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2020年4月29日 (水)

特撮映画における或る命題について

 
 「シン・ゴジラ」(2016)の名(迷)コンビ(?)が"シン"ウルトラマンを描いて
くれることが決定してだいぶ経つが大変喜ばしいことだ。
 
 そして、その作品はきっと「実在論」「実名論」の闘いを作中の背後に
置いてテーマの一つとして描くか、正面立って描き決着を着けるものとなり、
或いは、作品の成立過程そのものが熱い闘いとなることを強く予感させる。
 
 言うまでもなく「シン・ゴジラ」は実在論路線において成功した作品であり、
「ゴジラ」(1954年版)、 '84ゴジラ(「ゴジラ」(1984年版))もまた然りである。
 
 果たして、ウルトラマンを実在論で描くことは難しいだろう。実名論の上に
成立している存在であることは自明だからだ。

 さらに難しいのは異物は、即、敵として描くことは本能的に、生理的に有りだが、
味方であるという認識を実在論において描くこともまた極めて困難である。
 
 個を描き、孤立を悪とすることは容易であるが善という集団的コンセンサスを
得るのは実際、不可能に近い。
 
 実名論と実在論のどちらかで描くことは客層ターゲットをどこに置くかという
マーケティングの点においてもなかなか難しい選択となるだろう。
 
 個人的には実名論で描かれる世界には余り興味が無い。実在論に是非挑んで
欲しい。

 勝手な推測を愉しめば、脚本を担当する庵野秀明は実在論の中で葛藤し、監督の
樋口真嗣は実名論の中で思う存分に戯びたいのだと思う。特に樋口氏の方は
「シン・ゴジラ」でのある種の消化不良をこちらの作品でどこまで爆発させるのか
見物である。"前作"においては庵野がアクセル役、樋口はブレーキ役となったが
今回は逆になるのであろう。

 虚構VS現実(日本)は、今回もまた繰り広げられることが宿命付けられて
いるのかもしれない。

 
「シン・ウルトラマン」2021年公開予定
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