借りて国が乗っ取られようとも、

日本中の津々浦々で、今までもこれからも
起こり続けるであろう悲劇

 ある一点を除けば、伝説の作品となった。そして、その一点とは、溝口健二が
指摘した映画をダメにする(した)根幹的な点
であり、本作はその指摘を証明する
ケルン的な作品の一つでもある。

 "それ"を差し引いてもにしても、我々日本人の好きな時々刻々状況が変化して
いく描写を捉えた美しい映画であることは間違いない。音楽も大変よろしい。

 撮影監督の吉田貞次(よしださだじ)は、内田吐夢監督の宮本武蔵五部作の後半
(三部~五部)、深作欣二監督の仁義なき戦い全作を担当し、どの作品にも構図と
バランスとして完成した印象深いシーンは多々あり、邦画における貢献はとても大きい。

 また、美術監督の桂長四郎(かつらちょうしろう)の手掛けた「仇討崇禅寺馬場」
(1957)、「怪談お岩の亡霊」(1961)もまた、細部まで配慮が行き届いていて
美しいという点で共通している。

 本作で最も評価すべきは、「撮影と美術の美しさ」と言えるだろう。
 

 もっと"行けた"可能性を秘めた惜しい作品であり秀作
 

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