リーマン戦記(29)
リーマン戦記(29)
『恐怖』を知った日
数ヶ月に及ぶ闘いの日々はまたしても収束を向かえた。
仕事の遂行において、絶望や悲しみ、怒り、無力感を味わったことは
幾度となくあれど、『恐怖』を味わったのは今回が初めてかもしれないことに
ふと気付いた。
そして、これまで『恐怖』を仕事において味わなくて済んできたことにも
自分に対して意外に思えた。
『恐怖』。
仕事が終わらないかもしれない恐怖。
投げ出すしかないかもしれない恐怖。
もしかしたら大きく方向が間違ってしまっているかもしれないという恐怖。
つまり、自分にとっての『恐怖』とは、
自分の想定と全く違う場所に進んでいて、それはどこなのか判らないという
ことになる。
どこに行ってしまうのか判らないということは、
「どうやって進めていいのか判らない」ということに他ならない。
そして、『限界』を味わったのも今回が初めてかもしれないことに気付いた。
もう、これ以上やれない。
体調を崩さすに、思考を停止させずに、作業を滞らせずに。
という意味で。
これまでも『限界』は経験した。
それは、
体調を崩すか、思考が停止して投げやりになるか、作業が止まってしまうかの
何れかだった。
今回は、クライアントの理解と譲歩のお陰で
体調を崩さすに、思考を停止させずに、作業を滞らせずに
もう、これ以上やれない。
という所まで行った。
恐怖とは『その先』に待っていることについての感情なのだろう。
今は、会うことはないだろうメールと電話のみのやり取りのクライアントと共に
終わりが見えてきたことを楽しんでいる。
不思議なことでもなくもないが、同じような『限界』と『恐怖』を味わったと
思える人の呟きや記事を見かけるようになった。
会社のせいにする人。
相手のせいにする人。
自分のせいにする人。
社会のせいにする人。
国のせいにする人。
世の中のせいにする人。
ただ沈黙する人。。
今回の自分の状況においては、単純に初手を見誤ったからであり、見誤った
原因は、これまでとは異なる要因を見抜けずにこれまでの延長上で対処できる
と甘くみたこと。
ただそれだけに尽きる。後は、補正、補正、補正、補正、補正、補正、
説明、補正、補正、補正、補正、補正、説明、補正、補正、補正、終了(一応)。
『限界』に達し、『恐怖』を確かに見たが、またきっと次回も挑むだろう。
『限界』を超え、『恐怖』の先を見るかもしれない日に向かって。
闘いは終らない。始まればいつかは終り、終わる端からまた始まる。。
<=== Back To be continued ===>
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