2021年6月26日の風景「終わりの始まり」
いつもの喫茶店に行き、いつものオーダーをする。
かなりの期間、営業時間が短縮してしまっていて通う習慣が
消えそうになっていたり行く時間帯もまちまちだったので
対応する人が違ったりしていたがようやく落ち着きを取り戻す。
「お久しぶりです」と言わなくてもよくなる。
いつもの週刊誌に目を通し、とある記事を読む。
とある歴史上の問題提起がされているがこれまで同様に違和感を
感じる。アウトプット(結果)からそのアウトプットに至る一つの点を
クローズアップしているがそのアウトプットに至るには他にも多くの
重要な点があるに違いなくそもそもまだ明かされていない、明かされて
いてもきちんと検証されていない項目があるのだがそれらについては
「存在しないこと」にされている。今までもこれからも。
「今回の『禍』によく似ている」と読んでいて思う。何十年も何百年も
前のことも最新の出来事も多くの重要項目が無視されて前提が疑われる
こともなくごく特定のことだけがそれだけしか問題がないかの如く
扱われる。そして、往々にしてそれらは重要かもしれないが後世の
世の中がより良くなることには貢献できそうもないことが多い。
ある人とも結構久しぶりに話しをする。「痩せたね」と言われる。
確かに少し痩せたかもしれない。相手のその人は少し老けたか。
とりあえずお元気そうで何より。
某先輩からは電話を頂く。"禍"には全く関係ない件で。らしくない事を
言っていたので少し叱責する。そのうちに会うだろうから続きはその時に。
随分と久しぶりの友人からも連絡をもらう。あともう少し"禍"が落ち
着いたら会う算段を取ることになるだろう。ただ会って飲むだけでは詰まら
ないので何か考えることにする。
「終わりの始まり」が来たと漠然と思う。
もういい加減、終わって欲しい。新しく始めよう。
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