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2018年9月22日 (土)

或る事件から見える風景

 

 今年の7月6日、恐らく、戦後の日本社会を最大に揺るがした
某重大事件に関与したとされる7人の刑が実行された。

 「なぜ、今?」、「遅すぎる」

 といった意見がWeb上で散見された。

 今年の1月に被告の一人の上告が棄却され、刑が確定したことで
一連の事件の裁判が終結することとなった。 

 それから調度半年を経過してからの事件の中核メンバーであったことが
判明している人物達の刑の執行。
 

 刑事訴訟法第四百七十五条を取れば、「正しい判断」と言える。

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刑事訴訟法第四百七十五条
 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2
 前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。
但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは
申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する
判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。
------------------------------------------------
 

 特定の人間だけでなく、複数の人物の同日の執行も意図は明確であり、
流石にその点についての異論は多くは見かけなかった。恐らく、執行の順番も
同様の意図でそれなりに考慮されていると推測する。  

 各個人の判決が出てから半年以内という解釈や、事件の発生からの時間の
経過に鑑みれば、「遅すぎる」という意見は間違いではない。しかし、もし、
杓子定規のようにそれぞれの判決決定から刑を実行していれば

「まだ事件は終わっていない」、「真実はまだ出ていない」等の批判が
過剰に吹き荒れたであろうことは想像に難くないところだ。

 間違いなくそうなっていただろう。

 関係者の全ての裁判が終了した事実。何百人、何千人の人生に影響を
与えたであろう凶悪事件であったために膨大な時間と労苦を費やした裁判

 そして、それらが良くも悪くも終了し、解釈の余地はあるとして規定通りに
施行された刑。

 政府与党の支持率はこの点について絞れば上がることはあれ、下がることは
ないだろう。つまり、「民意に沿った判断」と言える。 
 
 
 1995年3月20日月曜日、当時の自分は大学生だった。

 前の晩にどこかで遅くまで飲んで、その日の朝は寝ていた。

 親からの電話で起こされ無事かどうか唐突に聞かれ、
 

 「テレビを見ろ」と言われた。
 

 霞が関駅周辺が大混乱に陥っていた。報道による後付けの記憶かも
しれないが中年男性が意識朦朧として嘔吐していた映像が流れていた
ように思う。

 その頃の自分は呑気に誘われるままに誘うままに割と都内のあちこちで
飲んでいた。霞が関という地域にはまるで馴染みはなかったが、巻き込まれて
いたかもしれない可能性はそれほど高くはないが極めて低いというわけでもない。

 実際、ほんの数日前にも私鉄を使って朝帰りしていて事件が起きた時間帯に
近くを通過していた。

 『その事件』が起こるまでは"某組織"は、ワイドショーの恰好のネタだった
自分達の会話のネタとしても割と頻度は高かったように思う。某組織を含む新興
宗教団体や啓蒙と称した団体に疎遠となった知人が入信したらしいという話も時折
でたこともあった。

 一時連絡不通となったその知人とは今では普通に連絡を取れて時折会っても
いるがこの時代当時にどのように過ごしていたのかは未だに聞けずにいる

 恐らく今後も聞くことはないだろう。

 その後、書籍、テレビ、映画等の各メディアの動員により外部からは想像も
つかないほどに巨大となった組織と、事件との全貌が明らかになっていくなかで
自分に近い世代の人間達の多くが事件に関与していったことを知った。

 そのうちの一人は、事件当時自分と同じ大学生で、自身の行動を誰かに
制止してほしくて住んでいたエリアをふらついたが、あいにく誰にも遭遇
せずに人生を転落していったというエピソードはとりわけ印象深かった

 友人に久しぶりに出会って、「そんな事はするな」と喝を入れてもらえて
いたとすればその人間の人生はコーナーを逆に曲がれたかもしれない。
そうではなかったかもしれない。人と出会っても結果は変わらなかったかも
しれない。しかし、何らかの変化が起こっていた可能性は高いだろう。
その点について、未来の悲劇を避けるヒントは確実にあるように思う。

 既存の『系』が気に入らない。または重度のストレスに見舞われている。
または、よくは判らないがとにかく気に入らない(案外、最後のパターンが一番多い
だろう)。そういった理由から『別の系』を作り、その別の系に自らが囚われていく。

 某事件、某団体に関わらず、軽度・重度を問わなければ問題が発生した時の
「構造」はどれも似てくるのではあるまいか。
  

 余談であるが、

 親からの電話で起こされ無事かどうか唐突に聞かれ、

 「テレビを見ろ」と言われ

 て報道を見て呆然とするというやり取りは、2008年6月に秋葉原で起きた
通り魔事件の際にも繰り返されることとなる。

 
 
 
 
 
 
  
 

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