映画「シベールの日曜日」
「シベールの日曜日」
CYBELE OU LES DIMANCHES DE VILLE D'AVRAY
SUNDAYS AND CYBELE
原作: ベルナール・エシャスリオー
監督: セルジュ・ブールギニョン
脚本: セルジュ・ブールギニョン,アントワーヌ・チュダル
撮影: アンリ・ドカエ
音楽: モーリス・ジャール
台詞: セルジュ・ブールギニョン,ベルナール・エシャスリオー
出演: ハーディ・クリューガー,パトリシア・ゴッジ,
ニコール・クールセル,ダニエル・イヴェルネル,アンドレ・オウマンスキー
時間: 116分 (1時間56分)
製作年: 1962年/フランス
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)
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空軍のパイロットだったが戦傷で記憶を失い呆然自失の日々を送っていた
ピエール(ハーディ・クリューガー)は父親の都合で修道院に入れられる少女
フランソワーズ(パトリシア・ゴッジ)と出会う。失踪してしまった父親の代わり
となってフランソワーズの相手をしていたピエールだったが、孤独だった
二人は気持ちを通わせるようになる。だが、周囲の目は厳しさを増していく。。
『無垢』というものについての物語であり、人間達の対応についての考察的な
作品でもある。
フランソワーズを演じる美しき少女パトリシア・ゴッジの魅力と、親子ほどの
年齢も違う二人の"男女"が接近していくという人間としては当たり前のことであるが、
社会規範や表面上の、取り繕い上のモラルとしては"断然許されない"ことから、
元々孤立していた二人は決定的に社会から疎外されていかざるを得ない。
ピエールは、記憶を失っているだけでなく、戦場で少女に機上から銃口を向けて
しまったことにより、自分の生きて来た土台=社会そのものが信じられなくなり
日常というものに疑念と嫌悪感を持っている。
煩わしい社交辞令という毒に侵されていないフランソワーズの持つ価値感が
ピエールにとってのミューズになるのに時間はかからなかった。
フランソワーズの愛くるしさとピエールの恋人に嫉妬してみせたり、12才という
思考としては大人とほとんど変わらないが、社会の枠の外にいる奔放さが、
「映画」としてのもう一方の危うさと妖しさの魅力と持つ。
フランソワーズを演じたパトリシア・ゴッジのキャラクターを越えているとも言える
魅力と魔性が作品そのものにとっても"ミューズ"でありながら、物語以上の様々な
憶測を観客に持たせてしまう功罪もまたこういった映画の持つ巨大な魅力と
魔力なのだろう。
本作は、時代の趨勢が作らせた作品とも言え、時代を本作以前・以後とも区切る
ことも出来るだろう。制作年付近の文献では本作のタイトルは割と良くみかけ、
イコンの一つとして確立している。
フランソワーズを演じたパトリシア・ゴッジは本作についてどのように当時考え、
老年期を向かえているはずの今、どのように考えているのだろうか。
モーリス・ジャールの音楽とアンリ・ドカエの美しい映像が本作を一層気品のある
ものにしている。
『映画』の一つの形では、ある。
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