既_17_11_15
この季節に珍しいのかどうかは判らないが、帰り道の道端にやけに
鮮やかな花が咲いている。
調べれば何の花か判るだろうが、
「何の花だろう。」と思い巡らしながら通り過ぎるのが最近の
小さな日課になっている。
暗い夜道の僅かな灯りを受けて浮かび上がる花。
「既視感」がネットの海の中を漂っている。
判りやすい例は「バブル」だろう。
そして、資本主義、貨幣経済、既存の体制といったものへの"ある種の行動"に
ついても既視感を指摘する記事がやや目立つ。
二十数年かそこら経てば、時代は一巡するということなのだろう。
そのある種の行動を見て、同じような事を言って、同じような行動に走り、
同じような結末を辿った異なる時代を生きた人々の事を思い出しつつ、
さて、現在進行形のそれらについては、何がどのように同じで
違うのかを思いながら、花を眺めながら、
陽はまた昇る。
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