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2018年2月24日 (土)

映画「怒りの海」

「怒りの海」


監督: 今井正
脚本: 八木沢武孝,山形雄策
撮影: 小倉金弥
音楽: 山田和男
美術: 平川透徹
録音: 安恵重遠
特殊技術: 円谷英二
出演: 大河内伝次郎,原節子,月田一郎,河津清三郎,山根寿子,黒川弥太郎,
村田知英子,志村喬

時間: 89分 (1時間19分)
製作年: 1944年/日本

(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)
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戦艦「土佐」の"廃艦式"から、ワシントン軍縮会議を経て戦艦「夕張」の誕生、
平賀譲の生涯を描く。

 

 高木役の志村喬(終戦工作に奔走した高木惣吉がモデルか?)、平賀の娘役の
原節子と何気に豪華な俳優陣。原節子はぼんやりと観ていると彼女が出演して
いるとは気付かないほどの地味さ。中盤で出てくる巡洋艦の映像でシルエットとして
比較的判り安いのは"那智"であろうか。

 今井正の作品には、撮影の捉え方が"観客が観たい対象を捉えている快感"が
あるように思う。よほどサービス精神が旺盛なのかニーズの把握が上手いのか。

 戦艦の設計スタッフの奮闘、建造中の船のダイナミックな構図、爆沈の特撮、
主人公平賀の苦闘、竣工していく軍艦の今となっては貴重極まる映像、、、
出し惜しみが当たり前の諸作品に比べれば、一つ一つのシーンが長く、じっくり
腰を据えて楽しめる。

 繰り返される模型を使用した流水実験のシーンや、劇中、"夕張"という名前は
一回も使用せずに「居住性は保証しないよ」という平賀の台詞が憎い(夕張は
排水量は上げずに性能を落とさないようにキープしたことが大きな特徴の一つで、
居住性は犠牲になったと言われる)

 「世界に類を見ない」傑作巡洋艦"夕張"が完成する後半以降は平賀護中将の
伝記映画且つ軍のお墨付きを得た作品らしく、戦時中の作品ということもあり、
若干キナ臭さはあるが、今日の眼で細部まで観ても何らおかしい、過剰な故意の
国威発揚は特に感じられない。それゆえ今井を始めとする製作スタッフの映画人
としての力量は半端ない。堂々たる「プロの作品」だ

 リメイクしたとしても、十分に今日的なテーマを盛り込むのは可能で、しかも
それほど予算を潤沢にかけたわけでもない中編と言っていい本作を質的に
越えるのは極めて難しいだろう。賞賛されてよい作品だと思う

 軍縮条約により自国軍の攻撃で轟沈する土佐の"断末魔"とも呼べる砲撃の
音に耳を塞ぐ設計を担当したメンバー達。

 国土防衛の為に、国民の為に、(当時の価値感に基づく)平和の為に、全身
全霊を賭けて作り出した作品(戦艦)を禄に使用せずに海の藻屑にしてしまうのは
わが子を殺すにも等しい気持ちだったのに違い無い。

 こういった往時の生きた人々の感情の描写を遺していくことは映画の
使命の一つであり、そうした作品が後世の人々の娯楽と貴重な資料、
遺産として大事に遺されていくことが本当の『平和』であるといえる。

 国威発揚映画だからといって杜撰な管理のままで散逸していくとすれば
未来の国民の民度を下げ、戦争行為にも等しいある意味で犯罪なのでは
あるまいか。

 ワシントン会議に外交官の一人として列席していた石射猪太郎によると、
議長席にいたアメリカ代表のヒューズは「陸奥、土佐、加賀の三主力艦の他に
起工・未起工の多数艦船を廃棄すべしと、いちいち艦名を指摘した。
当時アメリカの頭痛の種と称されたわが八八艦隊建造計画の実現を食い止める
案に他ならない。」と自伝「外交官の一生」の中で述べている。

