2020年8月15日の風景
自分が子供の頃は
「夏が来ないと"あの戦争"を振り返らないのか(けしからん!)」
「"あの戦争"を夏の風物詩のようにするな(けしからん!)」
と毎年言われていいたような気がする。
しかし、ここ10数年は
「寧ろ夏に集中して総括する時期があるのはいい事ではないか」
という意見が一定量を占めている気がする。自分も概ね賛成。
八月の半ばはお盆と終戦の事と戦争の事、人の生と死、人権、
人間の壮絶なる歴史に思いを馳せて意見を述べ合うのはいい事
だと思う。
普段読まないような本を読み、観ないような映画に触れるのも
いいだろう。勿論、戦争に関係なくとも良いに決まっている。
でも一年に一度くらいは戦争というものについて考えてみるのは
悪くないだろう。
自分が生きていることの因果について考えて行動してみると
いいと思う。
さて、毎年どこかしらに言われている事であるが
1945年8月15日は日本が戦争を止めた日でも負けた日でもなく
玉音放送により国民に戦争の終わりが知らされた日である。玉音放送用の
レコードを奪おうとするクーデータ事件(宮城事件)が将に前日に起きており
もしかしたら、玉音放送の日は遅れていたか幻となっていたかもしれない。
ただし、ウィキペディアによれば玉音放送の予告が前日14日の21時と
15日の朝7時に行われていたため仮に大幅に遅れても大勢は変わらなかった
ことだろう。
終戦(敗戦)の日とするのは日本政府が降伏文書に調印し、日本と連合軍との
間で休戦協定が交わされた1945年9月2日の方が相応しくそのうち、学校では
そのように教わるようになるかもしれない。
1945年8月15日(水曜日)から1945年9月2日(日曜日)までの18日間、
或いはその後まで行われた戦闘行為については我々は知っていいのだろう。
横井庄一氏が終戦を知らずに戦い続け帰国したのが1972年(約28年後)、
小野田寛郎氏が事実上の戦闘行為を続け帰国をしたのは1974年(29年後)、
戦争が終わっても自分の意思で帰国しなかった人々もまた多くいたこと
だろう。
特定の人間を原因のように扱うことは容易いだろう。しかし、
国家のシステムに不備があったことは間違いない。問題は、その不備が
何でもあったとして、何が誤っていて何が正されたのか認定するかだろう。
誤りと正しさの認識は未来の日本と世界とそこで暮らす人々に
直結する問題である。
何が間違っていたのだろうか。
もう間違いは起こらないのだろうか。
現在の認識に誤りはないのだろうか。
さらに是正されなくてはならないことは何なのだろうか。
本当に今、『平和』なのだろうか。
日本と世界の人々は安心して暮らせているだろか。また、
今後も暮らせていけるのだろうか。
『平和』は脅かされていないのだろうか。
『平和』を脅かされたらどうすればいいのだろうか。
何もしなくていいのだろうか。
何かをしてはいけないのだろうか。
何をしなくてはいけないのだろうか。
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