ある人の死と明日の世界
劉暁波(りゅう ぎょうは,リウ・シャオポー)氏が7月13日に逝去された。享年61歳。
間違いなく、今年そしてここ数年来においては最も死を惜しまれた人となるであろう。
劉氏を知ったのはアメリカ人制作によるドキュメンタリー作品「天安門」(1995)であった。
事件当時、学生達のリーダーだった王丹(おう たん)、ウーアルカイシ、柴玲
(さいれい)、といった主要登場人物を含むほとんどの参加者が、国の民主化を
訴えるといった正当さのアチコチに見える若さゆえの「主張による主張」、
「巨大な体制と闘う高揚感」に前のめりになっている中で、劉氏の主張は
冷静沈着で、筋が通っていて、長期的な戦略を見据え、「本当の人権とは何か」
を考察する力が伝わってくるものだった。
国の表玄関そのものであり恐らく象徴でもある天安門が学生達に占拠されて
政治批判を許し、ソ連との会談でも面子を潰された体制側にとっては強硬手段を
取ってでも(そして、実際にそうなった)"解決"したい事件であった。
事態が切迫し、ある点を超える事が双方にとって極めて重要なカード(しかも
最後の一枚)となり、学生たちの側もその点を理解した上での戦術的な行動に
出ていることを劉氏を始め、既に社会に出た上で国を憂い批判していた人々は
鋭く見抜き、学生達、未来をより良くしていく芽を摘まない為にも『撤退』を丁寧に
繰り返し解く。
そして、状況は最悪の展開を迎えた。劉氏は逃げようと思えば、逃げられたはず
である。自分は当事者ではないと主張し学生たちと距離を置こうとすれば幾らでも
出来た。しかし、そうはせず、言い逃れもせず最重要人物であり最渦中の人間の
一人として逮捕され今日に至ってしまった。
劉氏は、結果的に逮捕されたのではない。年下の者達を庇う為に
『中国の本当のより良き民主的未来』を信じて逃げずに逮捕されたのだ。
「学生達を見殺しにすることは出来ない。」
劉氏が歴史に残る点は、遠い未来を理性的に見越して自身の命の危険よりも
もっと大切な深くて大きな人類的な『何か』を選んだことに他ならない。
国籍・人種を問わず、我々は劉暁波という人物が生きていた事、主張して
いた事、不当な待遇の果てに死なねばならなかった事を知っていくべきである。
それが、自国をより良くしていくことであり、隣国中国をより良くしていくことであり、
世界をより良くしていくことだろう。
私達は、劉暁波という人がいたことを忘れない。忘れてはいけない。
私達は、劉暁波という人が不当に人生の幕を閉ざされたことを忘れてはいけない。
私達は、劉暁波という人が考え、述べたことについて考えていかなくてはいけない。
原子爆弾が広島に投下されてから72年後の日に。
他者を貶めている人々が平然と跋扈している今日という日に。
私は期待する。私が中国で綿々と続いてきた「文字の獄」の最後の被害者に
なることを。表現の自由は人権の基礎で、人間性の根源で、真理の母だ。
言論の自由を封殺するのは、人権を踏みにじり、人間性を窒息させ、真理を
抑圧することだ。
「2009年12月23日に「私に敵はいない」と題する陳述より
[劉暁波]
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劉 暁波(りゅう ぎょうは、リウ・シャオポー、1955年12月28日 -2017年7月13日)は、
中華人民共和国の著作家。元北京師範大学文学部講師。
人権活動や民主化運動に参加し、度々投獄された。
吉林省長春市生まれ。1969年、上山下郷運動が行われている間、父と共に
ホルチン右翼前旗に移る。吉林大学で中国文学を学んだあと、北京師範大学に進学。1984年に修士号取得後、同校で教職に就く。
1980年代半ば、文学評論家李沢厚に対する批判で、中国文壇の「ダークホース」と
呼ばれた。
1988年、「美学と人間的自由」により、同校で文学博士号取得。
その後、オスロ大学、ハワイ大学、コロンビア大学で客員研究員。
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(ウィキペディア日本語版)[2017年8月5日 (土) 17:39 UTC]
[六四天安門事件]
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六四天安門事件(ろくよんてんあんもんじけん)は、1989年6月4日(日曜日)に、
同年4月の胡耀邦元党総書記の死をきっかけとして、中国・北京市にある天安門広場に
民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民
解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺し[1][2])し、
多数の死傷者を出した大量虐殺事件である。
略した通称は六四、また中華人民共和国内の検索エンジンにて、「六四天安門事件」
というキーワードを検索すると接続不可能になることから、「5月35日(5月31日+4日)」、
VIIV(ローマ数字の64)や、「82(8の2乗を表す数学記法で、答えが64=6月4日)」
などを、隠語として使うことがある。
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(ウィキペディア日本語版)[2017年9月4日 (月) 14:16 UTC]
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コメント
死に方がなんか怪しかったですけどね
死は想定外やとしても
洗脳するために薬漬けにでもしたんじゃないですかねー
投稿: 万物創造房店主 | 2017年8月12日 (土) 02時08分
>死は想定外やとしても
逆だと思いますね。
想定内で計算内だと思います。
ここまで延命したのが寧ろ想定外
だったのでは。
投稿: kuroneko | 2017年8月12日 (土) 23時29分
砒素かなんかちょっとづつ盛ってたんですかね…
投稿: 万物創造房店主 | 2017年9月26日 (火) 18時25分
そんな感じでしょ。きっと。
体力・気力を維持させない方法なんて
簡単だし、そうすれば勝手に病気になって
絶命に至ってしまうし
なんとでも言い逃れできますね。
古来からの為政者の常套手段中の常套手段ですね。
事態を悪化の方向に向かわせ後は何もしない。
あらゆる汚い手段を使って改善の方向に向かう芽は
摘む。徹底的に妨害する。
さうして
「私達は、何もしていない」
と平然と宣う。
奥様の劉霞(りゅうか)さん
もこのままじゃ危ないぞえ
(`ε´)
投稿: kuroneko | 2017年9月28日 (木) 23時51分