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2017年12月

2017年12月30日 (土)

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2017年12月29日 (金)

映画「ブレードランナー2049」

「ブレードランナー2049」
BLADE RUNNER 2049


キャラクター創造: フィリップ・K・ディック   
原案: ハンプトン・ファンチャー   
監督: ドゥニ・ヴィルヌーヴ
脚本: ハンプトン・ファンチャー,マイケル・グリーン   
撮影: ロジャー・ディーキンス
プロダクションデザイン: デニス・ガスナー   
衣装デザイン: レネー・エイプリル   
編集: ジョー・ウォーカー   
音楽: ハンス・ジマー,ベンジャミン・ウォルフィッシュ

時間: 163分 (2時間43分)
製作年: 2017年/アメリカ

(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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 レプリカント(ネクサス9型)である"K"(ライアン・ゴズリング)は旧型レプリカントを
「解任」する職務に就いていた。いつものように任務を果たしたKは、庭の木の下の
地中深くに何かの箱が埋まっていることを発見する。。

 

 前作の「ブレードランナー」(1982)が"混沌"を極限まで進めた世界を描いて
いるのだとしたら(リアル世界はその混沌に驚嘆し、熱狂した)本作「ブレード
ランナー 2049」は、統制を極限まで進めた世界を描いているとも言える。
冒頭の飛行シーンのソーラー・パネルが無限に並ぶうすら寒くそれゆえに
美しい光景は秩序と統制の象徴とも言える。

 前作が、ハードウェア及びソフトウェアを含めて、人間であることを捨てようとする
世界を描いているとのだとすれば、本作は、人間であることに還ろうとする世界を
描いているとも言える。どちらも結果的には制作当時の世相を色濃く反映している
とも見れる。


 前作が、"ドライ"であるとすれば、本作は、実に"ウェット"である。


 前作が、"動き廻っている"のだとすれば、本作は、"静かに止まって"いる。


 前作が、"怒り"を描いているとすれば、本作は、"哀しみ"を描いている。 


 前作が、"始まり"であるとすれば、本作は、"終わり"であると言える。


 前作が、"陽"であるとするならば、本作は、実に"陰"であると言える。


 そして、両者に共通する最重要キーワード、それは、『記憶(メモリー)』。。
 

 Kは、自分がレプリカント(ネクサス9型)であることを知っている。日々の暮らしに
「満足しなくてはいけない」ことを知っている。もし、歯向かえばどうなるのかも
文字通り骨身に滲みて(骨身までプログラミングされて)「知って」いる。レプリカントと
人間の間に何が起こったのかも「知って」いる。

 そんな自分の全ては人工的な存在でその自覚すらも作為的に作られたものである
ことも「知って」いる。

 人間から蔑まれることに慣れ切っている。或いは、慣れ切っていることに慣れ切って
いる。或いは、慣れ切っているようにプログラミングされている。そして、その事を
知った振りをした上に慣れ切っているようにリアクションすることに慣れ
切っているようにプログラミングされているかもしれない
Kの唯一の
安息の時は恋人のジョイと過ごす時間だ。

 ジョイは、Kの思う通りの姿に瞬時に切り替わり、Kの思う通りの仕草と態度を
いつも取ってくれる。

 ジョイには実体はなく、Kにも実体はないのかもしれない。記憶すらも、何もない
のかもしれない。

 そんな、Kやジョイをどこかで同情して狂ったテクノロジーの延長上の"IF"の
一つの世界を眺めて楽しんでいる内に、自分達の記憶や実体とは一体何だろうか
物語の進展と共に自問自答を始める。

 ジョイやKと外見上のハードウェア上の違い以外はそれほど違いは無いのでは
ないか?もしかしたら「同じ」ではないか? 