 難を言えば、万能の人格者とは到底言えなかったというよりも、負の側面も
小さくない平賀護という実在の人物が英雄視に等しく描かれていることだが、
それは何も国威発揚の軍や国の御用達映画に限ったことではない。主人公たるもの
過剰に肯定的に描かれてしかるべきという点と戦局がすでに悪化している時期に
製作された作品としての内容のバランス感覚とを合わせて判断されるべきだろう。

 「所詮は権力に"作らされた"作品」と断ずるのは容易い。しかし、現代よりも
遥かに少ない人口(終戦時の日本の人口は約7200万人)で未曾有の国難を乗り切り、
再び繁栄の時代を気付いた戦中・戦後に比べて、政治・経済・文化のいずれに
おいても停滞、減衰していないとは言えない我々にどれだけ過去の作品を批判
できる資格があるだろうか。


[平賀 譲]
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平賀 譲(ひらが ゆずる、1878年(明治11年)3月8日 - 1943年(昭和18年)2月17日)
は、日本の海軍軍人、工学者、華族。海軍技術中将従三位男爵、東京帝大総長、
工学博士。

平賀の留学帰国後は海軍艦政本部で艦艇設計に従事し、第四部計画主任と
なってからは戦艦紀伊型、重巡洋艦古鷹型、妙高型、軽巡洋艦夕張、川内型、
駆逐艦神風型、若竹型を設計した。夕張や重巡洋艦妙高型の軽量化は各国海軍
艦艇造船官を注目させた。造船の神様、という賛辞も存在する。一方、海軍中枢部や
他の造船官らからの反対意見には頑として譲らなかったため、平賀譲(ゆずる)
ならぬ「平賀不譲(ゆずらず)」と皮肉られた。

平賀の上司であった山本(山本開蔵)は、敗戦の責任の多くが艦政にあり、その
原因が平賀の艦政本部復帰にあると考えていたと言われる。戦後、造船協会が
山本に名誉会員の称号を贈ろうとしたときはこれを固辞し、強行するなら協会を
脱退する、自分はそのような名誉を受けるに値する人間ではない、と言ったと
いわれる。
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(ウィキペディア日本語版)[2018年2月13日 (火) 08:09 UTC]


[夕張 (軽巡洋艦))]
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夕張(ゆうばり/ゆふばり)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。 艦名は、
夕張川(石狩川の支流)に由来する。 同型艦はない。主砲、発射管を全て
中心線上に配置し、2890トンの船体に5500トン型の軽巡洋艦と同等の砲備雷装
を備え、速力も同等だった。 当時、世界の海軍から注目され、設計者の
平賀譲大佐(当時のち将官)の名を一躍有名にした。

計画 大正6年度(1917年)、八四艦隊案
発注 1921年12月5日製造訓令
起工 1922年6月5日
進水 1923年3月5日
竣工 1923年7月31日
最期 1944年4月28日沈没
北緯5度38分 東経131度45分
除籍 1944年6月10日

基準排水量 公表値 2,890トン
全長 456 ft 0 in (138.99 m)
水線長 450 ft 0 in (137.16 m)

乗員 計画乗員 328名
竣工時定員 328名
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(ウィキペディア日本語版)[2017年12月6日 (水) 07:56 UTC]


[ワシントン海軍軍縮条約]
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ワシントン海軍軍縮条約(ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく)は、
1921年(大正10年)11月11日から1922年(大正11年)2月6日までアメリカ合衆国の
ワシントンD.C.で開催されたワシントン会議のうち、海軍の軍縮問題についての
討議の上で採択された条約。アメリカ(米)、イギリス(英)、日本(日)、
フランス(仏)、イタリア(伊)の戦艦・航空母艦(空母)等の保有の制限が
取り決められた。華府条約(ワシントン条約)とも表記される。

この条約型建造の結果軍備拡張がかえって激化。そのため、巡洋艦以下の
補助艦艇の制限を加えるためのロンドン海軍軍縮会議が開催されることとなる。
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(ウィキペディア日本語版)[2018年2月4日 (日) 02:34 UTC]



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