映画「僕の村は戦場だった」
「僕の村は戦場だった」
Ива́ново де́тство
Ivan's Childhood
原作: ウラジミール・ボゴモーロフ,ミハイル・パパワ
監督: アンドレイ・タルコフスキー
脚本: ウラジミール・ボゴモーロフ,ミハイル・パパワ
撮影: ワジーム・ユーソフ
音楽: ヴァチェスラフ・オフチンニコフ
出演: ニコライ・ブルリャーエフ,ワレンティン・ズブコフ,E・ジャリコフ
時間: 94分 (1時間32分)
製作年: 1962年/ソビエト
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)
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個人的には他の作品のどれにもあるタルコフスキーらしさが
"感じられない違和感"
が新鮮な一本。
その違和感は、キュブリックの幻のデビュー作品「恐怖と欲望」(1953)の
違和感の質と、"らしくない"という点において両者は「相似形」となる。
「映画を撮らねばならない」
「映画ではなくてはならない」
という肩の力の入り具合と、まだ『彼ら』というものがきちと見出されていない
新鮮さとでも言おうか。
終盤における
「ナチス崩壊をソビエト側から見ている描写」
は、実に淡々としていて、ゲッペルスの焼死体についても監督としての描く意志は
画面からはまるで感じられない。
まるでニュースソースそのものであり、最初から企画ありきで国策映画のようにも
感じられる。
作品からは、制作自体からしてタルコフスキーの本意ではなかったように
思われるが実際のところどうだったのであろうか。
他の作品との共通項としては、登場する少年の人間として「芯の強さ」は
感じられて「映画」として成立している。そう言えば、女性の側の視点が諸作品の
中に見当たらないのはタルコフスキーに
「自分は女であったことも少女であったことも無いので。」
と至極簡単に言われそうな気もする。「惑星ソラリス」での妄想の方向性からも
それは当然か。
戦場で生きる軍人達、少年、一般市民は、
「自分達以外」という『世界』
に放り出されているという現実世界では当たり前の初歩の初歩であるが、
『映画』においては真逆で、
凡作ではほぼ必ず登場人物の誰かが神様の視点となって世界そのものを
脚本通りに引っ張っていく。
そのことが往々にして「映画」をつまらないものにしていくわけであるが、
タルコフスキーの作品には徹頭徹尾『それ』がなくて、本作は氏の他の作品と
比べてしまうとイマイチではあるが、『それ』がない」というルールは、
本作においても守られていて、作品全体に心地よい緊張感がある。
ただしクライマックスにおいては、"このルール"は破られてしまい、
作品をつまらないものにしている。
タルコフスキーにもその自覚はあると思われる。作品のテンションの部分的な
低さがそれを証明しているように思う。
ラストにおける悲哀と人間愛ともいうべきメッセージは流石。
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