 随所に見られる前作ときちんと繋がっている感、そして良い意味での破綻を
きたすまいとする抑制の意思、それらは世界を変えたと言っても過言ではない
ジェームズ・キャメロン監督による映画史に残るSF作品「ターミネーター」
"二部作"を思い出さずにはいられない。全作へのリスペクト&サービス精神
テンコ盛りの展開にファンは狂気することだろう。

 コインの表と裏、鉾と盾のような関係性、シンメトリー性を持った純度の高い
続編を"創った"関係諸氏に敬意を払いたい。

 そして、異世界をCG無しでこれでもかと作り上げた全作への正統的な正しい
裏切り
に拍手を惜しまずにあげたい。 クライマックスの撮影の困難さとハードルの
上げっぷりには「映画を創ること」の醍醐味を新作映画としては久しぶりに感じた。

 SF映画の秀作「メッセージ」(2016)において確実に評価を上げた監督の
ドゥニ・ヴィルヌーヴの手腕は見事だ。本作がリドリー・スコットの監督作品であると
言っても世界は納得し称賛したことだろう。

 そして、

 『その事』

 レプリカントであるのか、ないのか

 自覚の強さ、

 証明の強さ、

 確かさ

がドゥニ・ヴィルヌーヴを含む世界中の次世代製作者達に課せられた命題であり、
映画がこれからも大衆娯楽の王道として支持されていくのかどうかにも密接に
関わっている。

 斬新さまではいかないかもしれないがここまでマーケティングに縛られてしまっている
『世界』にはおいては大健闘も大健闘だろう。

 撮影を担当したロジャー・ディーキンス(コーエン兄弟の作品を多く手掛けている)は
これまでにアカデミー撮影賞に12度もノミネートされ、英国アカデミー賞撮影賞を3度も
受賞しているとのことだが、氏の功績も実に大きい。堅牢さと、どこか清潔感を強く
感じさせるカメラワークは本作の世界観の構築に極めて大きな貢献をしていると
言えるだろう。本作における最大の功労者と言っても過言ではあるまい。

 、、に、しても美味しいところを持っていきまくるデ・カード演じるハリソン・フォード
の色々な意味における「俺様っぷり」と年齢以上の頑張りっ振り(75才!!)もまた
実に見事であった。後半の大きな見せ場のステージでのシーンでは彼も多いに意見
提案したのではないか。あるいは、ハリソン・フォード主導で作られたのではと勝手に
想像したり。ニヤニヤしまくりであった。

 続編をジャンル的に扱うとすれば総合的な配点では最高点ではなかろうか。
全作へのリスペクトと新作としての新しさの融合。

 ありがとうございました。楽しませて頂きました!
 

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2017年12月23日 (土)

映画「ブレードランナー」

「ブレードランナー」
BLADE RUNNER


原作: フィリップ・K・ディック   
監督: リドリー・スコット   
脚本: ハンプトン・ファンチャー,デヴィッド・ピープルズ   
撮影: ジョーダン・クローネンウェス   
音楽: ヴァンゲリス
編集: テリー・ローリングス
特撮: ダグラス・トランブル,リチャード・ユリシック,デヴィッド・ドライヤー   
プロダクションデザイン: ローレンス・G・ポール   
デザイン: シド・ミード   
舞台設計,衣装デザイン: マイケル・カプラン,チャールズ・ノード   
キャスティング: ジェーン・ファインバーグ,マイク・フェントン   
出演: ハリソン・フォード,ルトガー・ハウアー,ショーン・ヤング,
エドワード・ジェームズ・オルモス,ダリル・ハンナ

時間: 1時間57分(117分)
製作年: 1982年/アメリカ

(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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 ※本記事は旧ブログからのお引越し記事です(2008年1月にアップロード)


伝説の名作ブレードランナーについては完全に波に乗り遅れ未見のまま生きてきた。

2007年、[ファイナル・カット]なる文字通り最後と思われるバージョンが完成し、
ファイナルカットを含めた全バージョンが収録されたDVD-BOXも発売されたので
昨年の自分へのクリスマスプレゼントに購入。

その名も
「BLADE RUNNER FIVE-DISC ULTIMATE COLLECTER'S EDITION」(゚∀゚)

