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2017年12月29日 (金)

映画「ブレードランナー2049」

「ブレードランナー2049」
BLADE RUNNER 2049


キャラクター創造: フィリップ・K・ディック   
原案: ハンプトン・ファンチャー   
監督: ドゥニ・ヴィルヌーヴ
脚本: ハンプトン・ファンチャー,マイケル・グリーン   
撮影: ロジャー・ディーキンス
プロダクションデザイン: デニス・ガスナー   
衣装デザイン: レネー・エイプリル   
編集: ジョー・ウォーカー   
音楽: ハンス・ジマー,ベンジャミン・ウォルフィッシュ

時間: 163分 (2時間43分)
製作年: 2017年/アメリカ

(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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 レプリカント(ネクサス9型)である"K"(ライアン・ゴズリング)は旧型レプリカントを
「解任」する職務に就いていた。いつものように任務を果たしたKは、庭の木の下の
地中深くに何かの箱が埋まっていることを発見する。。

 

 前作の「ブレードランナー」(1982)が"混沌"を極限まで進めた世界を描いて
いるのだとしたら(リアル世界はその混沌に驚嘆し、熱狂した)本作「ブレード
ランナー 2049」は、統制を極限まで進めた世界を描いているとも言える。
冒頭の飛行シーンのソーラー・パネルが無限に並ぶうすら寒くそれゆえに
美しい光景は秩序と統制の象徴とも言える。

 前作が、ハードウェア及びソフトウェアを含めて、人間であることを捨てようとする
世界を描いているとのだとすれば、本作は、人間であることに還ろうとする世界を
描いているとも言える。どちらも結果的には制作当時の世相を色濃く反映している
とも見れる。


 前作が、"ドライ"であるとすれば、本作は、実に"ウェット"である。


 前作が、"動き廻っている"のだとすれば、本作は、"静かに止まって"いる。


 前作が、"怒り"を描いているとすれば、本作は、"哀しみ"を描いている。 


 前作が、"始まり"であるとすれば、本作は、"終わり"であると言える。


 前作が、"陽"であるとするならば、本作は、実に"陰"であると言える。


 そして、両者に共通する最重要キーワード、それは、『記憶(メモリー)』。。
 

 Kは、自分がレプリカント(ネクサス9型)であることを知っている。日々の暮らしに
「満足しなくてはいけない」ことを知っている。もし、歯向かえばどうなるのかも
文字通り骨身に滲みて(骨身までプログラミングされて)「知って」いる。レプリカントと
人間の間に何が起こったのかも「知って」いる。

 そんな自分の全ては人工的な存在でその自覚すらも作為的に作られたものである
ことも「知って」いる。

 人間から蔑まれることに慣れ切っている。或いは、慣れ切っていることに慣れ切って
いる。或いは、慣れ切っているようにプログラミングされている。そして、その事を
知った振りをした上に慣れ切っているようにリアクションすることに慣れ
切っているようにプログラミングされているかもしれない
Kの唯一の
安息の時は恋人のジョイと過ごす時間だ。

 ジョイは、Kの思う通りの姿に瞬時に切り替わり、Kの思う通りの仕草と態度を
いつも取ってくれる。

 ジョイには実体はなく、Kにも実体はないのかもしれない。記憶すらも、何もない
のかもしれない。

 そんな、Kやジョイをどこかで同情して狂ったテクノロジーの延長上の"IF"の
一つの世界を眺めて楽しんでいる内に、自分達の記憶や実体とは一体何だろうか
物語の進展と共に自問自答を始める。

 ジョイやKと外見上のハードウェア上の違い以外はそれほど違いは無いのでは
ないか?もしかしたら「同じ」ではないか? 

 随所に見られる前作ときちんと繋がっている感、そして良い意味での破綻を
きたすまいとする抑制の意思、それらは世界を変えたと言っても過言ではない
ジェームズ・キャメロン監督による映画史に残るSF作品「ターミネーター」
"二部作"を思い出さずにはいられない。全作へのリスペクト&サービス精神
テンコ盛りの展開にファンは狂気することだろう。

 コインの表と裏、鉾と盾のような関係性、シンメトリー性を持った純度の高い
続編を"創った"関係諸氏に敬意を払いたい。

 そして、異世界をCG無しでこれでもかと作り上げた全作への正統的な正しい
裏切り
に拍手を惜しまずにあげたい。 クライマックスの撮影の困難さとハードルの
上げっぷりには「映画を創ること」の醍醐味を新作映画としては久しぶりに感じた。

 SF映画の秀作「メッセージ」(2016)において確実に評価を上げた監督の
ドゥニ・ヴィルヌーヴの手腕は見事だ。本作がリドリー・スコットの監督作品であると
言っても世界は納得し称賛したことだろう。

 そして、

 『その事』

 レプリカントであるのか、ないのか

 自覚の強さ、

 証明の強さ、

 確かさ

がドゥニ・ヴィルヌーヴを含む世界中の次世代製作者達に課せられた命題であり、
映画がこれからも大衆娯楽の王道として支持されていくのかどうかにも密接に
関わっている。

 斬新さまではいかないかもしれないがここまでマーケティングに縛られてしまっている
『世界』にはおいては大健闘も大健闘だろう。

 撮影を担当したロジャー・ディーキンス(コーエン兄弟の作品を多く手掛けている)は
これまでにアカデミー撮影賞に12度もノミネートされ、英国アカデミー賞撮影賞を3度も
受賞しているとのことだが、氏の功績も実に大きい。堅牢さと、どこか清潔感を強く
感じさせるカメラワークは本作の世界観の構築に極めて大きな貢献をしていると
言えるだろう。本作における最大の功労者と言っても過言ではあるまい。

 、、に、しても美味しいところを持っていきまくるデ・カード演じるハリソン・フォード
の色々な意味における「俺様っぷり」と年齢以上の頑張りっ振り(75才!!)もまた
実に見事であった。後半の大きな見せ場のステージでのシーンでは彼も多いに意見
提案したのではないか。あるいは、ハリソン・フォード主導で作られたのではと勝手に
想像したり。ニヤニヤしまくりであった。

 続編をジャンル的に扱うとすれば総合的な配点では最高点ではなかろうか。
全作へのリスペクトと新作としての新しさの融合。

 ありがとうございました。楽しませて頂きました!
 

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