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2019年4月27日 (土)

2019年4月27日の風景


 
 今年の春は花が奇麗に見えた。毎年、桜よりも梅の方が綺麗だと
思うのが常だが、今年の桜は例年よりも色合いも咲き方も"潔さ"が
感じられて美しかった。元号が変わることも見る側の気持ちに影響を
与えているのかもしれない。
 
 平成が終わるということで平成の始まりの時についても思いを
巡らす日々。終わりは始まりでもあり、始まりは終わりでもある。
個人的にはとても良いタイミングでの切り替わりとなった。
新元号も悪くない。というか良い。全体の手際も受け止める側の
評価も概ね良かったように思う。
 
 忙しく仕事をしている最中に速報をいち早く知った人間が
ホワイトボードに『令和』という言葉を書きつけた瞬間に職場に
流れた驚きと意外さの入り混じった新鮮な空気は長らく忘れることは
ないだろう。その言葉はスケジュールや諸事が連日書き込まれては
消えていく中で数日間に渡って消されることはなかった。
 
 平成は、後年、国内的には稀有な長期の平和を謳歌した時代として
評価されることだろう。だが、昭和の次の時代の文化・文明の担い手
として機能したかと言えば、厳しい評価を下されることもまた間違い
ない。新陳代謝を起こして、新しい事を始められたとはとても言い難い
次の時代が繁栄できないとすれば、平成の世の在り方に問題があった
のだろう。
 
 何が問題であったかと言えば「再生産と安易な見込みの結果に甘え
ていた」という点が挙げられると思う。チャレンジすることの大切さ・
重要性が全体としては軽んじられたように思われる。次世代への
代償は相当に大きいものとなるだろう。
 
 リスクを良い意味で恐れず、結果を出してきた人が希望を持って
生きていける。成果が出せず苦しんでいる人を応援して結果が出せる
ように促し、その結果を正しく享受できる。そんな時代になって欲しい
ものだ。また、そうならなければ、結局多くの人間が詰まらない思いを
することになるだろう。
 
 知恵を出し合い、失敗を恐れず、試行錯誤を繰り返して、真の意味での
リソースの共有を大切にしていく時代となること、少なくとも向かおう
とする時代となる事を切に願う。
  
 また明日から始まる。
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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