2008年1月現在、以下の5バージョンが存在し上記DVD-BOXには全て
収納されている。

[1] 「ブレードランナー」オリジナル劇場版 (1982)
[2] 「ブレードランナー 完全版」インターナショナル劇場版 (1982)
[3] 「ディレクターズカット/ブレードランナー 最終版」(1992)
[4] 「ブレードランナー ワークプリント」 (---)
[5] 「ブレードランナー ファイナル・カット」(2007)

正月かけて全部観た(^^;)観た順序は[1]→[5]。

※以下各バージョンについては"同じ"とか"違う"とか述べていますが厳密には
全てのバージョン異なることは承知の上で一観客としての印象を述べてみる。
(小数点以下は切捨てと同じルール)

・総合的に優劣を付けるとすると以下の順になる。

[5]→[4]→[3]→[2]→[1]
判りやすいなあ(^^)

・インパクトが強かった順は以下。

[4]→[3]→[5]→[1]→[2]

・内容的にグループ分けをすると以下のように3グループになる
( [1],[2] ) ([4] ) ([3],[5])

とりあえず全体に共通している部分については
「とてつもなく画面が美しい映画」だと率直に思った。
画質のクオリティが極めて高く隅々まで行届いた作りこみの凄さ。
セットが凄いSF映画は幾らもあるが見せ方のレベルの高さと労力として本作に
匹敵するのは私が知る限りでは「2001年宇宙の旅」(1968)だけと言える。

シーンとして面白かったのはリオン(反乱を起こしたレプリカントの一人)と
デカード(ハリソン・フォード演じるブレードランナー)の対決シーンが振り付けから
画面設計まで「ターミネーター2」のクライマックスに超ソックリ。これは「T-2」の方が
パクッったと言うよりもジェームズ・キャメロンが本作への尊敬を込めたパロディだと
思う。デカードの同僚(監視役?)"ガフ"を演じるエドワード・ジェームズ・オルモスが
印象深い。

[1] 「ブレードランナー」オリジナル劇場版 (1982)

記念すべき日本での最初の公開バージョン。ラストが監督の意に沿わないもの
だということは知っていたけど、一切の予備知識全て抜きに初めて観た正直な
私の感想はこのバージョンのラストは特に嫌いではない。今後何回も観れば
印象が変わる可能性大だけども。何となく女性は[1],[2]のラストの方を好むと
思う気がするがどうだろう。

[2] 「ブレードランナー 完全版」インターナショナル劇場版 (1982)

[1]でカットされているセリフや一部シーンが使用されていて解り易くなっている
感じがするが本質的には[1]と変わらない。明らかに[1]より長いと感じたが
長さ的に実は[1]とほとんど変わらない。ラストは[1]と同じ。

[3] 「ディレクターズカット/ブレードランナー 最終版」(1992)

一番違うのはラスト。ラストは[1],[2]とは物語の核心が変わってしまう極めて
重要な違いがある。このバージョンではリドリー監督の意に沿うように変えられている。
というよりも監督の意図通りに"直った"というべきか。

このバージョンは[1],[2]に比べ前半の飛翔シーンが物凄く心地よく感じられ音楽と
映像のテンポが相当細かく修正されていると思われた。ちゃんと比較したわけでは
ないのでただの錯覚かもしれないけど(^^;)全体的に流れが[1],[2]より澱みが無く
ラストも含めパワフルに感じられた。

[4] 「ブレードランナー ワークプリント (---)

公開前のテスト版!!個人的にはこのバージョンが一番好きである。まずオープニングが
このバージョンだけ異なる。シンプルだけど迫力があってカッコイー\(@_@)/
またタイトル後に続くレプリカントに関する説明も他のバージョンと異なりただの
字幕ではなく"アメリカン辞典"からの引用という形をとっていてSF映画っぽくて
面白い。

ロイ(反乱レプリカントのリーダー)とデカードの対決シーンでの音楽の使い方も
他のバージョンとは突出して異なるがテスト版ゆえに他のバージョンの方が
明らかに洗練されているのはさすが。他に群集シーンもこのバージョンだけのものが
幾つかあり、全体的に混沌とした世界感が一番良く表現されている気がする。
ラストそのものは[3],[5]とほぼ同じ(BGMが異なる)。

[5] 「ブレードランナー ファイナル・カット」 (2007)

全体的に[3]と良く似ている。正直に言えば[3],[5]を観て「どちらが『ファイナル・カット』か
当てろ」と言われても私は恐らく外すと思う。([4]は相違点が大きいので消去法で
ワークプリント番と判るだろう)誰にでも違いのわかるこのバージョンで新たに加えられた
シーンがあるが追加の意図は正直私には判らなかった。
これから何度も観てその意図を解明したい。その前に知識として[移植]されてしまうかも
しれないけど。色調や細かい合成等が相当いじられているのは何となくだけど感じられる。
ワークプリントからの"復活"シーンが結構あるかと思ったけど解らなかった。

とりあえずは全バージョン観たところまででまずは満足(^^;)
中身については今後いろいろ書いていきたいと思う。

--- 

 。。と約10年前(2008年1月)の「自分」は旧ブログで書いている。この記事はとっくに
現ブログに移行したものと思って今回探してみたが見つからなかった。そして、今も
単に見つからないだけなのかどうか自信がない。もしいつかの過去記事と重複して
いたら、"記憶違い"や"思い違い"ではなくて、自分の記憶自体が移植されたもの
なのかもしれない
。そうすると説明がつくことも日常的になくはない。

 それにしても、本作が80年代後半の作品なのではなく、80年代初頭の作品である
ことに驚きを禁じ得ない(自分の『記憶』では1989年の作品だと勝手に思い込んでいた。
多分、最終版公開時の印象が大きかったのだろう)。「2001年宇宙の旅」(1968年4月6日
公開)がリアルワールドでの月面着陸(1969年7月20日)よりも前の作品であったことが
今では信じられないように。
(2017年12月某日 記述)

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2017年12月17日 (日)

映画「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」

「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」

監督: 森一生
脚本: 黒澤明
撮影: 山崎一雄
美術: 松山崇
音楽: 西梧郎

出演: 三船敏郎,片山明彦,小川虎之助,加東大介,高堂国典,杉寛,志村喬,
千秋実,浜田百合子,左卜全,徳大寺伸

時間: 82分 (1時間22分)
製作年: 1952年/日本

(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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弟の仇討ちをすることになった渡邊数馬(片山明彦)は脱藩し、荒木又右衛門
(三船敏郎)に助太刀を依頼する。一行は宿敵の河合又五郎(千秋実)の居所を
捜索の旅の果てに突き止める。河合が江戸へ戻る時に通る道中"鍵屋の辻"で
待ち伏せをするが。。

 

 黒澤明脚本によるセミドキュメンタリー風の異色時代劇。

  「戦国無頼」(1952)とテイストにおいて親和性がかなり高い。これは、脚本に
本作と同じく黒澤明が関わっているという点と、その生涯において常にリアリズムを
追求した黒澤の『武士』というものへの視点と、『"命を掛ける"とは、どういうことを
意味するのか』という問いかけが登場人物達の行動動機の強い裏付けと、物語の
確固たる骨子となっている点が共通項としてあるからだろう。

 黒澤は、「武士」の何事も起きない単なる日常を徹底的にリアルに映画に
してみたい
と語っていたそうであるが、本作においては『仇討ち』とはいかに
して行われるのか、"人"は、どのようにして、いかにして、"人"を斬ろうと
するのか
を詳細に検証するかのように物語はじっくりと進んでいく。

 三船敏郎演じる助っ人侍の荒木又右衛門は事あるごと斬るときの心構えを
同志達に説く。

 監督の森一生は、黒澤明とはプライベートにおいても深い交友があったことで
知られている。

 「"本物の"仇討ちを描く」意気込みに溢れた黒澤の脚本を活かそうとする
丁寧な演出が作品の随所に強く感じ取れる。

 脚本と監督のどちらも充分な力量を持ち、キャリアを持つがゆえに別々の脳を
持つスタンドアロンな別の人間が組み上げた組み細工である映画というものの
面白さが出ているとも言える。

 河合又五郎を討つ為に延々と旅を続ける荒木又右衛門と渡邊数馬達。

 数馬は、弟が殺された敵討ちとはいえ、復讐の鬼となっているわけではなく、
寵愛を受けていた主君の「河合を討て」という遺言によるものであり、荒木又右衛門は
手助けの為に恐らく命を捨てることになる。

 脚本上においては、志村喬演じる河合甚左衛門が荒木又右衛門と盟友であり
手練れである点を前半で強調し

 仇討ちの大義が本当にあるのか?

という命題を自分達に投げかけている荒木達の徒労感を描くことでドラマを
盛り上げているのだが目的地に到達するまではかなり長く感じてしまう。

 「生まれて初めて人を斬る(そして、恐らく自分は死ぬ)」ことにガチガチになる
(市井の人間=観客を象徴する)森孫右衛門をえんじる加東大介は、とうとう
仇討ちが出来ることと、つまり、自分が死ぬ(であろう)ことの大きな矛盾
に葛藤する好演を見せている。

 一時間弱であり、脚本も、松山崇の美術も、山崎一雄による撮影も素晴らしく、
演出も卒がない。だが、長く感じるのは、リアリズムを尊重する余り、登場人物達の
内面描写に斬り込むことを十分にしなかったからなのか。

 不朽の名作「七人の侍」(1954)が放たれるのは本作の二年後のことである。

 本作は、隠れた名作であり、且つ優れた逸品と言えるだろう。

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2017年12月 2日 (土)

リーマン戦記(29)

リーマン戦記(29)
『恐怖』を知った日


 

 数ヶ月に及ぶ闘いの日々はまたしても収束を向かえた。

 仕事の遂行において、絶望や悲しみ、怒り、無力感を味わったことは
幾度となくあれど、『恐怖』を味わったのは今回が初めてかもしれないことに
ふと気付いた。

 そして、これまで『恐怖』を仕事において味わなくて済んできたことにも
自分に対して意外に思えた。

 『恐怖』。 

 仕事が終わらないかもしれない恐怖

 投げ出すしかないかもしれない恐怖

 もしかしたら大きく方向が間違ってしまっているかもしれないという恐怖

 つまり、自分にとっての『恐怖』とは、

 自分の想定と全く違う場所に進んでいて、それはどこなのか判らないという
ことになる。

 どこに行ってしまうのか判らないということは、

 「どうやって進めていいのか判らない」ということに他ならない。
 

 そして、『限界』を味わったのも今回が初めてかもしれないことに気付いた。

 もう、これ以上やれない。

 体調を崩さすに、思考を停止させずに、作業を滞らせずに。

 という意味で。

 これまでも『限界』は経験した。

 それは、

 体調を崩すか、思考が停止して投げやりになるか、作業が止まってしまうか
何れかだった。

 今回は、クライアントの理解と譲歩のお陰で

 体調を崩さすに、思考を停止させずに、作業を滞らせずに

 もう、これ以上やれない。

 という所まで行った。

 恐怖とは『その先』に待っていることについての感情なのだろう。

 今は、会うことはないだろうメールと電話のみのやり取りのクライアントと共に
終わりが見えてきたことを楽しんでいる
  

 不思議なことでもなくもないが、同じような『限界』と『恐怖』を味わったと
思える人の呟きや記事を見かけるようになった。

 会社のせいにする人。

 相手のせいにする人。

 自分のせいにする人。

 社会のせいにする人。

 国のせいにする人。

 世の中のせいにする人。

 ただ沈黙する人。。
 

 今回の自分の状況においては、単純に初手を見誤ったからであり、見誤った
原因は、これまでとは異なる要因を見抜けずにこれまでの延長上で対処できる
と甘くみたこと。

 ただそれだけに尽きる。後は、補正、補正、補正、補正、補正、補正、
説明、補正、補正、補正、補正、補正、説明、補正、補正、補正、終了(一応)。
 

 『限界』に達し、『恐怖』を確かに見たが、またきっと次回も挑むだろう。

 『限界』を超え、『恐怖』の先を見るかもしれない日に向かって。

  

 闘いは終らない。始まればいつかは終り、終わる端からまた始まる。。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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